「新たな始まり」 Dr. Bell's Vengeance: A Fresh Start  by Nikki J. 出所
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デニスは、家の前のステップに座り、通行人たちを見ていた。通行人は多かった。大半がデニスと同じ黒人で、彼に注意を向ける者はほとんどいなかった。みんな自分のことしか頭にないのである。ステップに座る若い黒人男などこの公共団地ではありふれていて、特に注意を惹くような存在ではない。彼らの視野に入らなくて当然だった。

確かにデニスの今の状態は注意を惹くものではないかもしれない。だが、デニス自身は注意に値する存在だった。

デニスの母親はシングル・マザーである。デニスはそのひとり息子だった。父親は、彼が生まれる前に母親を置いて逃げていた。とは言え、別に彼がグレているわけではない。デニスはずっと小さいころから、最後に警察につかまったり殺されたりするのが嫌なら、きちんとした生活を送った方がよいと知っていたのである。

この公共団地に住む他の人々と比べると、デニスの肌は明るい色をしている。母からは、父親が白人だったと聞かされていた。デニスは、皮肉なことだと思ったのを覚えている。黒人男というのは親としての責任から逃げるものだというありがちの思いこみがあるが、自分の白人の父親がまさに親の責任から逃げたなんて。親としての責任から逃げるっていうのは、人種的なことというより、男の性質なんだろうなと思った。人は誰でも怖くなるものだ。だから、責任から逃避してしまうんだろう。

あまり良くない環境で育ったものの、デニスは高校を卒業し、秋から(奨学金を得て)大学に進学することになっていた。彼は、この公共団地から抜け出し、大学を無事卒業し、経済的に母親を支援できる日が来るのが待ち遠しくてたまらなかった。思い出せる限りでも、彼の母親はずっと仕事を2つ抱えて働き続けてきていた。そんな母親の姿を見てきたので、彼は一度でもいいから、自分が母親を養う立場になりたいと願っていた。

デニスは、ステップに座ったまま背筋を伸ばし、胸を張った。俺はもうすぐこの公共団地から抜け出せるんだと。

デニスがそんな思いにふけっていたとき、彼の友人のひとり、アイクが近づいてきて、声を掛けた。

「おい、どうした?」

「いや、何でも」

ふたりは雑談を交わした。アイクはデニスの小学校の頃からの親友である。最近、地元の大学の電気関係の教育課程に入ることを認められたらしい。とは言え、デニスは、アイクが進学に応募したのは、単に、デニスが進学することで周りからああだ、こうだ言われるのが嫌だったからにすぎないのではないかと思っている。アイクは教育に価値を置くタイプではないことをデニスは知っていた。実際、アイクはすでにけちな犯罪に手を染めていたし、ほんの小さなきっかけさえあれば、本物の犯罪者になる道を進むことになる人間だった。

「さっきの、糞みてえなニュース知ってるか? テロリストだか何だか知らねえが」 とアイクが訊いた。

デニスもそのニュースを聞いていた。「ああ、白人たちに何かあるとかいうヤツだろ? 全部は聞かなかったが」

「お前、ちゃんと聞くべきだったぜ。その野郎、白人男を全部、エロ女に変えるとか言ってたんだ。言い方は違うが、言ってたことはそういうことだ」

デニスはその男がベルという名前であることを覚えていた。ふたりは、そのテロリストの警告したことが実際に実現したら、どれだけ面白いことになるかと話しあった。とは言え、ふたりの会話はすぐに、その気が狂った博士とありえない計画の話しから、10代の男子のほとんどすべてが心に浮かべていることに話題が変わった。つまり、女の子についての話である。

「で、お前、ベッキーとデートに行くんだろ?」 とアイクが訊いた。「ベッキーのあの尻!……たまんねえよ」

デニスは微笑んだ。「ああ、明日の夜な」

*

デニスは鏡を見て、ちゃんと格好よく見えてるか確かめた。彼は大柄な男ではない。身長は170センチちょっとだし、体重も70キロほど。だが、自分のルックスには自信があった。確かに彼はハンサムだし清潔感があり、充分に身なりに注意していた。髪をきちんと刈りそろえ、バギーパンツもアイロンを掛け、片方の耳にダイヤのイヤリングをつけている。それを買うため、夏じゅう倉庫でアルバイトをしたのだ。このダイヤのイヤリングは自慢のアクセサリーだった。

その夜、彼は世界のてっぺんに登ったような高揚した気分で家を出た。ルックスは悪くないし、秋には大学に進学する。そして今からベッキーとデートに行くのだ。ベッキーは近所でもいちばん可愛い女の子だった。人生は上向きになっている。

家を出て道を歩き、一群の若者たちの横を通り過ぎた。デニスは、あの連中がドラッグを売っているのを知っている。デニスは、彼らの中の知人に頷いて挨拶した。ベッキーの家までは歩いてもそんなにかからない。2ブロックほど先に住んでいる。デニスは彼女の玄関ドアをノックした。

ベッキーが出迎えた。

「ハーイ」

彼女は後ろを振り返りもせず家を出た。デートに出るのが待ち遠しくてたまらなかった様子だった。

ふたりはバス停まで歩きながらおしゃべりをした。この集合住宅に入ってくるほど勇気のあるタクシーはほとんどないのだが、たとえそんなタクシーがあったとしても、ふたりには乗る経済的余裕はなかった。幸い、バスはすぐに着た。バスはふたりを映画館の近くへと連れて行った。

デニスはベッキーに映画を選ばせた。ベッキーはラブコメの映画を選んだ。デニスにはどんな映画でも良かったのである。ベッキーの姿を見てるだけで嬉しかったから。今夜のベッキーはタイトのブルージーンズとTシャツの姿で、とても可愛かった。それにアイクが言っていたように、彼女のお尻はとても丸く、完璧な形と言え、デニスはどうしてもそこを触りたくなってしまうのだった。

映画は、少なくともデニスにとっては、上々だった。実際、彼は映画の筋にはほとんど注意を払っていなかったものの、何と、ベッキーの肩に腕を回すことができたのである。これができただけでも、成功と言えた。

映画の後、ふたりは再びバスに乗った(デニスにはレストランに食事に行くお金がなかったのである)。バスから降りた後は、ふたりで歩いてベッキーの家に向かった。ふたりはおしゃべりをしながらゆっくり歩き、デニスはベッキーのことをもう少しだけよく知ることができた。

ベッキーは元々、この街の出身ではなかった。彼女の母親が仕事の関係で2年ほど前に引っ越してきたのである。だが、その仕事は長続きしなった。急に不景気になり、その仕事は打ち切られてしまったのである。そこでベッキーの母親は政府に援助を求めたのだが、与えられたのは仕事ではなく、この集合住宅なのだった。ここは、犯罪と薬物と貧困の巣窟であって、たいていの人々が求める救済の地ではなかった。とはいえ、ベッキーの母親は仕事を見つけることができ、近々、ここを抜けだし、郊外に引っ越すことを計画していた。

そしてベッキーは、デニスが通うことになる大学と同じ大学に、すでに入学していた。それは、まさに神がめぐり合わせてくれたことのように思えた。ふたりは、互いのジョークを笑い合う、とても仲の良い間柄だし、デニスはベッキーを魅力的だと思っていた。できれば、彼女の方も自分のことを同じく魅力的だと思ってくれたらと期待するデニスだった。

ベッキーの家に着き、ふたりはそこで立ち止った。「あーあ、着いちゃったわね」とベッキーが言った。

「ああ」 とデニスは体を傾け、彼女にキスをした。「電話してもいいよね?」

ベッキーはにっこり微笑み、背を見せ、玄関ドアを開けた。「そうして」と一言残し、家の中に姿を消した。

玄関ドアが閉まり、それを待っていたかのように、デニスは満面の笑顔になった。ただのおやすみのキスが、どうしてこれほどまでにデニスを喜ばせたのか? それを理解するには、彼の歴史を知る必要がある。彼は、外から見た印象とは異なり、周囲にすんなり溶け込んできた若者ではなかった。もっと言えば、ほぼ、その正反対と言ってよい。

この集合住宅で育った月日は、デニスにとって辛い日々だった。彼の肌は普通の黒人より明るい色をしている。それは、手頃なパンチバッグを求める者たちにとって、標的となるものでもある。それは、フェアでもなければ、正しいことでもないし、理解できることでもなかった。だが、他の子供たちは、デニスの血に白人が混じっていることに反感を抱いた。デニスは子供時代を通して、しょっちゅうイジメられ、からかわれてきた。

