「暗示の力」 The Power of Suggestion by Nikki Jenkins Source
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悪いことだと知っていた。していた間ですら、分かってた。大変なことをした時、知らなかったと主張する人がいる。でも私は違う。私はずっと自覚していた。それが私を悩ませている。今でも。

もちろん、子供の時に父が読んで聞かせてくれたおとぎ話とは違って、社会は邪悪な人を懲らしめるなど、実際にはない。私もそんな邪悪なことをしたのに懲らしめられていない人と言える。お金、権力、尊敬。私にはそのすべてがある。誰も、私の傲慢さや倫理観の欠如について言いたてたりしない。私は投獄されてもいない。一人の男性の人生を奪ったのに。彼の本来のアイデンティティを奪ったのに。厳密に言って私は法にすら背いていない。私の弁護士はそう言っている。

何よりも、誰かが私にもうやめなさいと言ってくれたらよかったのにと思ってる。自分の行為について警察に報告できるかもしれないという希望はとうの昔にあきらめていた。少なくとも私の生涯をかけた仕事を思うとそれはできない。手に入れられるかもしれないことを思い、自分が失ったものを見失ってしまう。それは実にたやすいことなのだ。

でも、それは今となっては、どうでもよくなっている。彼は去ってしまった。比ゆ的にも文字通りの意味でも。そしてそれはすべて私のせいなのだ。私の夫、私の最愛の人。彼が去ってしまった。単に、私がやめることができなかったせいで。

 どうしても誰かに話さなければいられない気持ちになった。私の話しを誰かに伝え、判断してもらいたい気持ちになった。そして、これはその試みである。もう、遅すぎるかもしれないけど。自分がとった行動をはっきり示し、皆さんに判断してもらう。このような形で私は責任を取りたいのだ。





彼と一緒になれて私は幸運だった。彼はとてもハンサムで、ほとんど可愛いと言っていいほど。それに、彼は誰よりも私を愛してくれた。私はずっと前からとても内気な女だ。それに、何といっても、私の生活は仕事ばかりになっていたし。私は、これでいいのよと自分に言い聞かせていた。もちろん、それは間違っている。これでいいと言う人間は、いつも間違っているものだ。

仕事。仕事のせいで私は非常に多くの交際の機会を奪われていた。そして、その仕事が、私がやっと手に入れた唯一の存在を破壊してしまったのだ。その仕事からどんなことが帰結として出てくるか分かっていたら、そもそも、それを開始しなかっただろう。医者か弁護士になっていただろうと思う。何か無害なものに。でも、その時の私には、後でどんなことになるかを知ることはできなかった。生化学での私の仕事が私にどのような道を進ませることになるのか、その時の私には分からなかった。

最初は、とても無邪気なもののように思えた。広告業界は何年も前から人々を操作しようとしてきた。私がしてることなんて、それより悪いと言えるの? 同じじゃない? 確かに、いかがわしいところがあるけど、でも、脳が暗示を受容する性質を増幅できる薬があったとしたら、その使い道を考えてみて? まぎれもないマインドコントロールが簡単にできるとしたら、それをやめられる人がどれだけいるかしら? 私にはできなかった。

この薬は、真のマインドコントロールに向けてなされてきた数多くの研究における最初の成功例だと思った。政府は、この薬剤をテロの容疑者を尋問する際に使える非侵入性の手段と判断した。容疑者にこの薬剤を与えれば、真実を話す、と。ヤッタ! これでたくさんの人命が救われる。

とにかく、私は少し……この薬のテストに、少し夢中になりすぎていた。そして、この薬を夫に与えたのである。単純なテストのつもりだった。長期にわたるようなテストのつもりではなかった。でも、前に言ったとおり、私はやりすぎてしまったのだった。

「あなた、もっと髪が長くすると素敵だと思うわ」

私は夫に薬を与えた後、そう言った(もちろん、彼に分からないように投与した)。ちょっとした遊びのつもりだった。後になってから、笑って話せるようなことのような。





あの時点では、私はあまりに自分に誇りを持っていて、ただただテストを続けることしか頭になかった。もし、あなたが望むことをどんなことでも誰かに実際にさせることができたら、あなたならどうする? すべての女は自分の男を変えたいと思っている。これはありきたりのフレーズだけど、でもこれは真理。彼氏の身体的なものせよ、性格的なものにせよ、可能なら変えたいと思うところが必ずあるもの。思うに、これがこの件のすべての根本原因だと思う。

多分、この薬剤の使用プログラムについてもう少し説明しておくべきかもしれない。小さな事柄については、この薬だけで十分である。でも、実験したところ、本当の変化をもたらす唯一の方法は、薬にあわせて、長期にわたってサブリミナルにメッセージを送り続けることであると分かった。たとえば、誰かにハンバーガーでなくサラダを食べたい気持ちにさせたいとする。その場合は、(よほどの肉食好きの人間でなければ)おそらく薬の投与で充分である。しかし、もし、その同じ人間に、今後いっさい肉食をやめさせたいと思ったならば、先のようなサブリミナルなメッセージを合わせることが必須になる。そして、その場合でも、その変化を恒久的なものにするには数週間から数か月必要となる。

ちょっと、話しを先走りし過ぎてしまってるような気がする。そもそも、私がどうしてあんなことをしたのか、私自身どう説明していいか分からない。それに私には、その変化をどう描写してよいか、その言葉すら知らないというのが実情だ。…だから、私からは説明しないことにする。私からでなく彼に説明してもらうことにする。最初に彼に「示唆」したことの一つは、日誌をつけることだった(彼が薬を投与されてる間、どんなことを感じるかの記録が欲しかったから)。そういうわけで、以下では彼の日誌の記述に説明を譲ることにする。

……僕はずっと前から自分の筋肉について気にしすぎてきたように思う。というか、少なくとも半年前までは、気にしていた。たぶん、単に僕の嗜好が変わっただけかもしれない。長い髪の毛と同じように。ジェニーは僕の髪を気に入ってくれてるけど。少なくとも彼女が気に入ってるならいいさ。ともかく、これまで僕は自分が格好いいと思っていたけど、今はちょっと変な感じだ。…何というか、自分の格好。ジムでいつも気にしていた体のこと。いま思うと、僕は筋肉を鍛えるために一生懸命頑張りすぎていたように思う。実際、筋肉がついてきてたし。だけど、僕は充分、男なのだから、男であることを証明するために盛り上がった筋肉なんて必要ないんじゃないかと思う。

ほぼ27キロ。今朝、計った。今までしてきたことがこんなに成果を出すなんて、笑えてくる。前はどんだけ食べてたか思い出す…今はというと、サラダを食べて、それで完全にお腹いっぱいだ。正直、ジェニーの方が僕より食べている。食事とエアロビクスのコンボのおかげでまさにこの奇跡が起きた。毎日、ジムに行くと、男たちがあんなウェイトを持ち上げては、周りのみんなに、自分がいかに男らしいか誇示し、見せつけている。あれって、病的だな。今の僕はベンチプレスでやっとバーを持ち上げらてるくらいだけど、筋肉はこれ以上いらないと思ってる。あの男たちもいずれ僕のように覚醒するといいと思うよ。





自分の服が嫌いだ。もう、どれもフィットしない。あれだけ体重を落としたあとだから、全然合わない。こうなることを考えるべきだった。77キロから48キロ(今朝、計ったんだ!)に減ったので、サイズも大きく変わるものだ。でも、減量はこれで終了かなと思う。身長160センチだから、これが適正体重だと思う。

以前は背が低いことをとても意識していた。思えば、背が低いことが、僕が筋肉のことをあんなに気にしていた理由だと思う。でもジェニーが僕のiPodにあの「リラックス・ソング」の数々を入れてくれて以来、僕は背の低さのことを次第に気にしなくなっていた。

ああ、ようやく僕はクレイグとかの連中のことは、もういいやと思うようになった。かつては、あいつらのことを僕の友達と思っていたけど、今は…。どう考えていいか分からない。たぶん、彼らは僕のことをねたんでるのか何かだと思う。僕が「女のように見える」とか「そんなに短期間にそれだけ体重を落とすのは体に良くない」とか、何度も何度もしつこく言う。あの言い方! …僕が? 女の子のように見える? 何をバカなことを言ってるんだ。確かに、そうだ。僕は前よりずっと痩せたよ。でも、僕は女の子のような体つきになってるなんて全然ありえない。

連中は単にねたんでるんじゃないかという僕の意見にジェニーも同意していた。僕は連中とその場ですぐに縁を切りたいと思ったけど、ジェニーは、後で後悔するかもと言っていた。たぶんジェニーの言う通りだと思う。あいつらとは子供のころからの付き合いだ。たぶん、あいつらもそのうち気にしなくなると思う。

でも、そうだよ。これは本心なんだけど、本当に新しい服が必要だ。





どうしてこれまでこれをしてこなかったのか分からない。これはすごい。空気が僕の肌に触れる感覚…わーお! それにジェニーも賛成してくれてるし。ジェニーはツルツルになった僕の肌を撫でまわしてて、やめられないみたいだ。

やってみるまで、どうなのかわからなかった。体の毛を剃るって、これはすごい大前進だ。だけど、これは僕は喜んでしたことだ。それに毛を剃ったら、あそこがすごく見えるんだ! でも、どうして毛を剃ろうって思ったんだろう? もうそれすら忘れてる。

毛がたくさん生えてても、それで完璧によかったんだけど、ある時、急に、肌がつるつるになったらいいなって思った。たぶん、雑誌かなんかで読んだんだと思う。コスモポリタンかグラマーかな。女の子が男に何を望むか、素晴らしいアイデアが載っていた。それにああいう雑誌に載ってる服ってすごいし。もちろん、アーティスティックな意味でだよ。僕が着るわけではない。ともかく、ああいう服、可愛いって。女の子が着ると。

最近、どうなってるのか分からないところがあるけど、僕はいろいろ変化をしてきた。大半は、外見に関することだ……たぶん、僕もようやく成長したということなんだと思う。他の人が僕をどう見るかについて、最近、ますます気にしなくなってる感じだ。…いや、違うか? もっと具体的な…そう、他の人が僕が男性的かどうか、それが気にならなくなってるという感じ。

たとえば、男たちはたいていおへそにピアスをつけない。それはよく知ってるけど、僕はのそれを割と格好いいと思ってる。他の人がなんて言うかなんて気にしない。クレイグに見せた時のように……あのとき、クレイグは僕をじっと見て、ただ、頭を左右に振っていた。そして、去って行った。あれからクレイグからは何の音沙汰もない。なんて心を閉ざしたやつなんだ。ああいうやつと親友だったなんて信じられない感じだ。





