「デビッド・ジョーンズとベル博士の追跡」 Dr. Bell's Vengeance: David Jones and the Pursuit of Dr. Bell  by Nikki J. 出所
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デビッド・ジョーンズは危険な男である。大柄な男ではない(身長は160センチ足らず、体重も65キロ)。だが、その体格は彼に似合っていた。彼はハンサムでもない。ごく平均的な風貌。もっと言えば、彼の容姿の何もかもが「普通」という言葉を叫んでいた。一見するとコンピュータ・プログラマや会計士のように見える。だが、それはすべて計算づくである。実際の彼は、そういう職業から、考えられる限り最も遠い存在の人間である。

彼は通りを歩いていた。標的の獲物から一定の距離を保って後をつけていた。デビッドは目立たないスーツを着ており、いつでも容易く通りを歩く人々の中に溶け込むことができる。だが、もし彼を詳しく観察する人がいて、彼のことをよく見たら、確かに分かることだろう。彼の目が6メートル先を歩く男をじっと見据え、決して視線を離していないことを。そして、その彼の目も記憶に残ることだろう。氷のように冷たい青い瞳。見知らぬ人が、後からデビッド・ジョーンズについて思い出せと言われたら、その人は、この彼の瞳のことだけを述べるに違いない。

デビッドが尾行していた男は、濃い色の髪をポニーテールにした大柄の男だった。その男が東ヨーロッパ人であることをデビッドは知っている。それに彼が武器売買の仲介のためにこの街に来ていることも知っている。デビッドの仕事は、その武器売買を阻止することだった。

すでにお分かりの通り、デビッドは、実行する必要があるが、誰にも知られてはならない種類の仕事を行う秘密の政府機関のメンバーである。彼は、ほとんど知られていない脅威から国を守る陰のような存在と言える。めったに人に気づかれない陰。

ジョーンズは大柄の東ヨーロッパ人をさらに2ブロックほど尾行し、男が小さなグローサリー・ストアに入るのを見た。彼は通りの物陰に溶けこむように身を潜め、腕時計を口元に寄せ、ボタンを押した。

「標的が第9通りのグローサリー・ストアに入った。救援を待つ」

彼は典型的なエージェントではない。少なくとも映画に描かれるようなタイプではない。彼は情報で仕事をする。確かに、彼は、格闘になったときにどう身体を動かしたらよいかを知っている。武器や格闘技の技術について何年も訓練を受けてきた。だが、仮に身体的暴力を行使する必要に直面したら、何か恐ろしいほど間違った結果が生じてしまうかもしれない。だから、彼は格闘はしない。見守るだけである。彼は情報を集め、その情報を、身分を隠す必要のない他の誰かに報告するのである。

ジョーンズが見守る中、SWATのバンが現れた。中から黒い防護服を着た男たちが出てくるのを見た。各自、自動小銃を持っている。ドアを破り、中に入っていくのを見守る。そしていくつもの発砲音を聞いた。そして、あの東ヨーロッパ人が手錠をかけられて、建物の中から引きずり出されるのを見た。その30分後、救急車が来て、3体の死体が担架に乗せられて出てくるのを見た。

デビッド・ジョーンズは危険な男である。彼は通りの物陰に溶け込むように身を隠し、そのすぐ後、反対側から姿を現した。そして、通りの流れに融合し消えていく。誰にも気づかれず、誰にも見られずに。

*

デビッドは、お気に入りの革製椅子に身を沈めた。家に戻るのは久しぶりだった。両足をオットマンに乗せ、手に持つグラスを優しく動かし、スコッチウィスキーをかき混ぜた(彼はオンザロックに決めている)。彼は働き虫である。デビッドの上司たちは、彼に休みを取るよう強く求めていたが、彼にはその気持ちはない。彼はこの業界でほぼ4年、通しで働いてきた。上司たちは、彼が短くてもよいからすぐにでも一休みしないと、プレッシャーに押しつぶされてしまわぬかと思っていた。

だが、彼らがデビッド・ジョーンズのことを本当には知っていないのは明らかである。とはいえ、そもそも、誰が本当に自分のことを知っているだろうとデビッドは思った。デビッド・ジョーンズと言う名前すら彼の本名ではない。この名前は、最初のミッションを完了したすぐ後に組織から与えられた名前である。

彼はスコッチをひとくち啜り、グラスを横のテーブルに置いた。3ヶ月も休暇をもらっても、いったい何をすればいいんだ? 南の島に遊びに行くような趣味はない(彼の白肌は日焼けに弱かった)。それに、趣味らしい趣味もなかった。会っておしゃべりするような、旧友もいない。彼は仕事だけであり、他には何もなかったのである。