彼が10歳の時、一度、イジメっ子たちに歯向かい、それまで受けた仕打ちの仕返しをしたことがあった。確かに、それ以来、イジメは止まった。だが、他の子供たちで、デニスを受け入れた者はほとんどいなかったのだった。デニスは皆とは違う存在だった。そして幼い子供たちの心の中では、皆とは違う存在は、避けるべき存在に等しいのである。そして、実際に、他の子供たちは彼を避けた。デニスは、成長期を通じて、友人と言えるのはたった一人しかいなかったし、知り合いもひと握りしかいなかった。他は誰も彼を拒絶したのである。

そして、女の子たちも、彼を拒絶した者の中に含まれていた。彼はこれまでの人生で、2回しかデートをしたことがない。そのデートの相手も、たぶん、同情心から付き合ってくれたんだろうと彼は思ってる。デニスは、誰も自分と関わり合いたいなど、本心では思っていないし、ましてデートするなどもっての他なんだと思っていた。結果はと言うと、18歳になるまでキスをしたのはベッキーを除いて2人だけだった。実際、2回目のデートにこぎつけた女の子はひとりもいなかった。

デート経験がないことは、彼が童貞であることも意味していた。デニスが考えることすら避けたいと思っている事実である。でも、それもこれも、これからは変わりそうだと彼は期待した。どうやら、ベッキーは自分を好んでくれているらしい。それも僕も彼女が好きだ。前に広がる可能性を思い、ワクワクしながら彼は家へと歩いた。

*

2週間後、デニスの人生は、すでにはっきりと上向きに転じていた。そして、そのことのほぼすべてにベッキーが関係していた。ふたりは毎日のように会い、互いに一緒にいることを嬉しく感じていた。

デニスは自分の幸運が信じられなかった。それまでの人生、ずっと仲間外れにされ、孤島に住んでるようなものだったのだ。それが、彼が誰であるか、何をしているかに関して先入観をもたないひとりの女性のおかげで、その孤独感を吹っ飛ばすことができたのである。加えて、その女性はとても可愛らしい。そのことも、彼が自分は幸運だと思うことと関係があったのかもしれない。

外見の良さで判断するなんて……。デニス自身、ベッキーの内面でなく、外見に惹かれてることは、ちょっと変態っぽいし、極めて浅い考え方だということは知っていた。だが、彼は、可愛い女の子の愛情には免疫がなかったのである。ベッキーの性格は、第一の要因である彼女の外見、および、第二の要因である、彼女が彼を気に入ってくれているという事実のふたつの陰に隠れ、デニスにとっては第3要因として遠くの問題に見えていた。愛らしい外見と表面的な愛情。この2点が一緒になって働き、第3の要因である性格が陰に潜むということは、よくあることだが、デニスにはそれを知る経験がほとんどなかったのである。

デニスはベッキーが本当はどんなタイプの人間か、もっと注意を払うべきだった。それというのも、彼女の外見や表面的な愛情よりも、性格こそが彼の未来に少なからず影響するからなのだ。

ベッキーは、一見すると、ごく普通の女の子のように見えた。だが、それは仮面なのである。実際は、彼女は、傲慢で、優越感を漂わせていた。そのこと自体は、デニスにも、いかに心が曇っていたとはいえ、間違いなく察知できていた。ベッキーは、自分は周りの人々より優れていると思っていたし、その気持ちをほとんど隠そうとしなかった。それに、意地も悪く、恨みがましいところもあった。他の人に対して、その人がおかれている状況、立場、あるいは、彼女の言葉や行動がその人に与える影響などを、あからさまに無視することは、一度に限らない。

ああ、だが、愛は盲目だ。デニスは、そんなベッキーの性格を知っていたにもかかわらず、それに目を向けなかった。ベッキーは、悪い人間だが、可愛いし、自分のことを好いてくれている。だから彼女の性格の問題は考えないことにしよう……とりあえず今は。

ふたりがデートを始めてから3週間経った。その日、ふたりはベッキーの部屋にいた。ちょっとエッチな気持ちが盛り上がっていたところだった。

デニスは片手をベッキーのシャツの中に忍ばせ、彼女の豊満な乳房に触れようとしていたところだった。驚いたことに、ベッキーはデニスの侵入を拒まなかった。デニスにとって、女の子の胸に触れるのは、これが初めてだった。その興奮に彼は圧倒されていた。

突然、ベッキーは身体を離し、ほとんど引き裂くような勢いでシャツを脱いだ。そしてブラジャーも脱ぎ去った。デニスはインターネットで何百もおっぱいは見てきている(彼の母親が勉強のために使うだろうと、ハイスピードのネット回線を引いてくれていたのである)。だが、パソコン画面のおっぱいなど、本物の、ライブの、個人的な付き合いのある女の子のおっぱいに比べれば、何の意味もない。

デニスはベッキーの胸を見て、口をぱっくり開いた。だが、(実際、彼はそうなのではあるが)それではまさに童貞の男の反応だと、そんな反応をしたのを隠すため、デニスはベッキーの胸に顔を埋め、舌で乳首を愛撫し始めた。感じてくれてるようだ。喘ぎ声をあげている。

しばらくそうしていた後、ベッキーは立ち上がり、デニスをベッドに仰向けにした。デニスは両ひじを突いて、上半身をあげ、ベッキーを見た。彼女は彼の脚の間にひざまずいていた。彼のジーンズのボタンを外している。そして、悪戯そうな笑みを浮かべながら、ジーンズを引き脱がした。次に彼の下着も。デニスの柔らかなペニスが露わになった。

デニスは、自分のペニスに関して、以前からちょっと恥ずかしさを感じていた。ステレオタイプのことは知っていた。いわく、黒人は白人より大きなペニスをしているといったこと。だが、彼の父親は白人だ。そうすると、自分は父親と、その点に関して同じ遺伝子を持ってることになるのだろうか? 

その懸念により、デニスには、どこか周りの黒人より劣ってるかもしれないという気持ちが生まれていた。そして、彼は定期的に自分のペニスサイズを測ることにしていて、ほぼ平均サイズなのは知っていた。だが、それでも、自分のペニスを見るたび、インターネットで見たペニスに比べたら、小さいんだろうなと、そして、どれくらい小さいのかなとも思うのだった。

ベッキーがデニスのペニスを濡れた口に入れるのを見ながら、デニスの心の中では、数々のこんな思いが飛び回っていた。

だが、驚いたことに、彼のペニスが一向に固くならないのだった。ベッキーは、舐めたり、キスしたり、吸ったりを何分か繰り返したが、デニスのペニスは彼女に協力しようとはしなかった。

やがて、ベッキーは嫌悪感を丸出しにして顔を離した。

「いったい何だって言うの? あんた、女の子が好きじゃないの?」

デニスは屈辱を感じていた。どうしてなのか、さっぱりわからなかった。「わ、分からないんだ」

ベッキーはシャツを元通りにし、胸を隠し、ドアに向かった。

「ねえ、トレント! ちょっと来てよ。このオカマ野郎を見てみて!」

「え、何?」 デニスはパニックになった。下着を元通りにしようと引っぱり上げようとしたが、ベッキーはぐいっと引っぱって、取り上げてしまった。

「ダメよ。あんたはそこに座ってなさい」

何秒もせずに、大柄の黒人男が部屋に入ってきた。デニスより2歳ほど年上の男だった。デニスは、その男はベッキーのいとこだと気づいた。

「どうしたんだ?」 とトレントが訊いた。

「何でもないよ……」 とデニスが言い始めたが、ベッキーに鋭い視線を向けられ、最後まで言えなかった。

「あたし、この3週間、ここにいるチビのオカマ野郎に付き合わされてきたのよ。そしたら、こいつ、そもそも女が好きじゃないときた。あたしを見ても、勃起すらできないのよ」

デニスが声を上げた。「そうじゃないよ、ベッキー。僕は本当に女の子が好きだよ。でも、どうしてか分からないけど……」

ベッキーはいきなりデニスの頬を平手打ちした。

「もし、お前が女が嫌いなら」 とトレントは、ズボンのチャックを降ろしながら言った。「お前、男が好きなんだろ?」 彼は巨大なペニスを引っぱりだした。「これが好きなんだろ?」

それは巨大なペニスだった。もちろんデニスのよりもはるかに大きかった。それゆえ、デニスの目を惹きつけた。

デニスは隠そうとした。隠したかった。だが、下着を奪われていたため、みるみる勃起してくるペニスを隠すことは不可能だった。

「ほーら、やっぱり!」 ベッキーは大きな声を上げた。「こいつ、ちんぽが好きなのよ!」

*

続く2週間は、デニスにとって地獄そのものだった。最初の2日ほどはいつも通りに自分のすべきことを片付けようと頑張ったが、すぐに、どこに行っても、背後で囁き声やくすくす笑いがしていることに気がついた。最初は何が起きてるのか分からなかった。だが、やがて、あの件が噂になっていたと知る。