というわけで、今日、ジェニーとショッピングに行った。ずっと前から行きたかったけど、仕事があってなかなか行けなかったから。ちゃんと自分にフィットした服を買うまでは、ジェニーのユニセックス風の服を借りて着ていた。ちょっと僕には大き目だけど、少なくとも、道を歩いてて、ずり落ちてしまうことはない。

もう僕には紳士服のサイズでは合わなくなってる。このことに心構えをしておくべきだったと思う。でも、紳士服売り場に行って棚に並んでる服を見るまで、これを考えたこともなかった。そこに並んでた服は、僕が着たら全部だぶだぶになりそうなのばかりだった。結局、紳士服はあきらめて、すぐに子供服売り場に行き着いた。今度は、確かにサイズが合ってるのもあったけど、でも僕の体型に沿うようなものじゃなかった。それに、スタイルも限られていて、選べるようなものがなかったし。

というわけで、10代向けの服の売り場に来ていた。そこならいいものがありそうだと思った。そこの服は10代の女の子向けの服ばかりで、その点についてはジェニーに文句を言ったけど、でも、内心、そこの服がなんて可愛いんだろうと感じていた。それを見ながら独り言を言い続けた。ジーンズとTシャツだけ…。ジーンズとTシャツだけ…。派手すぎないやつ…。女の子っぽくなさそうなやつ…。もし僕一人で買い物に来ていたら、なかなか決められなくて何時間もかかってしまっただろうと思う。

でも、このショッピングをしながら、一種、怖い感じを味わっていた。なんと言うか、男なのに、衣服について10代の女の子のように大騒ぎしてる自分って、どんな男なんだろう? って。 そのことは怖くてジェニーに言えなかった。でも、ジェニーは、何も変なことじゃないといったふうに振舞っていた。だから僕がちょっと過剰にはしゃいでも、何ということもないのじゃないか? たかが服だ。何ということもないのじゃないか? 着ている服で人間としての僕の何か分かるわけじゃないし。そうだろ? 

とにかく、今日は一番キュートな服を着てみた。とてもベーシックな服。ただの白いTシャツとジーンズ。でも、これを着ると……なんとなく自分に自信がつく感じになる。





最近、ジェニーがどうなったのか分からない。急に僕にものすごく迫ってくるようになっている。しかも、すごく攻撃的に…ほとんど乱暴にと言ってもいいほど。それが嫌だと言ってるわけではない。でも、心の奥では、ふたりの関係では、男は僕で、彼女ではないと思い続けている。もちろん、バカげたことだとは知っている。僕はもちろん男なんだから。

最近は、ふたりで愛し合うときの愛し方が、以前とはずいぶん変わったように思う。例えば、今日のように…

僕が家に戻ると、ジェニーは文字通り僕に襲いかかってきた。何と言うか、今は、彼女の方が僕より強くなっているし、僕も体重がすごく減ったので、ジェニーはその気があれば、僕を抱き上げることすらできるようになっている。彼女が僕の身体をまさぐったり、触りまくったりする、その仕方……。何と言うか、僕は、彼女がああいうふうに支配的になるのが大好きだ。ジェニーが好き放題にしたいことをし、その間、僕はなすすべもなく、なされるがままになっている。これって、すごくエロティックだ。

でも、言いたいことは、そのことじゃない。それも一部かかわっているとは思うけど、ほんの小さな部分にすぎない。僕たちが愛しあうときの愛しあい方だけど、ほとんど、僕たちがレスビアンのカップルのようになっている。確かに、今も普通のセックスはしているけれど、急に前戯の部分がずっと重要になっている。彼女に挿入しても、その行為自体は、ほとんど後からのおまけのようになっている。

僕はジェニーがいったかどうか、いつも気にかけてきた。これまでは、そのことが重要なことだと思っていた。でも今は? 今は、むしろ彼女がいくことで、僕もいった気持になるような感じだ。

いや、それが悪いことだと言ってるわけではない。僕は、ジェニーに僕と同じくらいセックスを楽しんでもらいたいと思っている。それが夫婦でいることの意味の一部だと思うからね?





今日は僕の誕生日だった。23歳。誕生日を友だちナシで過ごすのって変な感じだった。友だちと言うか、元の友だち。最近の僕の服装を見たら、あいつらが何て言うか想像できる。

僕が女物の服を着てるかなんて、誰が気にするって言うんだ。その服の下に、可愛い女物のブリーフを着てるのがバレたら、大ごとだろうけど。特に、ジェニーが僕に買ってくれたこの青いブリーフは可愛い。黄色い縁がついていて、僕のお尻を「ファンタスティックに」見せてくれる。これはジェニーが言った言葉であって、僕が言ったことではない。

今日は、さっき、ちょっとした出来事があった。ジェニーから誕生日プレゼントをもらった後、彼女と一緒にワインを飲んでいた時だった。ふと、うつむいてうつ向いて自分の姿を見たとたん、僕はパニック状態になってしまったのだった。急に、自分が何て格好をしてるんだと、信じられない気持になったのだった。自分がすごく弱くて、飢えてて、そして…女性的だと感じた。自分が女物の服を着てる事実を痛烈に意識したのだった。滑らかな肌、長い髪の毛……何もかも度が過ぎてると。僕は叫び声をあげ、たぶんその後、気を失ったのだと思う。気がついたら、ジェニーの膝を枕にカウチに横になっていたから。ジェニーは、愛しげに僕の髪を撫でていた。

すると、不安感が急に消えたのだった。再び、何もかも、普通のことに感じられるようになった。

ジェニーは、たぶんちょっと飲みすぎたからだろうと言っていた。アルコールのせいで、自分の人生の選択について、何か抑圧された感情が表に出てきたのだろうと。「あなた、こんなにたくさんのことを変える決断をしてきたんだもの、当然だわ」と。

確かに、ジェニーの言うとおりだ。僕はいろんな変化を決断してきた。でも、何か僕を浸食しているものもあるのは事実だ。僕は黙ってただ座っていた。10分くらい沈黙していたと思う。そしてふと気づいたのだった。もし、僕が自分の決断にそんなに居心地の悪さを感じてるなら、その不快さの痕跡があるはずじゃないかと。でも、そんなものはない。僕は完璧に心穏やかな状態だったのだ。

そして、まさにその点が僕にとっては謎だった。





生れ故郷。でも、ここが自分のホームと思うことすら、とても変に感じる。もう5年も帰っていなかった。なのに「ホーム」と言えるのか? でも、ここで僕は育ったし、高校に通ったし、初めてのガールフレンドと出会ったし、初めてのキスをして、初体験もした…ずいぶん前のことのように思える。

でも今の僕にとってのホームは、マイアミであって、ここミネソタ州ダルースではない。たとえこの地に僕の歴史がどんなにあっても。とはいえ、僕がいくら帰りたい気分がなくても、帰省しなければいけない時がある。少なくとも今回はジェニーがそばにいて、僕をサポートしてくれてるから、その点は気が楽だ。

空港で僕を見た時のママの顔。ママが何も言わなかったけれど、あの表情はママが言いたかったことのすべてを語っていた。でも、それは僕にはどうでもいい。ママが今の僕を受け入れてくれても、受け入れられなくても構わない。それはママの自由だ。

故郷の町に出ても、かつての知人に会いたいとは思わなかった。だけど、そういう期待って、えてして裏腹の結果になるものだね。実際そうなってしまって、最初に会ってしまった人は、僕の高校時代の彼女アビーだった。ママにスーパーマーケットに牛乳を買いに行かされたんだけど、そこで彼女と鉢合わせしてしまったのだった。アビーは最初、僕を認識できなかった。当然だ。でも、僕の目を見たとたん、分かったようだ。どんなに僕が変わっても、アビーは僕の目を見れば認識するだろう。

アビーは僕の変化のことを話題にしたくないようだった。それは僕にも分かる。でも、彼女の好奇心の方がまさったらしい。

「あなた、あの…、今は女の子なの?」

僕は笑った。どうして人は、僕が単に他とは違う男だという事実を受け入れることができないんだろう? どうして人は、僕がなにか性転換者のような者だという結論にすぐに飛びつくんだろう?

と言うわけで僕はどうして今の姿になっているか説明した。全部、説明した。多分、必要以上のことを言ったかもしれないけど、結局は、何を言っても変わらないだろうと思う。アビーは、かつてつきあっていたはずの男性を見ていなかった。ただ、自分がみたいと思ってることしか見ていなかった。

それにしても、少なくとも僕の服は彼女の服よりキュートなのは事実。アビーと再会した時、僕はこのピンクのセーターを着て、青いスカーフを巻いていた……




10

最近、とても気持ちが弱くなってきている。そんなことバカげたことだとは思うし、ジェニーにも話していない。でも、自分がとても小さくなった感じで、周りの人の誰もが僕を襲おうとしてるように感じてしまう。いつも男たちに視線を向けられているような感じだ。男たちの目に浮かんでるあの表情。実際、彼らは僕を見る時、男を見る時の目をしていない。男だろうが、女だろうが関係ない。若くて可愛い、欲望の対象。そんなものを見る目つきで僕を見てる。そして、僕の中に、そんな目で見られることを好ましく感じている部分がある。求められるのを喜んでる自分。でも、また別の部分も僕の中にあって、そういうことの帰結としてどんなことになるのか恐れている部分もある。

帰省旅行は最悪だった。ジェニーは違うと言ってるけど、彼女は間違ってる。完全に間違ってる。

あれは面白そうだし、危険だし、クレイジーなことのように思えた。高校生くらいの悪ガキがやるようなこと。大人はしないこと。でも、アビーと僕が高校の頃やったことをジェニーに話したら、彼女はそれをやってみたいと言ったのだった。ジョンソンさんは外出中だし、どこが危ないのと。そんなわけで、僕とジェニーはあれをやってみることにした。ふたりでジョンソンさんの家に忍び込み、裸になって、お風呂に飛び込むと(ジョンソンさんはいつも裏ドアにはカギをかけないでいる)。そういう計画だった。先にジェニーはお風呂に飛び込んでいた。そして彼女に続いて僕もお湯の中に入ろうとした時だった。その時、玄関ドアの向こう、パッと明かりがついたのだった。

「お前たち、ここで何をしてるんだ?」 と恐そうな声で怒鳴られた。「早く服を着なさい! それに……アレックス? おいおい、お前、アレックスなのか?」

僕はどう言ってよいか分からなかった。何も言えないじゃないか。だって、よその人の家の中、素っ裸のまま座らせられていて、警官に尋問されてるのだから(無音警報装置め!)。しかもその警官は、僕が高校時代によくいじめていた同級生だったのだから。