他の人間なら、この孤独を嘆くかもしれないが、それはデビッドの流儀ではなかった。彼は、自分の個人的生活の状態は必要な犠牲であると受け入れていた。彼はこの時間を思考と計画に当てた。デビッドには自分の欲するミッションを追求する自由があった。と言うわけで、彼は次にどの犯罪組織を標的にするか考えることにしたのだった。

その思考に深く嵌っていたとき、彼の携帯電話が鳴った。呼び出し音が2回なる前に、彼は電話に出た。

「ジョーンズです」

「事件が起きた。君には……」

「行先は言わなくてもよい。10分で出向こう」

ジョーンズは高圧的に答えた。

*

9分後、デビッドは、見るからに廃墟の大きな倉庫の外に立っていた。横には故障中の公衆電話があった。彼は、その電話に一連の数字をプッシュし、一歩、引きさがった。すると倉庫の壁に大きな穴が開き、デビッド・ジョーンズはその中に入った。

この廃墟の倉庫は見せかけである。中にはハイテクを駆使した施設があり、そこから国の最高機密のミッションが行われている。デビッドはここに入ったことがあるので、多数のコンピュータや巨大なスクリーン群、そして監視ステーションを見ても驚かなかった。彼は部屋の中をすたすたと進んだ。

デビッドは、どのような状況下でも、ほんのわずかな特徴にすら注意できるよう訓練されていた。だが、そのような訓練を受けていないお調子者ですら、問題が何であれ、すべてのスクリーンに映っているあご髭を生やした禿げの黒人が原因だということは理解できたであろう。

やがてデビッドは長々とした部屋を横切り、あるオフィスの前に来ていた。ノックをし、待つ。2秒ほどした後、ドアが開いた。

「やあ、ジョーンズ。掛けたまえ」

中に入ると、馴染みのある声が彼を出迎えた。部屋の中を見ると、部屋には3人の人がいた。ひとりは、オーウェンズ氏。彼の直接の上司である。他の2人は知らなかった。ひとりは20代後半か30代前半と思われる女性。もうひとりは40代の男性だった。

女性は、ジョーンズも認めざるを得なかったが、ある意味、古典的美女の範疇から言えば、極めて魅力的な人だった。ウェーブのかかった長いブロンド髪、豊かな胸、そして、少なくとも見えている部分から判断して、かなり引き締まった身体。その女性は椅子に座っていたので正確な判断は難しいが、おそらく170センチ弱ほどの身長だろうと推定できる。

他方、男性の方は衰えてしまった元スポーツマンといった身体をしていた。白髪まじりの髪をしており、頭頂部には禿げがはっきりと見えていた。肌は青白く、大半を屋内で過ごしてきたことが分かる。

ジョーンズは、ほぼ瞬時に、この男の方は上級分析官であり、女性は何が専門かは知らぬが何かの専門家だろうと推定した。

「ジョーンズ君」 とオーウェンズ氏は話し始めた。年齢のせいか声がしわがれていた。「こちらはキム・ウィルソン。そしてこちらはパトリック・ダンズビイだ」

ジョーンズは挨拶がわりに頷いた。

「ふたりは、君の次のミッションにとって貴重になる情報を持っている。そのため、ここに来てもらった」

「スクリーンに映っていた男は誰で、何をしたんですか?」 とジョーンズは訊いた。

「さすがに見逃さないね、君は」 とオーウェンズ氏はくすくす笑った。そしてオフィスの窓からスクリーンのひとつを指差した。「あの男はオマール・ベル博士だ。彼は、ある生物化学物質を世界中の大気に放出したのだよ。それは……まあ、それに関しては、ここにいるダンズビイ氏が専門だから、彼に説明してもらおう」

ダンズビイ氏は咳払いをし、話し始めた。

「ベル博士は生化学分野でノーベル賞を受賞した科学者ですが、遺伝子学でも学位を取っています。彼は天才的科学者ではありますが、究極的には厄介な男と言えましょう。極端な黒人至上主義者なのです。彼は、歴史を通してアフリカ系アメリカ人が被ってきた苦難のおかげで、黒人は優位な人種になってきたと信じています。まあ、それはそれで構わないのですが、それ以上に彼は、白人は、黒人を抑圧してきたことに対して罰を受けるべきであると考えているのです。そういうわけで、アフリカ系アメリカ人の苦難に責任があると彼が感じている人々に向けて攻撃を仕掛けたのです」