これまで、ペニスを見て興奮したことは一度もなかった。まったく、意味が分からなかった。

あの日、トレントの姿を見せられ、意識せず興奮してしまった。デニスは恥ずかしさのあまり、そそくさと服を整え、泣きながらベッキーの家を出たのだった。自宅に帰った彼はベッドに横たわりながら、2時間近く泣き続けた。

だが、すぐに、恥ずかしい気持ちよりも、好奇心の方が上回り、パソコンに向かい、ブラウザを開き、お気に入りのポルノサイトに行ったのである。裸の女性を見ても彼のペニスはぴくりともしなかった。デニスは、躊躇いがちに「セクシーな裸の男性」のキーワードを打ち込んだ。とたんに、まさにそのような画像が洪水のように溢れ出た。それを見つめているうちにペニスが固くなってくるのを感じた。

ということは自分はゲイなのか? そもそも、そんなふうになるのか? ある晩、女を好きな状態で眠りについて、翌朝起きたら、男が欲しくなっている? そんなの全然、正しいことには思えない。

アイクですらデニスから離れてしまった。デニスは完璧に、まぎれもなく、独りになってしまった。めったに家を出ることはなくなり、引きこもりになった。家を出るときは、ずっとうつむいたままで歩き、誰とも目を会わせないようにした。秋まで何とかやり過ごせればいいんだ。そうしたら、大学に行けるし、誰も自分の秘密を知ることはないだろうから。そうなるはずだった。彼が変化を始めなかったとしたら。

最初は、全然、大きな変化ではなかった。ただ、ちょっと乳首がかゆくなっただけだった。デニスは、湿疹か何かなんだろうと思った。だが、1週間もすると、そのかゆみは薄れ、その代わりに、あらゆる刺激に敏感に反応するように変わった。それがますます強くなっていく。左右の乳首自体ばかりか、乳輪も大きく、色が濃くなっていった。何か変なことになっていると思ったが、その考えを否定しようとした。何かアレルギー反応でも起こしてるんだと言って。

しかし、夏の盛りになったころ、もはや、変化は否定できなくなっていた。身体が小さくなっていることに気づいたのである。前なら簡単に手が届いたところに手が届かなくなっている。それに体重も落ちているのに気づいた。なんか身体が前とは……違う。

その2週間後、デニスは本格的に自分の身体を調べてみようと決めた。それまで彼は変化について考えることすら避けていたのである。まして身体を調べることなど論外だった。しかし、以前の服が全然合わなくなってることは否定できない。やっぱり本気で調べてみようと、変化を調べてみようと思ったのだった。

大学に行くまであと1ヵ月となった時、デニスは部屋の中、服を全部脱いで立った。彼の服はすべてだぶだぶになっていて、脱ぐと言っても、実質、重力に任せれば勝手に脱げ落ちると言った感じだった。

鏡の前に立ち、彼はハッと息をのんだ。自分の姿だと認識できなかったと言ってよい。こんな激しい変化を、どうしてこれまで無視できていたのだろう?

最初に目に着いたのは肌だった。白人の父をもつせいで、肌の色が彼の知ってる男たちよりも少し明るい色だった。だけど、周りから突出して目立つほどではなかったはずだ。それが今は、肌の色は明るい黒と言うよりは、むしろ、白肌が日焼けしたと言った方に近くなっていた。ラテン系人種の肌のようだ。

次に目に留まったのが、髪の毛だった。前より直毛っぽくなっているように思えた。

続いて顔に目が行った。その顔は、妹がいたらこんな顔をしているだろうと思われる顔になっていた。ごつごつした角が取れ、あごも、もはや、角ばったところはまったくなくなっていた。額も小さくなって、目が大きくなっているように見えた。端的に言って、可愛らしくなっていた。ハンサムではない。可愛いのである。女の子みたいに。

身体も縮んでいた。前は170センチはあったのに、ほぼ15センチは背が低くなっている。多分、体重も48キロくらいだろう。ただ、身体全体が変わってしまったことを除けば、体重が減ること自体は、それほど悪いことではなかったかもしれない。肩幅は狭まり、ウエストも細く、腰が広がり、お尻が丸くなっている。男性的な胴体に変わって、丸みを帯びたお腹が姿を見せていた。筋肉の盛り上がりは大半が姿を消していた。

そしてペニス。明らかに小さくなっていた。多分、前のサイズの3分の1になっているだろう。

パニックになりかかっていた。いったいどうすればいいんだ? 何かできることはないのか? 何か変な病気にかかったのだろうか? 自分は女になりつつあるのか?

ほぼ10分間、デニスは鏡を見ながら100ほどの疑問を心の中で問い続けた。その後、もっと情報が必要だと気づいた。だが、医者に行く気にはならなかった。ひとつには、こんな身体になって、極度に恥ずかしかったことがある。もうひとつには、保険に入っていないこともあった。保険に加入するお金もない。デニスは医者の代わりにインターネットに相談することにした。

ネットで見つけたことは、極めて驚きに満ちたことだった。どうやら、他の人も、ほぼ同一の症状を経験しているようだ。そして、みんな、それをオマール・ベル博士という人のせいにしている。その名前はデニスも聞いたことがあったが、どこの誰かは知らなかった。そして、デニスは、ベル博士自身によって書かれた手紙の形で、説明を得たのであった。それには次のように書かれていた。

親愛なる世界の皆さん:

あまりにも長い間、我々アフリカ系アメリカ人は忍耐をし続け、世界が我々を差別することを許し続けてきた。我々はずっと忍耐を続けてきた。だが、とうとう、もはや我慢できなくなった。そこで私は我々を差別してきた皆さんを降格させることを行うことにした。初めは、皆さんは私の言うことを信じないことだろう。それは確かだ。だが、時間が経つにつれ、これが作り話ではないことを理解するはずだ。

私は、私たち人類の間の階層関係に小さな変更を加えることにした。今週初め、私は大気にある生物的作用物質を放出した。検査の結果、この作用物質はすでに世界中の大気に広がっていることが分かっている。

パニックにならないように。私は誰も殺すつもりはない。もっとも、中には殺された方がましだと思う者もいるだろうが。

この作用物質はあるひとつのことだけを行うように設計されている。それは、黒人人種が優位であることを再認識させるということだ。この化学物質は白人男性にしか影響を与えない。

それにしても、この物質はそういう抑圧者どもにどんなことをするのかとお思いだろう。この物質はいくつかのことをもたらす。その変化が起きる時間は、人によって変わるが、恒久的な変化であり、元に戻ることはできない。また純粋に身体的な変化に留まる。

1.白人男性は身体が縮小する。白人女性の身長・体重とほぼ同じ程度になるだろう。この点に関しては個々人にどのような変化が起きるかを予測する方法はほとんどないが、私が発見したところによれば、一般的な傾向として、女性として生れていたらそうなったであろう身体のサイズの範囲に収まることになるだろう(その範囲内でも、小さい方に属することになる可能性が高いが)。

2.白人男性はもともとペニスも睾丸も小さいが、身体の縮小に応じて、それらもより小さくなるだろう。

3.白人男性のアヌスはより柔軟になり、また敏感にもなる。事実上、新しい性器に変わるだろ。

4.声質はより高くなるだろう。

5.腰が膨らみ、一般に、女性の腰と同じ形に変わっていく。

6.乳首がふくらみを持ち、敏感にもなる。

7.最後に、筋肉組織が大きく減少し、皮膚と基本的な顔の形が柔らかみを帯びるようになるだろう。

基本的に、白人男性は、いわゆる男性と女性の間に位置する存在に変わる(どちらかと言えば、かなり女性に近づいた存在ではあるが)。すでに言ったように、こういう変化は恒久的で、元に戻ることはできない。(現在も未来も含め)すべての白人男性は、以上のような性質を示すことになる。

これもすでに述べたことだが、大半の人は、私が言ったことを信じないだろう。少なくとも、実際に変化が始まるまではそうだろう。もっとも変化はかなり近い時期に始まるはずだ。ともあれ、1年後か2年後には、世界はすでに変わっていることだろうし、私に言わせれば、良い方向に変わっているはずである。

親愛を込めて、

オマール・ベル博士

デニスは、意味を探ろうと、何度か読み返した。声が変化する点を除いて、この文章は彼に起きたことを完璧に記述してた。

……でも、なぜ、僕なんだ? 僕は白人ではない。異人種の両親をもつ人を何人か知ってるが、誰も僕のように変化を受けた人はいなかった。

その時、彼は曾祖母のことを思い出した。その人は白人だった。それが影響したのかと思った。とは言え、彼には、どうしてよいかアイデアはなかった。身体が変化を起こしてるのは事実だ。それに、変化が完了するまで、少なくともさらにもうふたつ、みっつの変化が起きるのだろう。この声も、いずれ変わってしまうのだろう。

将来、自分は変わっていく。この見込みに彼は恐怖を感じた。小さな恐怖どころではない。大きな恐怖だ。いま彼は、あまりに多くの点で孤独状態になっていた。友人はひとりもいなくなった。母親とも、ほとんど顔を合わせていない。彼の母親は家計を維持するため、ほとんどいつも働きに出ており、何週間も顔を合わせないこともあったのである。そして、その結果、彼と母親との関係は疎遠になっていた。もう何年も前から疎遠状態になっていた。

そんな彼に、また別の状況が発生したのである。女性化した黒人男という状況。この状況による孤独感の圧力に、デニスは押しつぶされそうになった。このような状況になった人はまれだろう。したがって、この状況には、たった一人で直面する他ない。

デニスは、あれこれ頭を悩ませたが、やがてベッドに崩れ落ち、泣き出した。

今後、何もかも変っていくだろう。だが、一番の不安は、大学に進んだ後の状態だった。これまでは、大学に進んだ後に希望を抱いていた。しかし、これだと、大学に進んだ後も、いままで通りの、「周りから目立ち、それゆえ疎外される人間」という状況は変わらないことになる。目立たないという祝福された存在になれるという最後のよりどころまでも、奪われてしまったのだ。仲間外れにされるのか?