彼らがどんなふうに思ったかなんて、気にすべきじゃないのは分かってるけど、でも、彼の笑い方は…変身した僕の姿を見ての笑い方…。…でもまあ確かに、ジェニーの言うとおり、完全に最悪というわけでもないかもしれない。




11

しばらくこの日誌をつけていなかった。というのも、書きとめるようなことがあまりなかったから。いつもの通りの毎日だったと思う。時々、以前、知り合いだった人たちとバッタリ出くわすことがある。そういう時、その人が僕を認識するかどうかは、一種、運任せのようなものだ。それに僕もそういう時、どう感じるか自分でもよく分からない。

僕は、人が僕のことを女の子のように言ったとき、いちいち訂正するのはやめてしまった。「お嬢さん」でも「奥さん」でも、ただ聞き流すことにしている。そんなの訂正する価値もないからね。それに、いくら僕は男だと言っても、半分くらいの人は信じることすらしない。やっぱり、こういう時も、僕は自分でもどう感じてるか分からなくなっている。

ひとつだけ確かだと思えることがあって、それは、僕とジェニーとの関係がこれまでにないほど良くなっているということ。まるで親友同士のような関係になってる。それは良いことだと思う。だって、僕にはもう親友と呼べる人がいなくなっているから。ああ、それで思い出した。先日、ロブに会ったんだけど、うまくいかなかった。全然ダメだった。

ロブは僕を見てすぐに僕のことを分かってくれた。実際、人が僕を見てがっかりする表情を浮かべることに最近ようやく慣れてきたのだけど、その表情がロブの目にはなかったので、僕は大きな期待感を抱いた。でもこの時すでに大きな間違いをしてたのかなあ? ロブは、僕がちょっと変わった服装になっている事実を無視しようとしてたのかなあ? そうであったらいいなと期待したし、彼がコーヒーでも一緒に飲んで、その後どう過ごしてきたか話さないかと誘ってくれた時には、ますます期待感が盛り上がった。もちろん僕は喜んで彼の誘いに乗った。

まあでも、彼が僕をデートに誘っただなんて、どうして僕に分かるだろう? いや、実際、男の人に誘われることは時々あった。よく知らない男から誘われることがあって、それには慣れていた。でも、ロブだよ? 彼は僕の結婚式の時の付き添いをしてくれた人なんだ。彼は僕がゲイではないことを知っている。僕がそう言ったとき、ロブが何と言ったか? 僕は彼の言葉を絶対に忘れないだろう。「いいかい、アレックス。君がゲイかどうかなんて、誰も気にしないよ。君が突然、女の子というか、女装子というか、君が最近してることを何と言うか分からないけど、そういうものになりたくなったのかなんて、誰も気にしていないって。でも、それは認めた方がいいぜ。平気な顔して、自分はノーマルですって顔をするのはやめた方がいいって」

僕はカッと来て、立ちあがり、剣幕を立てて立ち去った。コーヒー代は彼に払わせた。コーヒー代は、あんなふうに僕を侮辱した償いだ。でも、確かに僕は怒ったけれど、事実に関しては無視できなかった(本当は心から無視したかったんだけど)。実際、僕は女の子のように見えている。少なくとも極度に女性的な男に見えている。これは事実だ。いや違う! 連中は僕が可愛いことに嫉妬してるだけなんだ。そうだ、それだ! 僕は前と変わらぬ男だし、自分がその気になれば、充分に可愛らしくなれるほど成長したんだ。

可愛らしいという言葉で思い出した。先日、この可愛いパンティを買ったんだ。ジェニーが家にいる時はこれを履かない。これは自分のためだけ。僕の初めてのソング・パンティ。赤くて可愛い小さなピンクの蝶結びがついてる。すごく素敵!




12

どうしてか分からないけれど、ソング・パンティを履くと、とても淫らな気持ちになる! ジェニーには言ってないし、これを履いた姿を彼女に見られないように注意している。でも、できるなら、毎日でも、履いていたい。この何週間かで、とてもたくさんこういうパンティを買ってきたので、ビクトリアズ・シークレット(参考)の女店員さんたちは、もう僕の名前を知っているほど。それにしても、最近、洗濯は全部僕がすることになっていて、良かった。でなければ、ジェニーに絶対に見つかってしまうから。

あ、確か、このことをまだ言っていなかった。先日、僕は会社をクビになってしまった。ケインさんから、僕のポジションを縮小することになってねと言われた。でも…、ああ、これ言うの恥ずかしいなあ…でも、言ってしまおう。だって、他の人がこれを読むことなんてなさそうだから…。ともかく、退職に関する面接をしていた時の出来事。僕は、その面接のときに、仕事を続けられるためなら、どんなことでもしますと言った。そうしたらケインさんが「どんなことでも?」と訊き返した。それで僕は頷いた。すると、ケインさんはいきなりズボンのチャックを降ろしたんだ。まさにその面接の場で。僕は何て言ったらよいか、どうしたらよいかも分からなかった。ただ、黙って座っていた。彼がチャックを元に戻すまで。僕はすぐに退職届にサインして、会社を出たよ。

後から分かったけど、僕は解雇にあたってかなり高額のお金をもらえるようだ。やったー! 何もしないでお金が入った。僕がしたことは、退職届にサインして、会社に対していかなる訴訟行動も起こしませんと宣言しただけ。でも、何のための訴訟? クビになったことに? それだったら訴えたいなあとは思うけど。

話しは変わって、そのクビになった日に、ジェニーにこの可愛い服を買ってもらった。ただのジーンズのショートパンツと青いトップだけど、これが僕には似合うと思っている。




13

ジェニーが仕事で何かしら昇進したらしい。正確なことは教えてくれない(政府関係のトップ・シークレット事項だから)。でも、その昇進のおかげで、コネチカットの湖畔に夏の間の別荘を借りる余裕ができた。それだけで充分。ここはジェニーの実家がある場所。なので、ジェニーはこの土地の別荘関係のマーケットに詳しく、かなり好条件の物件を見つけることができた。それは良い知らせ。悪い知らせはと言うと、ここにいると、日常的にジェニーの父親と顔をあわせてしまうリスクがあるということ。

ジェニーの父親のフランクとは、うまくいったことが全然ない。いや、それは控えめな言い方だな。大きく控えめすぎる言い方。フランクはあのことをケンカだと表現している。僕は、あのことを、僕の結婚式の夜にフランクがバカなことをやったので一発殴ってやったのだと表現している。確かに僕は後悔してるけれど、やらざるを得なかったことだ。出席してくれた女性たちの身体を触りまくったり、大酒を飲んで酔っぱらったりしてたからね。誰かがフランクを抑えこまなければいけなかった。しかも僕の結婚式だ。僕がやったということだ。もちろんジェニーは理解してくれた。ジェニーはいつも僕を理解してくれる。

でも言うまでもなく、あの時が、フランクに会った最後。なんかフランクに悪いことしたかなと思ってる。時々、同じ夢を見ることがある。その夢は、僕が裸になって、フランクの膝の上にうつ伏せになっていて、スパンキングされているところから始まるんだ。

「お前は悪い娘か?」 とフランクが訊いて、僕は答える。「お父さん、私は悪い子です。叩いてください。もっと強く叩いてください」って。これを誰かに読まれるかもと思ったら、こんなこと書いたりしない。でも、こうやって書きだすと、なんかほっとする。精神浄化? どういう意味だか分からないけど。

時々、ジェニーとそういうプレーをしている。彼女がスパンキングする方で、僕はされる方。でも、それと僕が思ってるのとはちょっと違うんだ。いや全然違う。




14

どうしてこれをやったんだろう。鏡で自分の姿を見るたび後悔する。すごく下品。何て言うか、僕自身はこんなのしたいと思っていなかったんだけど、ジェニーがあんまり勧めるものだから。ふたりで外出してた時だった。夏に湖畔の別荘に行って、そこからマイアミに戻ってきた最初の晩のこと。僕はちょっと酔っていたんだけど、ジェニーがタトゥを彫ってみたらって言ったんだ。僕は、最初は拒んだよ。そんなことするほど酔ってはいないって。ひとつで充分だよって……

いや、正確にいえば、この腕のタトゥはふたつ。ふたつが重なったもの。ちょっと前に…僕が体重を大きく減らした頃だったかに…すでに彫っていた棘のついたツタのデザインのタトゥを見て、ちょっと思っていたのと違うなと感じたんだ。そこでタトゥの店に行って、そこに花をいくつか彫ってもらった。今は、このタトゥがよくあるバカっぽいタトゥだったなんて誰にも分からない。すごくユニークになっている。

多分、決心するのに、あと数杯飲むだけで良かったんだろうと思う。それから程なくして、気がついたら別のタトゥの店に来て、うつ伏せになっていた。そして、このトランプ・スタンプ(参考)を彫られていたわけ。どうして他のにしなかったのかって? 僕も分からない。まるでこれに引き寄せられたような感じ。あのタトゥの店に行く前から、どんなのを彫ってもらうか知っていたような…。

でも、そんなの全然意味が分からない。というか、これを彫って僕が楽しいなら、意味が分かるけど、僕はこんなのを彫らなきゃ良かったって思っているんだから。そうだったら、僕はこれを望んでいたはずがないということになるよね?