オーウェンズ氏はジョーンズに書類を渡した。「これは、彼が、主要な報道局に送った手紙だ。報道各社は、これを狂人によるほら話だと無視しているが、だが……」

ウィルソン女史が加わった。「ですが、確かに大気に何かがあるのです。まだ、私どもはそれが何かは特定できていませんが、あるのは確かです」

「その化学物質は何をするのですか?」

「まあ、その手紙を読んでくれたまえ」とオーウェンズは答えた。

その手紙にはこう書かれてあった。

親愛なる世界の皆さん:

あまりにも長い間、我々アフリカ系アメリカ人は忍耐をし続け、世界が我々を差別することを許し続けてきた。我々はずっと忍耐を続けてきた。だが、とうとう、もはや我慢できなくなった。そこで私は我々を差別してきた皆さんを降格させることを行うことにした。初めは、皆さんは私の言うことを信じないことだろう。それは確かだ。だが、時間が経つにつれ、これが作り話ではないことを理解するはずだ。

私は、私たち人類の間の階層関係に小さな変更を加えることにした。今週初め、私は大気にある生物的作用物質を放出した。検査の結果、この作用物質はすでに世界中の大気に広がっていることが分かっている。

パニックにならないように。私は誰も殺すつもりはない。もっとも、中には殺された方がましだと思う者もいるだろうが。

この作用物質はあるひとつのことだけを行うように設計されている。それは、黒人人種が優位であることを再認識させるということだ。この化学物質は白人男性にしか影響を与えない。

それにしても、この物質はそういう抑圧者どもにどんなことをするのかとお思いだろう。この物質はいくつかのことをもたらす。その変化が起きる時間は、人によって変わるが、恒久的な変化であり、元に戻ることはできない。また純粋に身体的な変化に留まる。

1.白人男性は身体が縮小する。白人女性の身長・体重とほぼ同じ程度になるだろう。この点に関しては個々人にどのような変化が起きるかを予測する方法はほとんどないが、私が発見したところによれば、一般的な傾向として、女性として生れていたらそうなったであろう身体のサイズの範囲に収まることになるだろう(その範囲内でも、小さい方に属することになる可能性が高いが)。

2.白人男性はもともとペニスも睾丸も小さいが、身体の縮小に応じて、それらもより小さくなるだろう。

3.白人男性のアヌスはより柔軟になり、また敏感にもなる。事実上、新しい性器に変わるだろ。

4.声質はより高くなるだろう。

5.腰が膨らみ、一般に、女性の腰と同じ形に変わっていく。

6.乳首がふくらみを持ち、敏感にもなる。

7.最後に、筋肉組織が大きく減少し、皮膚と基本的な顔の形が柔らかみを帯びるようになるだろう。

基本的に、白人男性は、いわゆる男性と女性の間に位置する存在に変わる(どちらかと言えば、かなり女性に近づいた存在ではあるが)。すでに言ったように、こういう変化は恒久的で、元に戻ることはできない。(現在も未来も含め)すべての白人男性は、以上のような性質を示すことになる。

これもすでに述べたことだが、大半の人は、私が言ったことを信じないだろう。少なくとも、実際に変化が始まるまではそうだろう。もっとも変化はかなり近い時期に始まるはずだ。ともあれ、1年後か2年後には、世界はすでに変わっていることだろうし、私に言わせれば、良い方向に変わっているはずである。

親愛を込めて、

オマール・ベル博士

ジョーンズは書類から顔をあげ、質問した。「これは可能なのですか?」

「そんなはずはないのですが」とウィルソン女史が答えた。「でも、大気に何かを放出した件に関して、彼は嘘をついていません。パニックを引き起こそうとしているだけという可能性がありますが、でも……」

「嘘をついていないとすると、大衆レベルでカオス状態になりえる」 とオーウェンズが引き継いで言った。

「それで私の役目は?」 とすでに答えを知りつつも、ジョーンズは尋ねた。

「真実をみつけること。この男の居場所を突き止め、法の正義の元に晒すこと」 とオーウェンズは答えた。「君には当局から全面的な支援を与えよう。そして……」

ジョーンズが遮った。「別に悪気があって言うわけではありませんが、皆さんがかかわると、邪魔になるだけなんですよ。まずは、ここである程度、調査をさせてください。その後は、私個人で調査を行います。ベル博士に関して持ってる情報のすべてに関してアクセスできるようにしてください。でも、まずは、主に経理関係の記録を調べたい」

そして、早速、作業に取り掛かった。デビッドの調査は、単調な作業で、延々、4時間にもわたったが、ようやく有望と思われる情報に出会った。ベル博士は、ある生物化学者に巨額のカネを払っている。その化学者は、最終的には癌の治療に役立つ薬品を開発した人物だった。その名前はジョージ・ヤング。彼は6年ほど前に、世界から姿を消していた。何の記録も残っていない。これは興味深かった。