確かに肌の色は明るい。だが、黒人であることは紛れもない。したがって、女性化した白人男性の間に紛れ込むというのも、不可能に近いだろう。一瞬、今後は女だと言い張って通そうかとも思ったが、すぐに、断念した。自分は女でもないのだ。彼の心の中の何かが、女性であると振舞うことを許そうとしなかった。自分は今後、本物の男ではなくなるだろう。だが、だからと言って、女として通そうとする気にはなれなかった。

その時、あたかも巨大な岩に打たれたかのように、デニスは自己啓示を得た。結局、自分は自分なのだ。そんな自分を人々が受け入れられなくても、だから、何だと言うんだ。

その夜、デニスは、その考えに安らぎを見い出し、眠りについた。

*

デニスの声は、大学入学予定の日の2日前に変化し、結果として、彼の年齢の女の子たちの声に似た声になった。加えて、彼は母親の衣類を時々くすね始めていた。たいていは、ジーンズやTシャツやショートパンツだった。その衣類は彼にはちょっと大きすぎだったが、自分の服よりは、はるかにフィットしたものだった。

服については安心したとはいえ、登録すべき日、学生寮に着いた時も、彼は打ちひしがれている様子だった。しかしながら、彼は自分よりひどい状態の人たちもたくさん見ていた。みなが身体のサイズよりも何倍も大きすぎる服を着ていた。

デニスは寮の入り口に立っていた女性に近づき、「寮の登録に来ました」と伝え、自分の名前を告げた。

その女性は手に持っていたリストを調べた。

「あら、掲示を見ていなかったの? あなたのような男子は女子と一緒にまとめられることになったの。セクハラの事件が何件かあったのよ。あなたたちを他の男子と一緒に住まわせて、その可能性を認めるわけにはいかないので」

デニスはちょっと驚いたが、何も言わなかった。その女性はデニスに新しい寮への配置を伝え、彼はその指示に従って、道を進んだ。

そこはひどく離れているわけではなかったし、デニスも速足で向かった。少なくとも、デニスは他の学生のようにたくさんの荷物を持っているわけではなかった(彼の荷物はスーツケース2個だけだった)。だが、歩く途中、彼は、将来のクラスメイトになる人たちを見る機会を得ることができた。

見まわしながら、非常に奇妙な感じになった。フィットした服を着ていた白人の男子学生はごくわずかで、皆、着心地が悪そうな服を着ていた。ダブダブの服でぞろぞろ歩いている。だが、異和感の原因はそれに限定できると言えたかと言うと、そうは言えない。白人の男子学生と女子とを分けるのは、むしろ、胸のところだった。みな、女子と違って胸が平らだった。それにより白人の男子と白人の女子との見分けが簡単についた。

寮に着いたが、部屋の割り当てを受ける行列に並ばなければならなかった。おおよそ30分待った後、自分の新しい部屋の前に立った。だが、どこか入るのを躊躇っていた。新しいルームメイトに何て言おう? 自分のことを気に入ってくれるだろうか? 自分もその人たちが気に入るだろうか? その人も自分と同じような男の子なのだろうか? ひょっとして女の子がルームメイトなのだろうか?

デニスは深呼吸をして、ドアを開けた。

部屋の中は空だった。デニスはちょっと心が沈んだ。自分は独り部屋をあてがわれたのだろうか? それは、それでそんなにひどいとも言えないのでは? 確かに、友だちを見つけ、ルームメイトと楽しく暇をつぶすといった学生生活を夢見ていた。だが、たった独りで生活するというのは、故郷に残してきた生活とたいして違わない。それはそれで悪くない。

デニスはベッドの上にスーツケースを置き、衣類を取り出し始めた。みな、サイズが合わない衣類だった。

2分ほどした頃、ドアが開き、デニスは顔を上げた。ドアのところには、ブロンド髪の小柄な白人女性が立っていた。身体のサイズはデニスと同じくらいだが、どこを見ても女性であった。胸は巨大とは言えないが、はっきり存在していると分かるし、張りがある感じに隆起していた。その子はにっこり笑っていた。

「ハイ、あたし、アンバーというの」

「僕はデニス」

「ママ? パパ? こっちよ!」 

彼女は廊下の方に呼びかけた。そのすぐ後に、アンバーの後ろにふたりの人物が姿を見せた。どちらも背が高いわけではないが、片方は明らかに女性化した彼女の父親であり、もう一方は母親であると分かる。アンバーは両親にデニスを紹介した。彼女の両親は、荷物を部屋に持ちこんだ後、さようならと言って立ち去った。

アンバーは、両親が帰っていった後、デニスに問いかけた。

「どうやら、フィットする服を探すのにちょっと苦労してるみたいね?」

彼女はくすくす笑ったが、悪意のある笑いではなかった。純粋に陽気な笑いであり、デニスの緊張感をほぐす笑いだった。

「そう。これは僕の母親の服。経済的に苦しくて、新しい服を買えないから……」

「分かるわ。うちのパパも似た問題を抱えていたから。もし、よかったら、あたしの服を貸してあげてもいいわよ。あたしたち同じサイズのようだから」

デニスは唖然とした。彼は、これまでの人生で、こういった親切をしてもらったことが一度もなかった。彼が育った所では、いかなる形であれ、彼に手助けを提供する者は誰もいないだろう。少なくとも、何か隠れた動機もなしに親切に振る舞う人など誰もいないことは確かだ。

デニスはどうしても訊かざるを得なかった。「どうして、僕に親切を?」

アンバーはその質問に心から驚いた様子だった。「どういう意味?」

「僕たちは会ったばっかりで、君は僕を知らないのに。なのに、どうして僕に親切にするの?……いや、別に迷惑に思ってるわけじゃないんだ。本当に感謝してるんだ。ただ、何と言うか……僕の経験では、親切というのは、こんなふうにされることじゃなかったので……」

アンバーは顔をそむけ、ちょっとの間、沈黙した。そして再びデニスに顔を向けた。その時、デニスはアンバーの瞳に心から心配する表情が浮かんでるのを見た。その表情が正確にどのような表情か、あるいは、どうして彼がアンバーを信頼したかを説明することはできないだろうが、その表情を見たのは確かだった。

「ああ、本当に悲しいことね。あなたたち…あなたたちボイにとってどれだけ大変か分かるつもりよ。あたしのパパも同じことを経験したから。それほど大きな変化何だもの。だから、あなたが直面している困難なことのリストに、サイズの合わない服をつけ加えるべきじゃないと。そう思っただけなの」

デニスはアンバーの申し出を感謝したし、喜んで受けたいと思った。しかし、このような親切をしてもらった経験がないということは、とりもなおさず、どのように反応してよいか分からないということを意味する。そこで、彼は自分に言える唯一の言葉を述べた。

「どうも」

アンバーはにっこり笑った。

「じゃあ、あなたに似合う服があるかどうか見てみましょう?」と早速、バッグのひとつを開け、中から衣類を出し始めた。デニスは、どうしてよいか分からず、横に突っ立ったままでいた。それを見て、アンバーが言った。

「うふふ。服を脱いで、おばかさん」

デニスはためらった。そしてアンバーが言った。

「恥ずかしがっても意味がないわよ。あたしが、服を着てないあなたを見るのは、これが最後じゃなさそうなんだから。なんだかんだ言っても、あたしたちルームメイトなんだし」

と彼女は再びバッグの中を漁り始めた。

デニスはどうしてよいか分からなかった。一方では、彼は自分の身体に、いまだに馴染んではいない。他方、彼は、新しい友だちになって欲しいと思っている人をがっかりさせたり、傷つけたりするのは望んでいなかった。結局、彼の孤独は嫌だという思いの方が勝ちを収め、シャツを脱ぎ始めた。次にズボンも。そして、デニスは極度にだぶだぶのトランクスひとつの格好で突っ立って、アンバーが服を出すのを待っていた。