ジェニーはこれが好きだと言っている。確かにそうだろう……ジェニーは僕のことを「私の可愛い淫乱ちゃん」って呼んでいるから。ああ、確かに。それこそ、男が妻に呼んでほしい名前なんだろう。




15

僕は頭がおかしくなっているんだと思う。もちろん、人はよくそう言うのは知ってるし、そういう時はほとんどいつも誇張して言ってるのは知っている。でも僕は本当に頭がおかしくなっていると本気で思っているんだ。昨日もまた出来事があった。でも、この時だけはジェニーが僕のそばにいなくて、僕には助けがなかった。僕だけ。ずっとひとりで。

僕が衣類を入れた箱を屋根裏に片づけている時だった。何か、頭の中でパチンと弾ける感じがした。そして僕がしてきたことのすべてに鮮明に気がついたんだ。自分がどんな人間になってきたか、そのすべてに。着る服とか、髪型とか、化粧とか…そうお化粧。それに身体も…そのすべてを認識したんだ。僕は叫びたかった。パニックになりたかった。でも…なぜか、僕は叫びもしなかったし、パニックにもならなかった。

まるで頭の中を覆っていた霧が晴れたような感覚だった。ようやくすべてが明瞭になったような。そして、思った…どうしてそう思ったかは分からないけど…つまり、もしパニックになったら、本当にすべてが大波のように戻ってきてしまうだろうと。だから、僕はじっと我慢して強いて平静さを保った。自分はどのような人生を選択したのかを検討するために。

いったん平静さを保とうと決めたら、後は簡単だった。このパニック状態は長く続くものじゃないと分かった。でも、ちょうどその時、あれに気づいたんだ……。

大きくはない。あえて言えば、手の中にかろうじて収まるくらい。でも、確かに存在している。トップを降ろして、躊躇いがちに乳房に触った。僕の乳房に…。男なら自分の胸をこういう言葉で表現はしないんだけど…。大きくはないけど、確かに乳房と呼べるものだった。女性の乳房。そして乳首を見て確信した。すごく…突出している。「突出」、まさにこれがそのとき頭に浮かんだ言葉だった。まさに突出と言うにふさわしい。だって、30センチも突き出ている感じだったから(もちろん、これは誇張だけど)。

すぐに、どうして最近の僕の気分にムラが生じてるのか理解した。どうして肌がどんどん柔らかくなってきているのか分かった。どうして、最後に勃起した時のことを思い出せなくなっているのか分かった。ジェニーが、ほぼ8か月前から僕にビタミン剤だと言って飲ませている薬は女性ホルモンなのだ。

そう悟った、その瞬間、パニックが襲ってきた。そして僕は何も気にしなくなった。まるで夢を見た後、その夢を急速に忘れてしまうような感じで、さっきの考えが消えていく。明日になったら、僕はこのことを何も覚えていないだろう。だから今ここに書き留めている。

頭がおかしくなっているのではないといいんだけど。ジェニーは僕にこんなことをしているなんて、そんなの間違いだといいんだけど。




16

今日、ジェニーが僕にバイブを買ってくれた。そんなこと言って変に聞こえるのは知ってるけど、でも、まあ最近、僕とジェニーの関係は変な感じになってるから。僕が問題を抱えるようになって以来ずっと。問題と言うのは、分かると思うけど、下の方の……ああ、言ってしまおう、しばらく前からぜんぜん勃起できなくなってるんだ。このマヌケな日誌でこの話題にこだわるつもりはないよ。ともかく、そうなってからずっと、僕とジェニーは、いろいろ他の手段を創造的に考えなければいけなくなった。指とかそういうものを。僕のお尻に。

最初、試したいとすら思わなかった。というか、たいていの男なら、その一線は越えたくないものだろ? でも、ある夜、ジェニーが僕にフェラをしながら、指を僕のあそこにちょっと突っ込んだんだ。その瞬間から、僕は負けてしまった。どうして前に試してみなかったんだろう?

単なる肉体的な快感ばかりじゃなかった。確かにそれもあるけど、でも、それは全体のパズルのひとつの小さなピースにすぎない。自分の妻に指を挿されながら、何か特殊な感じが出てきて、いろんな意味で僕は興奮したんだ。実際、ちょっと勃起もしたんだよ(数か月ぶりの勃起)。

最初は指1本、次に2本。もっと実のあるモノが欲しくなるまであっという間だった。でも、そのことは言えなかった。どこか恐い点もあったし。でもジェニーには分かっていた様子。彼女は僕が欲しいと思う前から、僕が欲しくなるものを知っている。いつでも。

というわけで、今日、僕がスーパーから帰ってくると、これが置いてあった。何気ない感じで、コーヒーテーブルの上に。すごく大きくて、リアルな形をしている。それに僕の好きな色でもある。

「気に入った?」 とジェニーの言う声が聞こえた。僕はトランス状態みたいになって、それに近づきながら、ただ頷くことしかできなかった。腰を降ろして、これを手にとった。……僕の小さな手でもつと、いっそう大きく見えた。「キスしたら? その頭のところに」 とジェニーの声。

言われた通りにした。それから2分もしなかったかな。ふたりとも裸になって、これを試し始めたのは……




17

今これを急いで書いている。というのも、これをいつまで記憶していられるのか分からないから。あの屋根裏の日、つまり僕が胸が大きくなってるのに気づいた日についてですら、あの日に書いたことを何度も何度も読み返している。そうしないと、すっかり忘れてしまうから。僕に何が起きてるのか分からないけど、僕はこの人物になるよう強いられているんだ。僕には抵抗できない。実際、そんなことはできない。それに現実的にも方法がない。でも、日を追うごとに、僕は意志の力が少しずつ強くなっているように思う。僕は僕だ。でも僕は僕ではない。この状態、理解するのがとても難しい。

そして、あの喧嘩。僕は寝室にいて、ベッド・メーキングをしていた。すごくキュートな可愛いトップを着て、他に何も着ない格好で(ジェニーはそれがとてもセクシーだと思ってるし!) あ、ダメ……また話しが逸れてる。とにかく、その時、玄関をノックする音が聞こえた。それにジェニーが迎えに出た音も。僕は立ち聞きするつもりはなかったけれど、階段を降りかけたところで、僕の名前を言うのが聞こえたんだ。

「ジェニー、これをアレックスにし続けるなんていけないよ」 ジェニーの同僚のグレーブズ博士の声だった。「彼は人間なんだよ。君のご主人なんだよ。それを無視して、君は彼を変えてしまった……彼の今の姿が何であれ、ああいうふうに変えてしまった」

「これは私の人生だわ」とジェニーが答えた。「それに私のプロジェクトなの。被験者を選ぶのは私よね。覚えているでしょう? 私がいなければ、あなたはこの仕事につくことすらできなかったわ。それを忘れないでちょうだい。加えて、私たちが政府と契約した時も、あなた、苦情を言ってなかったわよね? それに、そのおかげで何百万ドルも得たことについても文句を言っていないでしょ、あなたは」

「僕は……」

「自分がどれだけ偽善的になってるか、自分で見えてる? この実験があってこそ、私たちが百万長者になってるのよ。この実験があればこそ、さらに大富豪になれるのよ。突然、良心の呵責を感じたからって投げ出さないで」 ジェニーは金切り声を上げていた。「それに、付け加えれば、彼はいま幸せなの!」 かろうじてジェニーの声が聞こえた。「私も幸せなの。それのどこが悪いの? どうして私たちが幸せであることが、誰かを傷つけることになるのよ?」

「彼は実際は幸せじゃないよ。彼はもはやアレックスですらなくなってる」 グレーブズ博士の声。

そしてその後、玄関ドアをバタンと乱暴に閉じる音がした。その後に、小さく啜り泣く声も。




18

僕はハッピーだ。お気に入りのパンティを履いている時は特に。もうずいぶん前から、これをブリーフだとか下着だとか言うのをやめてしまった。これはパンティ。僕はパンティを履いている。

日を追うごとに、ますます明瞭に僕は自分自身のことを見られるようになってきている。この日誌が役に立っている。すごく変だし、説明しにくいのだけど、僕はこんな姿になってしまったことを憎みたいのだけど、どういうわけかそれができない。ジェニーが僕にしていることが何か分からないけど、そのせいかもしれない。あるいは、僕が何であれ、僕自身がこの姿を美しいと感じているせいかもしれない。

女性が僕を見ると、僕のようになれたらいいのにと思ってる。それを僕は知っている。男性が僕を見ると、僕とできたらいいのにと思っている。それも僕は知っている。でも、そのせいで気が変になりそうになる。僕自身について僕が知っていたと思っていたことがすべて、ものすごく遠い昔のことになってしまって、まるで別の人間のことのように思えてしまうということ。それを悟ると気が変になりそうになる。僕はもはや男ではない。でも、それで僕はどうなるというのだろう?

僕が何かおかしいと気づいてることをジェニーは知らない。あの日、ジェニーは泣いていて、僕は彼女を慰めた。確かに、僕は彼女を愛している。たとえ彼女が僕に何をしたにせよ、僕は愛している。彼女が傷つけば、僕も傷つく。それだけ単純なことなんだ。

探りを入れたい。もっと事実を知りたい。ものすごくそう思った。でも、できなかった。多分、僕自身、答えを知りたくないと思っていたからかも。あるいはそもそも問いを立てることすらできなかったからかも。もし、ジェニーが僕にこのようなことをできるとしたら、僕が問いを立てることも彼女には防げるはずだから。




19

ハイヒールを履くのが好き。でも、僕がハイヒールが好きなのは、ジェニーが僕を仕向けてハイヒール好きにしたいと思ったからなのだろうか? ヒールを履いた方が背が高くなるから? 僕としては後者のように思いたい。でも、どうしても前者のように感じられてしまう。彼女ならしそうなことだから。ハイヒールは、女性っぽさのアイコンそのものだ。

僕はヒールを履いて歩くのがすごく上手になっていた。変なことだけど。何と言うか、ヒールを履いて歩く練習を何時間もしてきたから変だと言ってるんじゃなくて、そんなことを僕がするなんてあり得ないことだったから、変だと。

所作についても、どんどん女性化している。他の人があなたをどう見るかについて、ほんのちょっとした手首の曲げ方とか、腰の振り方とかで大きく変わるのを知ってビックリしてる。これまで、とてもキュートな可愛い服を着て、今のような容姿(自分でも僕がものすごく女性的な姿になっていることを知っているけど、この姿)になっても、僕のことを女の子の服を着た男だと思う人が、まだいた。でも、今は違う。もうああいう目では見られることがなくなった。これは良いことだと思う。だって、人に見られて自意識が過剰になると、バレるのではないかと恐くなってしまうことがあるから。

家から外に出るといつも、みんなが僕のことを見てるように思った。あの女装っ子と指をさして。そんなことがあるたびに、いつの日か全然気にしなくてすむ日が来ないかなあとあこがれた。そして、とうとう、他人の目を気にしなくてすむ日が来たんだ。ひょっとすると、これはジェニーが僕にしたことの中のたった一つの良いことなのかもしれない。

それにしても、ジェニーがどうやってこんなことをできてるのか、いまだに分からない。もしかすると、もうすでに完了してるのかも。単に僕は彼女の計画に沿って自分からこういう生活をしてるだけなのかも……




20

アナルに挿した時のすごい快感。本当に理性が吹っ飛ぶ快感だ。今はマルチプル・オーガズムを感じられるようになっているばかりか、たとえオーガズムに達っさなくても、この行為自体がずっと気持ちいい。例えば、今日はお尻にディルドを挿すことにしようといったふうに、毎日決めてやってるというわけじゃない。計画してするってことじゃないんだ。でも、結局、やってしまってる。毎日、毎日。時には日に2回も。

ジェニーは帰宅するときに、僕がこれをしてるのを見るのが好き。僕の中に、意地悪になって、ひとりでいる時にしたいと思ってる部分がある。こういうのを求める姿を見られるのって恥ずかしいから。でも、なぜか、僕は望むこと、本当に心から望むことをしてしまう。それは何かというと、ジェニーを喜ばせること。どうしても意地悪になれない。でも、何のため? 僕はまだ自分の状況を変えることができないでいるし、ジェニーが僕が知ってることを知ってるかどうかも分からない。だから、今はジェニーにあわせて演じてる。こういうふうに条件付けされてる状態を放置してる。その条件付けって何のことか僕は知ってる。僕の行動を指図してるということだ。それこそジェニーが求めてること。彼女が期待していること。そして、結局は、その通りになってしまうこと。

だから僕はジェニーが帰宅してくる頃を狙って、リビングルームにいて準備を整え、プラグをお尻に入れたり出したりを始めるんだ。ジェニーはストラップオンで僕を犯したいと思うだろうから、そのための準備を整えておかなくちゃいけない。

グレーブ博士にコンタクトを取ろうかと思っている。彼なら助けてくれるかもしれない。少なくとも僕の身に何が起きてるか教えてくれるかもしれない。




21

生れて初めてのブラのことについて日記に書くことになるなんて思ってもいなかった。ブラをつける必要があるの? いいや、必要ない。僕の胸は押さえが必要なほど大きくはないから。でも、つけたいと思った。すごく女性的な、女の子っぽい気持ちになれそうだから。つけるといつも意識する。そして今の僕がどんな存在かいつも意識することになる。そして、そのことでいっそう悩ましいほどの快感を感じるようになるんだ。

本当に女の子っぽくなりたい。でも、そうなりたくないという気持ちも同じくらい強くある。時々、人格が分裂しているような気持ちになる。

ジェニーは最近、ますますイライラしている。多分、僕が抵抗を示してるからだと思う。僕が抵抗する理由を彼女は知らない。それが彼女をイライラさせてるんだろう。僕の中の一部は…とても大きくて影響力の強い部分だけど…僕に何が起きてるかジェニーに教えたいと思ってる。でも、僕は教えない。いつの日か自由を勝ち取りたいと思ってるから。再び男に戻ることができるとは思っていないけど、少なくとも、自分自身の行動は自分で決められるようになりたい。自分でどうするか選択したいんだ。

最近、男性のことが気になってきている。しかも、かなり深刻に。例えば、あの男。家の前の通りの先に住んでる人で、毎朝、僕の家の前をジョギングする。彼はシャツを着ない。そもそもシャツを持っていないんじゃないかとさえ思う。上半身裸で走ってるのに、僕は彼を毎日、見てしまうんだ。しかも口に涎れ溜めながら。

昨日の夜、彼の夢を見た。僕は窓ごしに彼の姿を見てる。そして彼も僕に気づく。そして彼は家に上がってきて、乱暴に僕のいる部屋に入ってくる……

彼は僕を抱きかかえ、僕は両脚で彼の胴体を包む。僕はキスをして彼の汗を味わって、それから、大きくて固くなっているペニスに手を伸ばす……

彼は僕をカウチに放り投げ、僕の履いてるパンティを破る。僕は座ったまま、脚を大きく広げ、彼を迎える姿勢を取る。彼は僕のふにゃふにゃのペニスなんか気にしない。欲しいのは僕のアヌスだけ。

そして、その時、ちょうど彼が僕に入ろうとするとき、まさに僕が欲しいすべてが叶うその瞬間に、僕は目覚めてしまう。

この夢、何を意味してるんだろう。僕には分からない……




22

時々、ペニスがあることを忘れてしまうことがある。何と言うか、いつものように、それがあってパンティに膨らみを作ってるのは確かなんだけど……だけど、それはもはやペニスとは言えないものになっている。今はすごく小さくて、ほとんど可愛いと言ってもいいほど。昔のように、大きくて、猛り狂ってて、男らしいモノではなくなってる。

前は勃起すれば18センチはあった。もちろん、18センチだからって世界で一番大きいわけじゃないのは知ってるけど、自慢できるものだったのは確かだと思う。少なくとも、ちゃんとしたペニスだったのは確かだ。でも今は、アレはただお腹の辺りにふにゃふにゃで寝ころんでいるだけ。よっぽど頑張っても5センチになるかどうか(普段はもっと小さいのは、言うまでもなく)。

ジェニーは、僕のソレをからかうのが好きだ。意地悪とか悪意をもってからかうというのじゃなくて、楽しそうにもてあそぶ感じでからかう。ジェニーはソレがこういう姿になってる方が好きなんだろうと思う。少なくとも僕にはそう思える。実際、今は、ジェニーは僕にたくさんフェラをしてくれている。1週間あたりにしてもらう数は、結婚してからの最初の3年間にしてもらった数よりも多いんじゃないかな。もちろん、それは本当の意味でのフェラチオとは違ってるけどね。だって、ぜんぜん勃起してないから。

僕もジェニーにフェラをする。ジェニーはストラップオン(参考)がほんとうにお気に入りになっている(正直言えば、僕もだけど)。ジェニーは僕に正座させ、ストラップオンをしゃぶらせるのが大好きだ。そうさせてジェニーが本当に気持ちいいのか僕には分からないけど、僕は言われた通りにしている。さもないと、ジェニーはストラップオンで僕を犯してくれないから。

ジェニーが僕の後ろに回って、アヌスに出し入れしてくれる時、僕は誰か他の人のことを思い浮かべる。例えばあの人。僕の同僚だったルーのこと。彼は身長190センチ、体重110キロで、アメリカン・フットボールのラインバッカーのような体格をしていた。一度、彼のペニスを見たことがある。トイレで。覗き見するつもりはなかったんだけど、振り向いたら、そこにあったんだ。「ビッグ・ブラック・コック BBC」って言葉は彼の持っているようなモノを記述するために作られた言葉なのだろう。ジェニーのディルドよりずっと大きかったけど、大きさはあまり関係しない。

最近、あのトイレで、彼に押さえつけられる光景を思い浮かべることがある(もちろん、当時の僕ではなくて、今の僕だけど)。その夢想の中で、ルーは僕にこう言う。「お前、ちんぽ見るのが好きなのか?」 僕が何も答えないでいると、「ちゃんと答えろ!」 って怒鳴る。そして僕が頷くと、「じゃあ、やってくださいっておねだりしろ。しっかり懇願するんだぞ、淫乱!」

そして僕はその通りにする。

「私を犯してください。お願いです。私の可愛いお尻をそれで犯して」

そして彼はその通りにする。




23

もうジェニーにはディルドを使ってるところを見られたくない。時々、僕は誰かに「もっと強くやって」とか、「私にしてちょうだい」とか、そんな言葉を叫んでしまう。自慰をしている時に、そういう言葉を言うなんて変なことなのは分かってるけど、どうしてもそういう言葉を出してしまう。多分、僕は性的に抑圧感を感じてるからなのだと思う。そのため、自慰をしてると、いろんなことが頭に浮かんできて(その後、口から出してしまう)のだろう。

今日、バイブレータにまたがってる時、頭の中に高校時代のことが浮かんできた。高校の時、僕にはあのフットボールのコーチがいた。どういうタイプの人か、想像できると思う。大学を出たばかりの若いコーチで、しっかりした体格をしてて、ハンサムな人。当時は、僕は彼をこういうふうに思ったことは一度もなかった。僕がジェニーと知り合うずっと前の頃だから。

ともあれ、あの頃、僕はフットボールに関して限界を感じていて、次のレベルへと精度を高めることができずにいた。一生懸命、練習したし、僕の肉体もその練習量を反映して逞しくなっていたんだけど、そもそも僕は小さな身体をしていた。68キロくらいかな。でも、僕には敏捷性があって、なかなかタックルをされにくい存在だった。そのおかげで、一種、ランニング・バックのスター選手になっていたのだと思う。そして、あのトーマス・コーチは僕のポジションのコーチだった。

この夢想がいつもの夢想と違うのは、僕が積極的になっている点。彼の方が気乗りがしていない。彼は、心ではノーと言ってるけど、身体の方は目の前にいる可愛い女装娘を犯したがっている。とにかく、僕とコーチはロッカールームにいて、この夢想の中では、僕はスター選手でも何でもない。ただ、一度でいいから試合でプレーしたいと思ってる。もちろん、その僕は「今の僕」であって、高校時代の僕ではない。だから、僕が試合に出るなんて、ほとんど笑い話のようなもの。僕はコーチとふたりっきりになった時を見計らって、コーチに迫り、部屋の隅に追い詰めている。僕はシャワーを浴びたばかりで、身体じゅうびしょ濡れ。そして、素っ裸で彼の前に立っている……

コーチは僕にやりたがっている。勃起して盛り上がってるのが見えるから。でもコーチは目を背け、逃れようとしている。そして僕は前に進み、彼に迫って、彼の逞しい腕に手をかける……。彼をこっちに向かせるのにほとんど苦労はしなかった。コーチも僕を見たがっているから。

「いいのよ。誰にもばれないから」 と言って、彼の手を握り、コーチの部屋へと連れて行く。部屋に入るとすぐに彼の前にひざまずいて、ショートパンツを引き降ろす。すると、逞しいおちんちんが跳ねるようにして飛び出す。僕は一度も本物のペニスにフェラをしたことがないけど、でも、想像の中では、とてもエロティックで、とても性的に熱を帯びた行為。美味しそうに味わい、口の中での感触を楽しみ、熱っぽく愛してる。

ひとしきりおしゃぶりした後、コーチをデスクに押し倒し、その上にまたがる。これが求めているもの。ここがいたい場所。コーチのアレがお尻の中に滑り込んでくるのを感じる。そして僕は天国へ舞い上がる。彼の瞳を見つめながら、身体を上下に動かし始める……。

彼の身体が強張るのを感じ、彼がイキそうになってるのを知ると同時に、僕は叫び声を上げる。そして……現実にも、美しい使い慣れた紫色のディルドにまたがり、オーガズムに全身を揺さぶられながら、叫び声を上げている。

ジェニーはこれを求めているの? 彼女が求めているのは、僕がこうなること?