「この服の中にソレを着るの? それはありえないわね。服の下でごわごわに丸まってしまうもの」

そう言ってアンバーは手を伸ばし、彼のトランクスを引き降ろした。その何気ない手つきに、デニスは、彼女が彼を女の子のように考えており、まったく害をなすつもりがないことが分かった。

アンバーは彼にピンクのパンティを放り投げた。「それを履いて」

言われた通りにしたら、驚くほど身体にフィットするのを感じた。股間にペニスの盛り上がりができたが、小さすぎてほとんど気にならない。

アンバーはショートパンツとタンクトップも渡し、デニスはそれを着た。

「完璧ね。見てみて」と彼女は鏡を指差した。

デニスは鏡の前に行き、自分の姿を見た。女物の服の効果は圧倒的だった。彼が予想していなかったのは確かだが、彼の身体は、端的に言って、完璧なプロポーションになっていたのである。もし、この身体に乳房がついていたら、皆がハッと目を奪われるような美しい若い女性に見えるだろう。

デニスの肩越しにアンバーが覗きこんだ。「本当に可愛いわ。しかも、お化粧もしてなくて、こんなひどいヘアスタイルをしてるというのに」

デニスは自分の髪を見た。彼は近所の人たちに顔を見られることすら恥じていたので、床屋に行くことすら避けていたので、髪がぼさぼさの伸び放題になっていた。これまでも、髪は若干長めにしていた。その方が良いと思ったから。でも今はちょっと伸び放題になっている。結果は、もじゃもじゃのアフロになっていた。

「どうしたらいいと思う? 僕はこの種のことについて経験がなくって。いつも、普通の男のような髪でいたから」

「そうねえ、髪は簡単にストレートにすることができるわよ。ヘアサロンに行って、化学的にストレートにしてもらうのを勧めるわ。でも、ヘアアイロンを使ってもできるし。それとも、そのナチュラル・ヘアのままでもいいかも。いずれにせよ、一度、スタイリストに見てもらうべきね」

デニスは考えた。前から、彼は、ストレートのヘアをした黒人女性を可愛いと思っていた。その旨をアンバーに話すと、彼女は大はしゃぎして喜び、直ちに携帯を出して、ヘアサロンに予約を入れた。

彼女が電話を切った後、デニスが言った。「あの…それより前に、ここの整理をして落ち着く必要がないかなあ」

「ナンセンス! 自分の新しい生活の準備をすることの方が、荷解きなんかよりずっと、ずっと大切よ! さあ、行きましょう。予約を入れたから」

デニスがためらってるのを見てアンバーはつけ加えた。「私のおごりよ」

デニスは微笑んだ。「ありがとう」

「全然!」 とアンバーは答えた。

*

デニスは鏡を見つめながら、絹のような髪の毛をいじっていた。スタイリストは、彼の髪をストレートにしてくれたばかりか、髪に微妙なブロンドのハイライトも加えてくれた。デニスも、この髪を素敵だと認めざるを得なかった。いや、これまでのどんなヘアスタイルより、はるかに素敵だ。女性っぽい髪としては、依然として短めで、あごの下あたりまでしかないけど、毛先のところが軽くカールしている。このヘアスタイルが何と呼ばれているか知らないが、彼は気に入っていた。

「もういじるのはやめたら?」 とアンバーは荷解きをしながら言った。

ヘアサロンに行く道中を利用して、ふたりはいろいろと話しあった。デニスは自分のことについて、どのように育ったかとか、生まれ育った集合住宅の様子のことを語った。一方のアンバーも、郊外での生活や、高校でチアリーダーをしていたことや、どうしてエンジニアになりたいと思ったかを語った。

ふたりは気があう仲間のようだった。ではあるが、デニスにとっては不思議な感じもした。思い出せる限りで言えば、これまで彼は、女の子が優しくしてくれたら、すぐに、その子が自分のガールフレンドだったらどうな感じになるのだろうと夢想し始めたものだった。だが、アンバーの場合は、そんな考えがまったく浮かんでこないのである。確かに、アンバーと一緒にするかもしれない数々のことは頭に浮かぶし、いつか変なことを言ってしまい、彼女との友情が壊れてしまうかもしれないと神経質になってはいたが、そのいずれも、まったくロマンティックなことではなかった。

「それと、自分の服が買える時まで、必要な服は何でも使っていいわよ。ただ、着た後は必ず洗濯してね。私も同じようにするから」 とアンバーは荷解きの作業から目を上げずに言った。「ちょっと大変かもしれないけど、たぶん週に2回くらい洗濯すれば、問題はないと思うわ」

「オーケー、でも、できるだけ早く何かバイトをしようと思ってるんだ」

「ええホント? どんな仕事を考えてるの?」

「まだ分からない。これまでは肉体労働のタイプの仕事しかしたことがなかった。ひと夏、倉庫で働いたことがあった。でも今は、そういう仕事はちょっと……」

「問題外?」 とアンバーがつなげた。「でも、きっと何かが見つかるわ。あなたのような可愛い子なら大丈夫。ちょっと甘えて見せたら、誰でもあなたに仕事をくれるはず」

デニスは顔を赤らめ、アンバーはアハハと笑った。

それから何分かふたりは無言で作業をしていたが、何気なくアンバーが問いかけた。

「ちょっと個人的なことを訊いてもいい?」

「もちろん」

「あのね? 私の高校にたくさん男の子たちがいたのね? 何と言うかあなたのような男の子たちのことだけど。その子たちの何人かが、変化が起きた後、何と言うか、女の子を追いかけるのをやめて、その代わりに…分かると思うけど、男を求め始めたの。……それで、あなたはどっちなのかなって……」

デニスはその質問にちょっと驚いた。アンバーは彼がためらっているのを見て、つけ加えた。「あっ、ごめんなさい。そんなこと訊くべきじゃなかったわね。私、前からずっと詮索好きで。答えなくてもいいのよ」

「いや、そういうことじゃないんだ。僕は別に怒ったとかしてないよ。だって、君はすごく僕を助けてくれたし。しかも知り合ってまだ1日だというのに、君は僕のこれまでの人生で一番の友だちになっているんだ」

アンバーは何か言おうとしたけれど、デニスは遮った。

「何と言うか、自分でも分からないというのが本当。前は女の子が大好きだったんだけど……」

そしてデニスは身の上話を始めた。ベッキーとトレントとの出来事。その時のことが噂になって広まり、仲間外れにされたこと。

「……当時は、何が起きているか誰もよく知らなかった。僕は他の点では何も変わっていなかったので、みんなは僕が突然ゲイになったとみなしたようだ。でも今は、例のウイルスだか化学物質だか何だかのせいだと知っている。それが分かっていても、自分が惹かれる相手をどうしようもできない。本当に、自分で相手を選ぶことができればと思うよ。自分では、男性が好きなのかどうか、男性と関係を持ちたいと思ってるのかどうか分からないんだ。でも、僕の身体が男性に反応するのは知っている」

アンバーは何も言わなった。彼女はデニスが座っているところに近寄り、彼を抱きしめるだけだった。

*

仕事はとても少なかった。デニスは2週間近く探し続けていたが、ひとつも見つからなかった。

だが、その点を別にすれば、彼の生活は、これまでにないほど良くなっていた。彼とアンバーは日増しに近しくなり、互いに秘密を話しあう仲になっていた。それに、どこに行くにもふたりは一緒だった。数は少ないが、共通の授業も受けている。デニスは生物学、アンバーは工学と、専攻は違っていたが、概論の類の授業は同じものを取るようにしていた。

この最初の2週間の間に、デニスの態度や身のこなしは大きく変わっていた。デニスは、その変化の大半はアンバーのおかげだと思っている。彼女はとても快活で楽天的なので、彼女がいるだけで、デニスは、根っからの鬱屈した性格が陰に潜むのを感じた。

彼の身のこなしについて言えば、かなり女性的になったことは認めざるを得なかった。なんだかんだ言っても、デニスは普段の時間のすべてをアンバーと一緒に過ごしてるし、アンバーは他の誰よりも女性的であった。そのことと、ふたりが同じ服装をしていて(アンバーの服をユニセックスを言う人は誰もいない)事実が重なれば、デニスがアンバーの身のこなしをまねるようになったのは、当然と言えるだろう。

その日、アンバーは机についていて、デニスが洗濯物を畳んでいる時だった。デニスが声をかけた。

「仕事を得た人は誰もいないみたいだよ」

「ウェイターとかだったらいつでもできるんじゃない? そういう仕事で学生時代を乗り切る人はたくさんいるわよ」

「それも考えたんだけど、どの仕事も、経験有が条件となっているんだ……でも、僕にはそういう仕事に就いた経験がない」

アンバーが振り向いた。「そんな可愛いのに? 経験有だろうと無だろうと、あなたなら、速攻で雇ってもらえると思うけどなあ。ともかく、あなたに使える手段を利用するのよ。男は簡単なモノよ。ちょっとだけでいいから愛想を振りまくの。そうすれば、あなたが望むこと何でも、してくれるわ」