24

僕は露出好きなの? それとも、ジェニーの影響で、僕はこんなことをしてるの? 僕たちは再び湖畔の別荘へ来た。今日はその初日。でも、僕には、とてもとても恥ずかしい一日になった。僕は特に恥ずかしがり屋なわけではない。でも……ああ、あの人たちのあの視線。思い出すだけでもぞっとする。

僕たちはビーチにいた(湖にもビーチがある? 何であれ、僕にはビーチに見えた)。ジェニーとふたりでビーチでくつろいでいた。分かると思うけど、日光浴をしたり、ごろごろとして本を読んだり…。ごく普通のこと。ビーチの向こうに4、5人の若者たちのグループがいたけど、僕たちは無視していた。あるいは少なくとも僕は無視していた。そんな時、ジェニーが言ったんだ。

「あの人たち、あなたから眼が離せないみたいよ」 僕は彼女の言葉を無視した。するとジェニーは、こうも言った。「彼らに見せてあげたら?」

「見せてあげるって? どういう意味? 僕は別に……」 そう言いかけたけど、すぐにジェニーに遮られた。

「ほらほら、いいから…。私が言ってる意味、知ってるはずよ。それにあなたも注目を浴びることが好きなのも知ってるんだから。だからごまかさないで。ただ水着を脱いで、あの人たちにあなたの姿を見せてあげるだけでいいのよ」

そう言われた途端、急に興奮してしまった。どうして興奮したのか分からない。でも、彼らをそうやってからかうのもすごく面白そうに思えた。でも、僕はまだ抵抗した。

「違法行為だよ。わいせつ物陳列で牢屋に行くなんて、まっぴらだよ」

「ここには他に誰もいないわ。それにあの人たちも、誰にも言わないはず。約束してもいいわ」

どういうわけか、そう言われただけで僕は納得してしまった。ビキニを脱ぎ始めると、彼らが興奮して騒ぎ出す声が聞こえた。ある種、その騒ぎ声でいっそう僕も乗せられたように思う。自分でも気がつかないうちに、僕は全裸になっていた。タオルの上に座って、両脚を広げ、こっちを見てって誘うようにして……。ああ、何てことを! 脚の間にはアレがついてることすら忘れてしまうなんて。彼らが大笑いしてるのが聞こえた。明らかに嘲り笑ってるのを感じた。見ろよ、あのオンナ男!

僕は振り向いてジェニーを見た。不安、怒り、悲しみ、そして無力感が僕の顔に浮かんでいたと思う。でも、心の中では、高揚感もあった。あの人たち、僕をバカにしてはいたけど、僕を指差して大笑いはしていたけど、僕の姿から眼を離せずにいるようだったから。




25

ジェニーが他の男とセックスしている。僕は怒るべきなんだけど、でも、違った。……ただ、悲しかった。……それにちょっと興奮もしていた。本当は僕はしばらく前から知っていたし、ジェニーも僕が知ってることを知っていたと思う。だから、彼女が僕に何をしてるか分からないけど、その手を使って、僕に彼女の浮気をOKにするよう仕向けたんだと思う。浮気を知って僕が興奮するようにも仕向けたんだと思う。

この件には皮肉な点があって、僕はそれに引っかかるところを感じている。ジェニーが僕たち夫婦の信頼の一線を越えてしまったのは、僕がもはやなることができない存在を求めてのことだった。つまり、男性的なセックス相手。でも、そうなってしまったのは、ジェニー自身のせいだということ。ジェニーは僕がこうなってしまうのを知っていながら、行って、その結果、一線を越えてしまってる。

僕はふたりのところに乱入して、男にやめるように言い、ふたりにいるべきところに戻るように要求したかった。……普通の男なら誰でもそうするように。でも、僕にはそうする能力がない。もはや。

心の中、いろんな感情がせめぎ合っていた。自分が何者か知りたい。自分が何を求めているのか知りたい。でも、その時は、僕はただ、彼女の…いや僕たち夫婦の寝室の外に立って、ふたりがセックスしてる音を聞いてるだけだった。とても、シュールな感じだった。ジェニーも男も隠そうとすらしなかった。ジェニーは普通に彼を家に連れ込んできた…まるでごく日常的なことのように。彼女は彼に僕を紹介すらした(ルームメイトだと)。

ジェニーが何か僕に影響を与えてる。それが、もう今は、かすかに感じ取れるといったレベルを過ぎていた。ジェニーが僕に何かしている。それを僕が気づいてることにジェニーは気づいてると思う。そして、彼女は、僕がどう感じてるかなど、もはやどうでもよくなっている。僕が彼女の求めることをしてる限り、彼女にはどうでもいいんだ。

彼女の目の表情にしっかり現れてる。ジェニーは、もう以前のような眼で僕を見ようとすらしない。男として見てないのみならず、愛する女性としても見てない。ジェニーにとって、僕は単なる好奇の対象になってる。いじって遊ぶ、おもちゃのようなもの。

そんなことを何もかも知ってるのに、僕はここに立って、ふたりが愛しあう声を聞きながら、頭の中は、たったひとつのことに占領されていた。あの男に犯されてるのが僕だったらいいのに。もっと強く、激しく犯してと叫ぶのが僕だったらいいのに。もしジェニーが誘ってくれたら、喜んで、何も聞かずにふたりに加わるのに。

そうしたら、彼は僕の方を気に入ってくれるのに。

これが今の僕の世界。これが今の僕の姿。




26

今日、新しいディルドに乗っているときに、ジェニーが入ってきた。このディルド、とてもリアルで、底のところに吸引カップがついてる。だから、手で押さえなくても乗ることができるディルド。今まで、これをしてるところをジェニーに見つからないようにと、とても気を使ってきたのに……。僕の性的妄想が、ストレートな男のそれとは全然違うことがジェニーにバレたらと恐れてきたのに……。あんまり夢中になりすぎてて、彼女が入ってきた音すら聞こえなかった。

昔の僕は、アメフトの大ファンだった。アメフトのシーズンになると、毎週末、テレビの前に座って、全試合を観たものだった。でもドルフィンズが僕のお気に入りのチームだ。しばらく、あまり強くなかったけど、でも、まあ、本当のファンというのは、ひいきのチームにこだわるものだろ?

今も、僕は試合を観ている。でも、今は、試合の最終スコアには興味がなくなっていて、むしろ、あの大きくて逞しい男たちがフィールドを駆けまわる姿を見る方が中心。時々、観てるうちに、あまりに興奮してしまって、アレを……ディルドを持って来てしまうことがある。ジェニーは日曜日は普段いないから、いつもはうまくいったんだけど……

このとき僕が妄想していたのは、こんな状況。僕はチアリーダーのひとり。どうしてもロッカールームに行かなくちゃいけない(いろんな理由から—これは話しには重要じゃない)。そして僕がロッカールームに入ると、周りには裸の男たちがいっぱいいて、彼らに取り囲まれてしまう。これは僕の妄想だから、当然、男たちは僕の可愛い身体を欲しがっている。

ジェニーが入ってきた時、妄想の中の僕は、先発のラインバッカーの上にまたがっていて、ランニングバックのペニスが僕の唇の真ん前に来ているところだった。彼は僕の顔に噴射しようとしているところ。

「ぶっかけて! 味わいたいの! お願い!」

そう、こんな感じで、すべてがバレてしまった。ジェニーはものすごく驚いて、心を傷つけられたような振舞いをしたけど、どうしてなのか分からない。だって、僕をこんなふうに変えたのは彼女なんだから。




27

ジェニーに見つかった後、ふたりとも黙ったままだった。僕の叫ぶ声をジェニーが聞いたのは間違いないし、僕が叫んだ言葉から、僕がどんな状況を夢想していたかジェニーには分かったはず。でもジェニーは、ただ悲しそうな、落胆したような顔で僕を見るだけだった。…ああ、目に涙を浮かべているのは見えた。そして、彼女はドアを開けて、出て行った。その後しばらくして、ジェニーは戻って来たけど、その時はあの件の痕跡はまったく残っていなかった。僕としても、とても怖くて、あの件のことを話題にできなかった。話しをしたらジェニーがどうするかとても怖い…。僕と別れる? いま以上に僕を変える? もはやジェニーがどういう人か僕には分からなくなっている。

あの出来事の後、僕たちの性生活は大変化を遂げた。多分、あの出来事はジェニーにとってちょっと目を開かせる出来事だったのかも。最近、(家に連れ込んでくる男たちを優先して)僕をないがしろにしていたこととかを気づかせる出来事だったかも。僕も性的に飢えていて、それを満たすために男に抱かれることを妄想するほどになっていたことを知り、罪悪感を感じたのかも。ジェニーがそんなことを思ってるのが僕には分かった。彼女はそういうふうに思う人だから。事実はそうじゃない。どれだけジェニーに性的に満たされても、僕の妄想は太いペニスをもった逞しい男が中心になっている。飢えてたから、仕方なくというのではない。もっとも、僕はそのことをジェニーに話すつもりは、もちろんないけど。

この2週間ほど、僕たちは、それぞれが求めているものを得られるよう、ちょっと違ったことを始めていた。僕だって、女性がストラップオンで性的な満足を得られると考えるほどウブじゃない。女だったら、やっぱりペニスを入れてもらいたいものだもの。今の僕にはその気持ちが分かる。というわけで、ジェニーが双頭ディルドを買ってきた時、本当にこれは素晴らしい考えだと喝采した。ふたりとも四つん這いになって、互いにお尻を突き出しあって、ピタピタ鳴らす。そうやって、ふたりで同時に挿入し合って、渇望を満たす。これって信じられないほどエロティックだし、いやらしい。




28

もうこんな生活は続けられない。あまりに性的にも精神的にもフラストレーションが多いし、身体的にも消耗しすぎる。2年以上を経て、とうとう僕は、もうたくさんだという気持ちになった。自分の未来は自分で変えることにした。自分から動くことにした。

ジェニーに可愛いオンナ男として献身的に、無知を装って尽くす役割を演じ続けても、何も変わらない。もっとずっと前に何かことを起こすべきだったのだろうけど、たぶん、僕は怖がっていたんだろう。ひょっとすると、ジェニーはそういう恐怖心を僕に植え付けたのかもしれない。でも、もう僕はやり過ごすつもりはない。ジェニーの方がずっとずっと酷いことをしてきたのだから……。

僕は自分の生活を自分で仕切り始めた。少しずつ、少しずつ。ジェニーの影響は軽くなってきてるように思う。この日誌のおかげだ。僕がどんなことをしてきたか、僕がどんな人間に変化してきたかについて読み返すと、その行為や変化の当時より、ずっとリアルに物事が見えてくる。最初の頃を振り返っている。あの髪の毛を伸ばし始めたころだ。あの頃から一連の出来事が連鎖し、今の僕につながっている。そう想像するのは難しくない。

でも今の僕はこのとおり。これはコントロールできない。でも、自分の進む道はコントロールできると思う。そう信じなければならない。でなければ、気が狂ってしまうだろう。いや、もう狂ってるのかも……僕のあの強烈な妄想の数々。それが正常じゃないのは充分、承知している。それに、ジェニーが僕の精神に与えた影響から完全に離脱できないかもしれないことも分かってる。でも、僕は自分の未来を自分で決めることができるなら、それはそれで構わないと思ってる。

そういうわけで、その目的のため、僕は昨日グレーブズ博士に会った。僕の姿を観た時の彼の表情。恐怖と憐れみが混じった不思議な顔をしていた。僕に対して申し訳ないと感じている様子だったけど、同時に、僕を助け出そうとし、ジェニーの怒りを喚起してしまうことを非常に恐れている様子でもあった。僕には、ジェニーが、部下に恐怖心を植え付けることができるような人間には決して思えない。だけど、ひょっとするとジェニーは仕事のためなら、僕が思いこんでいること以上のことができるのかもしれない。

グレーブズが言ったことは、僕に家に帰って、全部忘れろと、それだけだった。僕と会ったことについてはジェニーに言わないとは言ってくれたけど、それ以上のことは僕が自分でしなければならない。

正直、グレーブズを責めることはできない。ジェニーが知ったら、彼に何をするか分からないから。彼にどんなことをさせるか分からないから。




29

とうとう突破口が現れた。何カ月にも渡る調査で、ようやく探していたものが見つかった。この3、4カ月の間に生化学についてこんなに学ぶことになるとは思っていなかった。ジェニーの会社について、その全体像を調査し、ジェニーが僕に与えた影響を克服するのに役立つ人物を探し、そしてとうとう、その人物を見つけたのだった。

彼の名はアンリ・トゥイサン。ジェニーの元で働いてるフランス人の生化学者だ。プロジェクトの全体像はあまりに謎に覆われていて、その研究所の誰が何を担当しているかについて正確に知るのは難しい。何百人もの従業員がいて、その仕事が明示されてるのは用務員だけときている。でも、運が良かったのか、とうとうアンリを見つけた。

調べて分かったことだけど、治療薬は存在している。あるいは少なくとも治療薬の原形と呼べるものは。いや、これも呼び方が間違ってるかもしれない。治療薬の原形と言うより、ワクチンと言った方が良いのかもしれない。簡単に言って、その薬を飲めば、今後の操作からは免れるというものである。ジェニーが僕に正確に言って何をしたか、依然はっきりとは分からないけど、その答えを見つけても、それは大部分関係なくなってる。重要なのは、治療薬があるということ。それさえ知れば僕はいい。希望が生まれるから。

自分がしたことを誇りに思ってるわけではない。でも、他に方法がなかった。自分の身体以外に手段がなかったから。だから、やった。それにやったことを振り返り、反省する余裕なんかないのだ。

それでも、これだけは言いたい。僕にとっての生れて初めての本物のフェラチオがこんなふうになるとは想像すらしてなかった。何百回も、千回近く想像してきたことなのに。……全然、魅力を感じない男の前にひざまずき、その男のペニスをしゃぶる。ただ単にIDカードを手に入れるために…。とても汚らしいことをしてる感じがした。しかも全然良くないことを。

でも、これはうまくいった。欲しい物を手に入れた。後は僕の情報が正しいことを祈るのみ。そうじゃないと……。

もし僕がジェニーの渾身の仕事を暴露しようとしてることをジェニーが知ったら…。彼女は僕に何をするだろう? 考えただけで身体が震えてくる。




30

今日は僕が人生を取り戻す日だ。今日はジェニーのサディスティックな精神操作の檻から解放され自由の身になる日だ。でも僕は彼女のことしか考えられない……。

ジェニーは邪悪な人間ではない。僕には分かる。彼女はただお金と権力に囚われてしまっただけだ。それに何より好奇心が勝ってしまった。それが本当だと今の僕には分かる。心から分かる。あるいは、そうであってほしいと僕が思ってるだけかもしれない。いずれにせよ、僕は、ジェニーはサディストに見えるかもしれないが、実際はそうじゃないと信ずることにした。

ともかく、家に帰り、ジェニーが帰ってくるのを待ちながら、僕はこんな格好になっていた。

「ねえ来いよ。前のようにやろうよ。前にしていたように。……僕が変わってしまう前にしてたように」

ジェニーは実際、大笑いした。「それを勃起させるために、いったいどれだけバイアグラを飲んだの?」

「僕は…」

「あなたのこと愛してるわ。でも、自分の格好、見てみたら? このちっちゃなモノを? これで感じれると思ってるの? それに、あなたのそのポーズ。私に見てもらおうとして、そんな格好してるんだろうけど……」

「で、でも……」

「脚を広げて、私ににアヌスをしてもらおうと誘っているようなものじゃない? 無意識的にそういう格好になってるのね? お尻に挿してもらうこと。それが今のあなたにとってのセックスになってるんでしょ? もう、男性だってフリすることすら無理よ」

ジェニーはまだくすくす笑ってた。

「意地悪で言ってるつもりはないの。ふにゃふにゃになって可愛らしいところ、私、大好きよ。何とかして男性的な役割を満たそうとがばってるあなたを愛してるわ。でも、端的に言って、もはやあなたにはその役割は果たせないの」

「ぼ、僕はただ……」

「言わなくても分かってるわ、あなた…。さあ、良い子になって服を着てちょうだい。そう言えば、ジュリオ…ジュリオのこと覚えてるでしょ? 彼が後で家に来るわ。ちょっと楽しいことしに。その時に私を怒らせるようなことしないでね!」

その言葉を最後に、ジェニーは部屋から出ていった。その言葉を最後に、僕は最終的な決心をした。僕は出ていく。振り返ることはしない。あのワクチンを手に入れたらすぐに……。




31

性的魅力はパワーだ。その魅力を自分に都合が良いように使う方法を知るだけでよい。女性は太古の昔からそれを知っている。僕はその人生の根本真理を学び始めたばかりだ。

施設内に入るまでは問題がなかった。あのIDカードのおかげで、何の問題もなく数々のドアが開いた。だが、施設に入ったところで捕まってしまった。作り話をでっち上げたが、相手の方が僕の顔を知っているようだった。

「私のことを知ってるの?」

彼は頷いた。「君は被験者だから」

「でも私の名前も知ってるの?」

彼は頭を振った。

「私はアレックス。彼らが私に何をしたか知ってるでしょ? あんたの名前は?」

「グレッグ。グレッグ・アンドリューズ。監視担当。だから、君がここに来たのを知っている。君が毎日何をして、どこに行ったか、我々はすべて監視している」

彼が言ってることの含意を深く考えてる余裕はなかった。そんなことで僕のミッションを軌道修正させるわけにはいかなかった。あまりに多くのことがこのミッションにかかっていたので、監視されていたことに怒ってる暇はなかった。要するに、彼らは僕を監視してる必要があったと言うこと。そうね? 僕は研究対象だったということ。僕は、僕は…彼は何と呼んだっけ? ああ、被験者。名前すらない。人格すらない。単なる、いじって遊ぶための実験室のラット。僕がジェニーの夫だと知ってる人は何人いるのだろう?

だが、そんなことはどうでもよかった。問題はワクチン。そういうわけで僕は唯一持っている武器を使った。

「あなた、私のことをずっと見てきたんでしょ? 何もかもすべて?」 と無邪気な声で訊いた。

彼はまた頷いた。

「私がオナニーしてるところも見たんでしょ? ねえ?」

彼のズボンの前が膨らむのが見えた。僕はシャツを脱いだ。今日はノーブラで来てる。

「これがあなたが見たいものなの?」

ズボンを脱いだ。

「人によって形とか大きさとか違うのよね? そうでしょ?」

パンティを脱いだ。

「私を見ながらオナニーすることある? いいのよ、オナニーしてても。男が私を欲しがってると思うと感じてくるから」

彼は私を見つめたままだった。

「ちょっと秘密を聞きたい?」

彼は頷いた。私は彼に近づき、彼の前に身体を傾けた。そして耳元に囁きかけた。

「あなたのズボンの中、大きなおちんちんがありそう。いま私が思ってること、何かと言うと、そのおちんちんをお口に入れること。それだけなの…」

そう言ってすぐに彼の前にひざまずき、僕の人生で2本目のペニスをしゃぶり始めた。これはアンリのとは違った味がした。違いはほんの少しだけだったけど。彼を逝かせるのに時間はかからなかったし、最後の一滴まで飲み込んであげた。最初にした時ほど、汚らしい感じはしなかった。

ことを終え、服を着ながら彼に言った。

「私が来たことはふたりの間だけのことにしましょうね。いい?」

彼は頷くだけだった。

「いい子」と、かれのお尻を軽く叩き、僕は部屋から出た。




32

自分が何を期待していたのか分からない。ことの全貌が突然分かるとか、そういうことだったのか、あるいは本来の自分に、少なくとも気持ちの点で、奇跡的に戻るとか、そういうことだったのかもしれない。ワクチンを手に入れた後は、すぐにそこから出ていくべきだったと思う。でも、ジェニーは正確にどんなことを僕にしていたのか、それをどうしても知りたくて、その場を離れられなかった。

だから、運よく関連情報を見つけたときにはちょっと驚いたと思う。それは軍のために用意されたプレゼン資料だった(この会社は資金等を引き続き得るため軍を納得させる必要があったのだろう)。僕は素早くそれをメモリにコピーし、できるだけ早くその場から離れた……。

家に帰り、早速、ジェニーが僕に何をしていたにせよ、その詳細を調べる仕事に取り掛かった。

どうやら、マインド・コントロールは可能のようだ。だが普通に考えられてるようなやり方ではないらしい。テレパシーのように何か思考がビームのようになって脳に送りこまれるなどはあり得ない。それは馬鹿げている。この方法は、脳の暗示への順応性を加速することと、そのような暗示を適切に行うことの組み合わせのようだった。同じ暗示を充分な回数繰り返すと、その暗示を脳が自分で生み出した考えであると思い始めるということ。音楽と一緒に暗示をかけると、サブリミナルなメッセージが被験者にまったく気づかれるに済むらしい。

そこまでは理解できた。政府は(それにおそらく多くの民間人も)このようなテクノロジーのためなら人殺しもするだろうと理解した。

プレゼンテーションの中では僕のことはずっと「被験者」と呼ばれ続けていた。基本的に、(例えば髪を長くするとかの)小さな変化では充分ではないらしい。連中はもっと変化を求めた。その結果、大幅な減量が加えられた。だが、それでも充分じゃなかったのだろう。連中はもっと証拠が欲しかったのだ。そういうわけで、僕の女性化が開始された。ジェニーが、平均的な筋肉質の男性である僕を、僕に気づかれずに、女性化させることに成功したら、このプログラムは確実な成功を収めたものとみなされる。そういうことらしい。