「でも僕は女の子じゃないし。女の子かそうでないかが、大きな違いなのは分かるだろう?」

「あなたって、世の中がどうなっているか、ホントに注意してないんじゃない?…今は、世の中が前とはすっかり変わってるの。どう言えばうまく説明できるか分からないけど。そう言えば、この前、完璧と思える記事を見つけたわ」

アンバーはそう言ってデニスを手招きし、マウスを何度かクリックした。デニスが後ろに立った時までに、彼女は、すでに、あるネット記事をディスプレに表示させていた。

「これ、読んでみて?」

* * * * * 「調整するということ:すべてのボイたちが知っておくべきことのいくつか」 イボンヌ・ハリス著

数ヶ月前、オマール・ベル博士が大気に生物化学物質を放出し、それはこの何ヶ月かに渡って、私たちの白人男性に対する従来の考え方を効果的に根絶することになりました。男性的ないかにもアメリカ男といった存在は消滅し、その代わりに、小柄な(通常、身長165センチに満たない)男の子と女性の中間に位置する存在が出現したのです。ですが、そのことを改めて言う必要はないでしょう。あなたがこの記事を読んでるとしたら、自分がどう変わってしまったかを一番よく知っているのはあなた自身であるから。この記事の目的は、情報提供にあります。(以降、この記事ではボイと呼ぶ)白人男性たちが、依然として男性のように振舞おうとあくせくしている様子がいまだに続いています。それは間違いなのです。あなたたちはもはや男性ではありません。ボイなのです。それを踏まえて、この記事では、いくつかの主要な問題点に取り組むことにします。それは挙措、セックス(イヤラシイ!)、そして服装という3つの問題です。それでは、前置きはこのくらいにして、早速、本論に入りましょう。

すでに述べたように、最初の問題は挙措についてです。どういう意味だろうかと思うかもしれません。まあ、「挙措」とは態度、振舞いのことを言う気取った用語ですが、それ以上のことも意味します。挙措には、普段の姿勢から歩き方に至るあらゆることが含まれます。ボイたちが、これまでと違ったふうに振る舞うことを学ばなければいけないというのは、奇妙に思われるかもしれませんが、でも、率直に言って、あなた方が男性のように振舞おうとするのは、マヌケにしか見えないのです。10代の若い娘が、その父親のように振舞おうとする姿を想像してみるとよいでしょう。まさにそれと同じです。ボイが男性のように大股で歩くのを見ると、まさにそれと同じくらい奇妙に見えるものなのです。

ボイは、男性とは異なるがゆえに、男性とは異なるふうに振る舞うべきなのです。この点はいくら強調しても足りません。というわけで、外出しようとするあなたたちボイに、いくつか指針を提供しましょう。まず第1に、背中を少し反らし続けること。その姿勢を取ると、あなたのお尻を完璧に愛しいものに見せることになります。第2に、腰を少し揺らすようにすること。男性はそれが好きです(これについては後で詳しく述べます)。第3に、怖がらず、エアロビクスを行うこと。皆さんは身体の線を保つ必要があります。太ったボイは孤独なボイになってしまいます。個人的にはストリッパーのエアロビを勧めますが、他のどんなエアロビでもよいでしょう。ですが、私が提供する指針で一番重要なものは、次のことです。女性をよく観察し、彼女たちをまねること。皆さんは、女性にはるかに近い存在となっているのです(しかも、性的な目標もきわめて類似している。これについても、やはり、後で詳しく述べます)。そして、女性たちは皆さんよりはるかに以前から、これを実行してきている。なので、ボイたち、私たちを観察し、学習するのです!

触れなければならないふたつ目の問題は、服装に関する問題です。(あなたが、元々、発育がよくなかった男子だった場合は別ですが)みなさんの大半は、おそらく、持っている服のすべてが、もはや自分に合わないことに気づいていることでしょう。ですから、皆さんは、すべて新しい服を買い直す必要があります。たいていのデパートでは、直接ボイを対象にして、新しいセクションを開いています。なので、そこから始めるのが良いでしょう。ですが、予算に限りがあるならば、勇気を持って、あなたのサイズに近いガールフレンド、妻、あるいは姉妹から服を借りるとよいでしょう。

ただし、いくつか注意すべき点があります。まずは下着から話しましょう。ボイはパンティを履くこと。そうです。ブリーフやトランクスではありません。パンティです。みなさんの体形は、パンティを履くようになっているのです。パンティを履くことを好きになるように。私も、新しいセクシーなパンティを履くのが大好きです。それを履くと、自分に自信がみなぎるのを感じるものなのです。ボイの中には自分の女性性を完璧に受け入れ、ブラジャーをつけ始めた人もいます。そのようなボイたちの適応力に、私は拍手をします。ですが、私の個人的な意見を言わせていただければ、ボイはブラをつけるべきではありません。どの道、ボイには乳房がないのですから(今の時点では、なのかもしれませんが。気の狂ったベル博士が何をしたか、知ってる人は誰もいませんし)。皆さんは、女の子でもありません。ボイなのです。ボイには乳房はありません。ゆえにブラの必要はないのです。

アウターに関して言うと、基本的に女の子が着る服なら何でも適切と言えるでしょう。スカートからジーンズ、ブラウスからドレスに至るまで何でもよいでしょう。着てみて似合うと思ったら、着るべきです。注意すべきは一つだけ。(たとえサイズがかろうじて合うような物であっても)紳士服を着たら変に見えるということを忘れないこと。皆さんは、決して男性のようにはなれないのです。ですから、婦人服や、ボイ、あるいは子供服のセクションにある服に限定すべきなのです。

最後に、セックスについて少しだけ触れたいと思います。もし、この話題に関して嫌な感じがしたら、即刻、読むのを止めてください。

よろしいですか? まだ、読み続けていますね? よろしい。

ボイの皆さんは、性器に関してサイズが減少したことに気づいているかもしれません。この変化に気恥ずかしさを感じた人も多いことでしょう。でも、そんな恥ずかしがることはないのです! ボイが小さなペニスをしていることは完全に自然なことなのです。最近の研究によると、白人男性の平均のペニスサイズは4センチ程度になっており、しかも、それより小さいことも珍しくはありません(実際、私の夫は、2センチ半にも達しません。これ以上ないほどキュートです)。ボイの皆さん、心配しないように。そんなペニスのサイズなんて、もはや、それほど重要なことではなくなっているのです。そのわけをお話ししましょう。

皆さんは、以前に比べて、アヌスがかなり感じやすくなっていることに気づいているかもしれません。皆さんの身体はそういうふうにできているのです。その部分を、新しい性器だと考えるようにしましょう。女性にはバギナがあります。男性にはペニスがあります。そして、ボイにはアヌスがあるのです。恐れずに、その新しい性器を試してみるとよいでしょう。その気があったら、そこの性能を外の世界で試してみるのもよいでしょう。ガールフレンドから(あるいは、気兼ねなく言えるなら、姉や妹から)バイブを借りるのです。そして、街に出かけるのです。すぐに、そこが「まさに天国みたい」に感じることでしょう(これは私の夫の言葉です)。

さて、皆さんの人生にとって最も大きな変化となることが、次に控えています。多分すでに予想してることでしょう。そうです。ボイは男性と一緒になるべきなのです。これは簡単な科学です。ボイは女性とほぼ同一のフェロモンを分泌します。それに、男性のフェロモンに晒されると、ボイは女性とほぼ同一の反応を示すことも研究で明らかになっています。

これが何を意味するか? ボイの皆さん、気を悪くしないでください。ですが、皆さんは男性に惹かれるようになっているのです。もっとも、男性の方も皆さんに惹かれるようになっているのです。そのような身体の要求に抵抗したければ、してもよいでしょう。ですが、これは自然なことなのです。この事実と、皆さんが感じることができる新しい性器を持っている事実を組み合わせてみれば、なぜ、ベル博士があの物質を放出して以来、男性とボイのカップルが400%も増えたのか、その理由が分かるでしょう。

ボイにとって、ヘテロセクシュアルであるということは、男性を好むということを意味するのです。そのことを拒むボイも多数います。そのようなボイは、基本的にホモセクシュアル(つまりレズビアン)であることを意味します。あるいは、少なくとも様々な実生活上の理由から、レズビアンになっているということを意味します。多くの女性が、変化の前は、男性と結婚していた(または男性のガールフレンドになっていた)わけですから、変化後もその関係を続けるとなれば、ボイはレズビアンになることになるわけです。