それこそ、ジェニーがこの2年間してきたことだった。この資料を読む前から、ジェニーに責任があることは知っていた。でも、僕は、それは何か間違いで起きたことなのではと期待していた。計算して行った実験ではないと。僕は完全に間違っていた。ジェニーは、この2年間、ずっと、自分が正確に何を行ってるか、知っていたのだった。

それに資料によると、1年を過ぎた後は、効果は永続的になるらしい。1年以内なら、精神的変化を逆回転できる。だが、それを過ぎると、被験者(つまり僕)はずっと変化したままになる。

そういうことだ。僕は、良かれ悪しかれ死ぬまでこのままでいることになるのだ。




33

ジェニーは僕が永遠にさよならすると知っていたように思う。僕はスーツケース1個しか持たなかったけれど、彼女には分かっていたはずだ。僕が300万ドル近くのお金を海外の銀行口座に振り込だのを知っていたはずだから。ジェニーほどの大富豪であっても、それだけのお金がなくなっていたら気がつくものだから。それに気づいていながら、何もしなかったのは、僕に対して行ったことに対する、彼女なりの謝罪だったのかもしれない。あるいは、単に僕に消え去ってほしいと思ったからかも。このお金で僕は解雇したと。

どっちにせよ、彼女はすべてを知っていたと思う。僕がいろいろ調べていたこととか、会社に侵入したこととか、僕が事実を知ったこととか。ジェニーは、もはや僕を操作することができないと知っていたが、それでも僕に留まってほしいと思っていた。そこまでは僕も理解できる。実際、いろんなことをされたけど、ジェニーが僕に留まってと頼んでくれたら、僕もそうしたかもしれない。彼女の口からすべてを明らかにしてくれて、どうしてあのようなことをしたのか、どうして夫である僕をテストの被験者として利用したのかを説明してくれたら、そうしたら僕も話しを聞いたかもしれない。そして、ひょっとすると、本当にひょっとするとだけど、彼女を許せたかもしれない。

でもジェニーはそういう人じゃない。彼女は自分が間違ったことを認めることができない人なんだ。…とても頑固な人。彼女が行ったありとあらゆることを目の前に突き出されても、彼女は、彼女によって人生を盗まれた男に対して謝ることすらできない。男? 僕はもはや男ではない。ずいぶん前から男ではなくなっている。

本当に不思議だ。この選択肢が与えられたとして、僕自身ではこの道を進むことを決して選ばなかっただろう。そもそも、身体的に可能だったとも思わない。……このような変化を自分自身に課すような意志の力なんか僕にはないから。誰もそんな力は持っていないと思う。でも、僕はこの数々の変化を強制されたにもかかわらず、僕は、今の姿になった僕を嫌ってはいない。これは不思議だ。

この変化、特に身体的変化をどうして受け入れているのか? それには根拠がないわけではない。もともと、僕は、背が低いせいで、自分の身体に不安を抱いていた。そのため、あれだけ筋肉を鍛えたのだった。筋肉は、僕の男性性を支えるための頼り綱になっていたのだった。ジェニーの影響がなければ、僕はこの事実すら認めなかっただろうと思う。あの頃のままで僕の人生を続けていただろうと思う。

いまの僕は幸せだ。そう思う。少なくとも、愛していた女性に裏切られたことを知ったばかりの人間で、僕ほど幸せであると思える人は他にいないだろう。裏切られたという状況については不快だけど、でも、今は、今の自分に満足している。あれだけ元の自分にしがみついていたにもかかわらず。僕は自分のことをどんな男と思っていたのか、それがどうであれ、その男は敗れ去ったのだ。その男性性にしがみついていた頃の僕は幸せではなかったのだ。

だから、今は、僕は今の自分に喜んでいると考えている。そう考えると裏切りにあった心の傷が少しだけ癒される。それでも、僕は去らなければならない。それ以外に道はないから。

あの、最後にジェニーを振り返った時の彼女の姿。ジェニーは泣いていた。あの時はつらかった。あの生活に別れを告げたところだった。これからどこに行くかも、何をするかも、考えていなかった。ただ、去らなければならない。それだけだった。あの時のジェニーの姿を思い出すと心が痛む。




34

ふと、この日誌をつけること自体、ひょっとしてジェニーの計画の一部だったのではないかと思った。だがもう、それはどうでもいいのは知っている。ただ、この日誌をつけることが、あの恐ろしい実験から逃れるための助けになったのは事実だ。でも、もう僕には書き続けることができない。ジェニーの元を去ってから、もうすぐ1年になる。あれ以来、彼女とは一切連絡を断っている。もっとも、今でも彼女の影響が残ってる感じはある。ほぼ、毎日。でも、次第に良くなっている実感はある。行動における僕の選択は、ジェニーが僕に対して行ったことに影響を受けているのは知っているけど、それでも、僕の行動は僕自身が選択して行っていることだ。あの、変態じみた、めちゃくちゃな状況においても。

ともあれ、僕はフランスに落ち着いた。フランスのどこかは言わない。それに今は別の名前で暮らしてる。でも、このフランスこそが僕がいるべき場所じゃないかと思っている。フランス語の会話すら、どんどん上達している。これは考えてみると不思議なことだ。というのも、高校時代、僕はフランス語の授業で落第したのだから。

ここでは、誰も僕の過去を知らない。たいていの人は、僕のことを、こちらではよくいる、父親のお金で遊び暮らしてるアメリカ娘と思っているようだ。そう言われても僕は訂正しない。

でも、僕が一緒に寝る男たちは…そう、僕は男としか寝ない…その男たちにはいくらか説明しなければならない。脚の間にアレがついてるわけだから。なので、そういう時には、僕はずっと自分は女の子だと思ってきていて、そのような生き方を選んできたと伝えることにしている。たいていの男たちは、僕の脚の間にあるものなど、全然気にしない。彼らにはペニスを突っ込める穴があればいいのだ。それに、本当のことを言えば、僕も彼らがどう思おうと構わない。僕としては、あの「お互いのことを知りあう」時間をすっ飛ばして、欲しい物を得られれば、それでいい。

心の通った親密さ。それが僕にとっての問題のようだ。その問題点に気づくことができるほど、自己判断はできるようになっている。でも、なぜその問題があるのか、その理由も分かっているような気がする。僕が経験してきたこと、僕が一生寄り添うと決めた女性であるジェニーが僕にしたこと、それを考えれば、この問題があるのも当然ではないかと思う。

とにかく、これが僕の最後の書き込みだ。この日誌には今後一切、書き込まない。耐え忍んだ様々な嫌なことにもがき苦しむのはやめて、今から僕は、自分の人生を歩んでいくのだ。




35

彼は、私の元を去った18ヶ月後、この日誌を送ってきた。私はこれを読み、そして何度も何度も読み返した。読み返すたびに、彼に経験させた様々なことを思い、何度も何度も悔やんだ。私は、何より、重視されたかったのだと思う。世界が私を認めてくれるような何かをしたかった。それだけだった。そういうわけで、あれを開始した。でも、その後は……その後は、私自身があの実験がもつパワーに飲み込まれてしまったのだ。私が彼にしてほしいと思うことを彼にさせる。その事実を楽しんでいる自分がいた。彼自身が何をしたいと思っても、どんな人間になりたいと思っても、彼には私が命じた人間にならざるを得ない。

思うに、私には、何か深く根付いたレズビアン妄想を持っていたのかもしれない。それに導かれて、彼をどう変えるかについて、私はあのような選択をしたのだろう。あるいは、私は、性的にも精神的にも感情面でも誰かを最終的に支配できるようになるという考えが気に入っていたのかもしれない。これを始める前は、私は本当の権力と呼べそうなものを経験したことが一度もなかった。何かを仕切るということが一度もなかった。自分自身で何かを決定するということが一度もなかった。私がすると決めたことは、他の誰かが求めたことへの対応であるのが常だった。だから、ようやく権力をふるうチャンスが巡ってきた時、私はそれに飛びついてしまった……。そして、その権力が逆に私を飲み込んでしまったのだった。

彼を探し出し、私のしたことの謝罪をし、私を元に戻してと彼にお願いする。そうしたい衝動に毎日のように駆られ、毎日のようにそれをこらえている。でも、そんなことは起こりはしない。私はいろんなことを決めた。そして、最後に、彼もひとつだけ決めた。私が彼が決めるのを止めなかった、最後の選択。私は彼が別れることに決めるのを止めなかった。

彼が何をしていたか、私は知っていた。彼がそれをしてるところを見つけたら、私は彼にやめさせただろう。でも、もし、知らないふりをしていたら…。もし、彼が嗅ぎまわっていたことや、フェラをして情報やキーカードを手に入れたことなどすべてが私のレーダーに入っていないふりをしていたら、ひょっとすると、彼はその機会をとらえて、自分で自由の身になるかもしれない。ひょっとして、彼は私も自由にしてくれるかもしれない。彼をコントロールしたいという気持ちから自由にしてくれるかも。そして、彼は実際、そうしてくれた。

それにしても、奇妙なことがある。日誌を読むと、彼のセクシュアリティが完全に変わったのは明らかだ。性的に男性に惹かれること。彼は、私が彼の心にその気持ちを植え付けたのだとみなしている。でも、これは違う。どうして私がそんなことをするだろう? 私は、私のための彼を求めていたのだから。彼を他の男と共有することなど求めていなかったのだから。私にだけ献身的になってくれるようにしたかったのだから。

あの時…あの、彼が「ヤッテ」とか「ちょうだい」とか叫んでるのを見たあの時、「味わいたい」と言ったあの時、ひょっとしてそうなっているのかもしれないと思った。でも、その時は、私はこれは一時的な変調であると考えた。混乱して深い意味のない妄想をしてるにすぎないと。だけど、あれははるかにそれを超えるものだったのだ。あの時点で、彼のセクシュアリティは不可逆的に変化したのだ。あの後も私とするときがあったけれど、あれはただの行為。彼が本当に求めていたものの代償行動だったのだ。

でも、何が原因で? 深く根付いた欲望が原因? あるいは、彼に起きていたことに対する、心の単なる反応? 頭の中、好奇心が渦巻く。でも、それを解明しようとすると、同じ道をたどることになるのが怖い。同じ間違いを繰り返すことになってしまう。でも、本当に知りたい。

それに、あの、人をコントロールする力も懐かしい……




おわり
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