一応、その事実を念頭に置いてですが、そういうボイの皆さんには近所の「アダルト・ストア」に行き、何か…突き刺すもの…を探すことをお勧めします。あなたもあなたのパートナーも共に同じ種類の欲求を持つので、おふたりが共に満足できるようなものを手元に置いておくことがベストでしょう。

これを読んでる皆さんの中には、まだ拒絶状態でいる人も多いと思います。厳しいことを告げる時が来たかもしれません。どうか、鏡を見てください。何が見えますか? その姿は男性ですか? 決してそうではないでしょう。その姿は女性ですか? いいえ、違う。鏡の中からボイがあなたを見ているはずです。ボイはボイらしく行動する時が来たのです。

カウンセリングが必要な人もいるでしょう。それは良いことです。政府は、そのような要求に備えて、国中にカウンセリング・センターを設置しました。そこに行くこと。そして新しい自分を受け入れる方法を学ぶことです。この記事が役に立てばと期待しています。それでは今日はここまで。ありがとう。次週は、パンティを履くことが、あなたに人間としてどのようなことを教えるかについてお話します。

* * * * *

すべてが理にかなっていた。フェロモンの下りは、なぜ自分がもはや女性に性的に惹かれなくなったのかを説明していた。デニスはホッと溜息をついた。彼は、ひょっとして自分が変質者か何かになってしまったのではないかと思っていたからである。そんな自分は完全に正常である(少なくとも、ジェンダーが3つある、この新しい世界では、正常なのだ)という意見は、大きな安心をもたらすものであった。

だが、この記事は、デニスが不思議に思っていた他の事柄についても説明していた。まずは服装だ。彼が見かけたボイたちは大半が婦人服を着ていたが、いずれも、とても地味な服装だった。それが最近、ドレスやスカートを身につけるボイたちも見かけるようになっていた。どうして、このように変わってきたのか、この記事が説明していた。おそらく、ボイにはどんな服装が適切かに関して、新しい見方が出てきて、それが関わっているのだろうと分かる。

もうひとつ、この記事によって分かったことがあった。それは、最近、黒人男性がボイと手を組んで歩いてる姿をたくさん見かけるようになったこと。その理由がこの記事によって説明されていた。以前は、この風潮は大学内のことだろうと思っていた。大学だと、若者たちが自分のセクシュアリティに関して実験的な行動をしがちだからと。だが今は、これはボイがボイらしい行動をしているからだと分かった。この記事に書かれているように、ボイは男性と付き合うものなのである。デニスも、記事を読んでる時にすでに、これは正しいと実感した。彼は、トレントの露わになったペニスを見て反応した時から、このことを知っていたのである。

そして、この記事を読んで、アンバーが言ったことがいっそう妥当性を持っているように感じられた。デニスは、別に自慢気にではなく、自分がかなり可愛いボイであること、もっと言えば、美しいボイだとすら言えると思った。デニスは、自分はユニークな存在だと感じた。確かに、自分の他にも、異人種のカップルの間に生まれたボイがいるはずだとは思っていたが、いまだ、ひとりも出会っていない。そのことは、デニスに自分が特別であり、とても珍しいセクシーな存在なのだと感じさせた。

デニスはアンバーの忠告を受け入れ、ウェイター(ウェイトレス?)の仕事に応募しようと決めた。

デニスとアンバーは、この記事と、この記事が意味することについてしばらく話しあった。そしてデニスは新しい自分の立場を完全に受け入れ始めた。

*

その2日後、デニスは、リコという名の大柄なラテン系の男の前に座っていた。バイトの面接を受けているのである。デニスは、その面接はルックスだけで決められるのだろうと踏んでいたが、面接自体は、これまでの面接と何も変わらなかった。アンバーの助言に従って、ちょっと愛想を振りまこうとしたが、そんな技術はまだ会得していないとすぐに気がついた。男はデニスが魅力を振りまいても、ほとんど反応しなかった。

デニスは面接を終え、そのレストランを後にした。あまり期待はしていなかった。振り返り、店の看板を見た。「フーターズ」(参考)。もちろん、あの男はデニスを雇わないだろう。デニスにはそもそも、ふさわしい資質がなかったのだ。とりあえずトライしてみるべきとのアンバーの意見に従っただけなのだ。アンバーによると、フーターズのウェイトレスは、他のレストランのウェイトレスよりはるかに高額の賃金をくれるらしい。デニスは、それに促されて応募したものの、彼には、そもそも、その仕事をする資格がない事実に目を閉ざしていたのである。

学生寮の部屋に戻った。誰もいなかった。デニスは課題をするため机に向かった。勉強を始めて1時間ほどした時、デニスの電話が鳴り、彼は電話に出た。

「もしもし?………そうです。………ええ、まだ興味があります。………もちろん。………では、明日の夜、伺います」

電話を切り、デニスはにんまりとした。フーターズに雇われたのだ! デニスはすぐにアンバーに電話し、その知らせを話した。アンバーの喜びは、デニスのそれよりも大きかった。

「お祝いをしなくちゃね。今夜はダメなの。明日、テストがふたつあるから。今週の週末はどう? ダンスに行かない?」 とアンバーが言った。

デニスは嬉しさから、ためらいすらしなかった。「ああ、良さそうだね」

*

「全米自由人権協会ACLUは、何年も前からうちをつけまわしていたんだ。うちには、ジェンダーの公平性が欠けているとね。だから、こうすれば、連中を黙らせられると期待している」

翌日、リコはデニスにそう説明した。デニスは約束の時間の15分前に来ていて、リコのオフィスに行くよう指示された。リコはデニスに衣装類を渡した。

「君のユニフォームだ。君にはホステスとして仕事を始めてもらうつもりだ。とりあえず、仕事の具合を確かめるためにな。着替えをしたら、アイリーンが君に手順を教えるだろう」

話しが終わったと察知し、デニスはオフィスからそそくさと退出し、ウェイトレスのための小さなロッカールームに入った。中に入ると、半裸状態の美しい女性が10人ほどいた。デニスは、半年前なら、この部屋に入るためにいくら払っただろうと思い、ちょっと笑ってしまった。だが、現状、彼に見えてるのは、ただの女性たちだ。友だちになるかもしれないし、あるいはライバルになるかもしれない、そんな女たち。以前とは異なり、欲望の対象としては見えなかった。

デニスは空いているロッカーを見つけ、服を脱ぎ始めた。

「あんたが、オンナ男ってわけね。えぇ?」 と黒人の女の子がデニスに声をかけた。「チップを全部かっさらうつもりなの? あたしたちから男を奪うだけじゃ、物足りないというわけ?」

「ええ、何て?」 とデニスは驚いた。

「あたしはねえ……」 と黒人女性が始めたが、背の高いブロンドの女性に遮られた。

「いいから、やめなさい、ジャッキー。彼は置かれた状況を何とかしようとしてるだけなの。ほっといてやりなさいよ」

その女性はそう言った後、デニスの方を向いた。「私はアイリーン。ジャッキーのことは気にしないで。彼女、ついこの前、彼氏がボイとベッドにいるところを見つけたのよ。だから、今はちょっと苛立ってるの」

「ああ……」 デニスにはそれしか言えなかった。

彼は渡された衣類を調べた。フーターズの白いタンクトップ、オレンジ色のショートパンツ、褐色のパンスト、白ソックス、白い靴、それに彼の名前が書かれた名札があった。

服を脱いだ後、最初にパンストから始めた。滑らかな脚に沿って巻いたストッキングを上げていき、整える。裂け目を作らずに履く方法はアンバーから教えてもらっていた。次は、ショートパンツだった。履いてみると、すごくキツイ。ピチピチだった。そしてタンクトップ。これも身体にぴっちり密着した感じだった。最後にソックスを履き、テニスシューズを履いた。

近くの鏡の前に立った。ユニフォームのすべてがピチピチなので、身体の線に関して、見たまんまであり、想像の余地はほとんどなかった。丸い腰、膨らんだ尻頬、そして、その他は引き締まった身体。それが、そのまんま、鏡に映っていた。自然と目は股間に移ったが、彼のペニスによるわずかな盛り上がりがあったものの、ほとんど気づかれないものだった。胸に目を向けると、膨らんだ乳首がはっきりと突き立っていて、薄い生地を中から押していた。概して言えば、この衣装の効果はかなりセクシーだと思った。

振り向くと、そこにはアイリーンがいてデニスを見ていた。彼女がいつからそこにいて、鏡を見つめるデニスを見ていたか、分からない。

「恥ずかしがらなくていいのよ。もし、私があなたのような身体をしていたら、あたしも見つめてしまうと思うわ」

そうアイリーンは微笑みながら言った。それを聞いてデニスは一瞬にして彼女を好きになった。アイリーンは175センチほどの長身で、きわめて大きな胸をしていた(明らかに豊胸手術を受けたと分かる)。その他の点では痩せた体形をしていた。彼女の笑顔はとても温かみがあり、人を和ませる笑顔で、デニスは彼女と一緒にいると気が休まると感じた。

アイリーンが良い人だったことは、本当に幸いであった。というのも、その後に続いた仕事がデニスにとって悪夢以外の何物でもなかったからである。ヒューヒュー声をかけられたり、言い寄られたり、身体を触られたりするのは避けられないだろうと、心の準備はしていた。だが、この仕事自体がかなり難しいことについては予想していなかったのだった。あらゆる仕事が高速回転で進行する。しかも、ホステスとしてだけで働いていても、そうなのだ。仕事の終わりになり、着替えをしながら、ここで働こうとした決心は間違っていたのではないかと思い始めていた。

「顔を上げて、胸を張りなさい、ボイさん!」

背中からアイリーンの声がした。「あなたは、私の初日よりは、ちゃんとできてたわよ。本当に。私なんか、仕事の途中から、泣きだしていたもの。あなたなら大丈夫」

彼自身、驚いたが、その言葉にデニスは本当に慰められた。あまり過酷に消耗してしまうことがない限り、この仕事が続けられるように思った。この店の喧噪状態に慣れるかどうかの問題にすぎないのだと思った。

*

その週の金曜の夜、デニスは仕事休みだった。彼はその週の金曜以外の夜は、ずっと仕事をしており、職場の狂ったような忙しさに慣れ始めてきたところだった。しかし、この日は休みを取れて、とても嬉しかったデニスである。だが、その嬉しさには、少なからず不安も混じっていた。

今夜は、アンバーがお祝いをしたいと言った夜である。つまりは、ダンスに出かけることを意味する(これは、デニスはそれまで一度も経験がなかった)。アンバーは、デニスのためにキュートで可愛い服を選んだ。タイトなパンツとタイトなオックスフォード(参考)のブラウスである。そしてふたりは地元のクラブに出かけた。

クラブの中、どっちを見ても、ボイが男性とダンスしたり、いちゃついていたり、さらにはキスをしていたりするところが目に入った。もちろん、そうだろうなという予想はあったが、予想することと実際に目の当たりにすることは、まったく異なる。デニスは急に居心地悪くなるのを感じた。

もし誰か男が自分にキスしようとしたらどうなるだろう? 身体を触られたらどうなる? 男とダンスしなければならないのだろうか? それにダンス自体、どうなんだろう? ダンスの仕方は知っていた。女性がダンスするところも何度も見たことがある。でも、デニスは自分の能力に自信がなかった。確かに、ここ数日、職場で似たような難問に直面してきたけれど、職場では、これは仕事なんだと割り切ることができた。あのユニフォームは、ほぼ変装のような役割を果たし、遊び上手で浮気っぽい女性の仮面の下に本当の自分を隠すことができた。でも、このクラブで、ダンスフロアにいる他のボイたちを見ながら、こうして立っていると、デニスは丸裸にされてる感じがした。彼は、完全に100%自意識過剰の状態になっていた。

「リラックスすればいいの、デニス」 とアンバーが声をかけた。「あなたは、したくないことは何もする必要はないんだから」

アンバーの声で彼は我に返った。パニック状態を和らげてもらった。もちろん、アンバーの言うとおりだと思った。不安な気持ちを抑え、彼は言った。「一緒に踊ろう」

デニスはこれまでもクラブに行ったことはある。でも、あの変化の後のデニスにとって、クラブがいかに違った場所になっているかについては、どんな心の準備も可能ではなかっただろう。アンバーとダンスをしている間、ずっと、男たちの視線を感じ続けた。そして、デニスはそれが悪い気はしなかったのである。目立ちがり屋になって人の関心を惹くというたことが一度もなかったデニスだったが、この時は、気がつくと自然に、普通よりちょっとセクシーにダンスしようとしていた。そうやって積極的に男性の視線を浴びようとしていた。

わざと身体をダンス相手の男性に擦りつけたり、彼らの体格を身体で感じたり、彼らの力強い手で身体をまさぐられたり……。その夜も半ばにさしかかった頃までには、デニスも悟っていた。自分は男たちが触ってくる触り方が好きというよりも(確かに、それも好きなのだが)、それよりもむしろ、男たちから求められているという感覚の方が好きなのだと。この建物の中にいる男性のほぼ全員が自分を求めている。そう実感でき、その事実に彼は喜びを感じた。

何時間もダンスフロアで踊った後、ようやくデニスもすっかり疲れてしまった。仮に自分が求めれば、ここにいる男たちは僕を家に連れ帰るために列をなすだろうと思った。だが、デニスはアンバーとふたりっきりで寮に戻ったのだった。

*

デニスの生活は、学校と仕事、そしてたまにあるパーティのリズムに落ち着いた。日を重ねるごとに、週を重ねるごとに、デニスは、この新しい生活に馴染んでいったし、デニスとアンバーの間も密接になっていき、互いに一番の親友と言える間柄になっていた。デニスは、間もなく、ホステス係から給仕係へと昇格し、それに伴って、チップも大幅に増えた。

彼は、冬休みに入る直前、ある男性と初めて一緒に寝た。最初はちょっと痛かったけれど、すぐにその痛みは快感へと変わり、最後には、デニスは情熱的に反応していた。後から思い出そうとしても、デニスはその男の名前を思い出すことすらできなかったが、その男の姿かたちや、彼のペニスの姿、そしてそれで突きまくられた時の快感はしっかりと覚えていた。その一夜の出来事が、デニスにとって転換点となった。その後、彼は、以前のシャイで控えめで、いつも恥ずかしそうにしている存在から脱却し、自分がボイであることを完全に受け入れ、肯定的に生きるようになった。

それから間もなく、デニスは本格的にデートを始めるようになった。毎週、週末、違った男性とデートに出かけ、この世界が提供してるモノをすべて採集するようになった。相手と寝る時もあれば、そうしない時もあった。アンバーはと言うと、そんな彼をいつも支援し、デニスとダブルデートすることも数多くあった。ある時など(酔った状態で受けてしまったと、後でふたりとも後悔したことだが)男性ふたりと4人プレーをしたこともあった。その男性ふたりは、典型的な大学生で、ボイと女性を相手にするという物珍しさから誘ったらしく、ただ快感をむさぼるだけだった。

アンバーが、デニスに対する気持ちが友情を超えたものであると告白したのは、大学を卒業した後、デニスが修士課程に進学し、アンバーがエンジニアになった時だった。

「あなたを愛しているの」 とその夜、ディナーをとりながらアンバーが言った。「ずっと前から」

デニスは何と言ってよいか分からなかった。彼自身、何度かそういう目でアンバーのことを見たことは確かにあった。でも、それはいつも一時的なものだった。彼は、そんなことを考えるのは、前の男性としての生活の名残にすぎないのだと無視したのだった。だが、ひょっとすると、そのような考えは何か別のものなのかもしれないのでは? 自分も、アンバーに同じ感情を持っているのでは? これまでもずっと、心の片隅で、アンバーの気持ちは単なる友情を超えたものであることは、ある意味、知っていたのだと思う。そして、彼女がそれを告白するまでは、そのことを無視することができていた。

「何と……何と言っていいか分からないよ、アンバー。……僕も君を愛している。でも、その気持ちが何であるか分からないんだ。これまではただの親友と思っていたけど、でも……」

「言うべきじゃなかったわね。……ごめんなさい。ただ、どうしても……」

「最後まで言わせて」 とデニスが遮った。「僕も君に気持ちがあるんだ。だから、思うに……その気持ちを、ふたりで探究してみるべきだと思うんだ」

アンバーは何も言わず立ち上がり、身体を傾け、テーブル越しに顔を寄せ、デニスの唇にキスをした。デニスは、彼女の唇が触れた途端、悟った。そこには愛情があった。彼が男性に対して感じる愛情とは、多分、異なる愛情。だが、同じくらい強い愛情。

長い年月を経て、デニスはようやく見つけたのだ。ずっと前から欲していたのに、なかなか捉えられなかったものを。本当に心から自分を愛してくれる人を見つけたのである。自分の姿かたちが良いから愛してくれてるのでもなく、快楽を与えてくれるからでもないし、一緒に連れて歩くと自慢できるからでもない。それとは異なる理由で愛してくれる人。アンバーは、まさにデニスがデニスであることでデニスを愛してくれている。

その後、ふたりは永遠に幸せな人生を送っただろうか? そうはならないかもしれない。デニスは、生い立ちでひどい精神的ダメージを受けてきたボイであり、アンバーは、おそらく、デニスが彼女を想っているよりも、デニスのことを愛しすぎている。でも、この瞬間、ふたりは愛しあっていた。そして、愛があるところには、希望もあるものである。それ以上、何を望めようか?


おわり
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