さらに調査を進めると、ベル博士の会社が、ふたりの男性から多額の資金を献金されていることが分かった。ひとりはジャマル・ピアスという名のチンケな犯罪者と思われる人物であり、もう一人はビジネスマンで、マイケル・アダムズという名だった(この人物に関しては、それ以外の詳細な記録は見つけられなかった)。

デビッドは調査の計画を立てた。この二つの手がかり。ふたつとも行き止まりになる可能性はある。だが、少なくともチェックしておく必要があった。

*

そんなわけで、その2日後、デビッドはアメリカ中部へと飛び、ある典型的な郊外の家の前に来ていた。ドアをノックすると、中から、小柄な老女が姿を現した。

「何のご用ですか?」

デビッドはFBIの文字が出ているバッジを見せた(もちろん、これは偽物である)。

「奥様、ご迷惑をおかけして大変申し訳ないのですが、ジョージ・ヤングという人物を探しているのです。分かっている彼の最後の住所がここだったもので」

「ジョージは何をしたの? またトラブルに会ったの?」

「いいえ、奥様。そういうことではありません。ただ、ジョージさんの元ビジネス相手に関して、ちょっと質問したいことがありまして……。中に入ってもよろしいですか?」

「ええ、もちろん」 老女はそう言ってジョーンズを中に入れた。

「お掛けください」

ジョーンズは醜いカウチに腰を降ろした。

「ジョージは、ずっと、ちょっと変わった子でした」

「奥様のお子さんなのですね?」

「ええ、でも、5年以上も自分の母親に顔を見せない息子なんて、どこにいるのでしょうね……前は、毎週のように日曜日には来てくれていたのに。……でも、ある日、突然、玄関から飛び出していったんですよ。あることをしたって、誰かに追われているって、ぶつぶつ言い続けていました。あの子、何と言うか、何か偏執狂になってるのかと思いましたよ、分かるでしょう?」

「彼は今はここに住んでいないのですね?」

老女は頭を縦に振った。「そうねえ…ジョージが大学を卒業する前あたりからずっと…。お金を儲けてからは、何回も引っ越ししました。そして、突然、さっき言ったようなことがあって、その後は消えてしまったのよ」

「写真はありますか?」

老女はクローゼットのドアノブに吊るしているハンドバッグを漁り、中から写真を出し、デビッドに手渡した。写真の男は、背が高いが、ガリガリと言っていいほど痩せた男だった。白いにきびだらけの顔は醜く、赤い髪はぼさぼさだった。

「このお写真、お借りしてもよろしいでしょうか?」 とジョーンズは尋ね、老女は頷いた。

「他に何か、ジョージさんについて調査の助けになりそうなこと、ご存じありませんか?」

「うーん、そうねえ……。ああ、ひとつありました。ひとつと言うか、ひとり。レオです。レオ・ロバートソン」と老女は溜息をついた。

「レオっていう子はねえ、ずっとジョージのことをひどくイジメていたんです。ジョージは、レオのせいで、高校の時も、大学に入ってからも、人から好かれなかったって、すごく恨んでいました。いくつか記憶に残る出来事も。確か、ジョージがいなくなる1年くらい前のことだったかしらねえ。ジョージが電話してるところを聞いたことがあったわ。レオの進捗がどうのこうのって…。ものすごく悪意がこもってる言い方だったので、覚えています。あんなふうにしゃべるジョージを聞いたことがなかったから」

「レオ・ロバートソン……ですね?」

老女は頷いた。

デビッドは立ち上がり、「ありがとうございました」と礼を述べた。

ジョージの生家を出て、車に戻ったジョーンズは電話を取った。

「ああ、ある名前について調べてほしい。レオ・ロバートソンだ。……ああ、ありがとう。それから、写真のスキャンを送る。それもデータベースでチェックしてくれ。……ああ。それでいい。すぐにこっちに送ってくれ」

*

『バニー』と言う名のストリップ・クラブ、その前に停めた自分の車にデビッドは寄りかかっていた。レオ・ロバートソンは、現在、レア・ロバートソンと名乗り、ここで働いているとファイルにはあった。デビッドは店内に入った。

クラブの中は暗く、(多少、くたびれていはいるものの)可愛い女の子がステージの上、トップレスで踊っていた。デビッドはカウンターに向かった。

「何を出します?」 とバーテンが尋ねた。

デビッドはバッジを見せた。

「ここのオーナーに話しがあるんだが」

バーテンは頷き、カウンターの後ろのオフィスに引っ込んだ。2分ほどした後、彼が現れ、その後ろにオールバックの髪の太った毛深い男がついてきた。

「何か御用で?」 と太った男が訊いた。

「レア・ロバートソン。その人に話しがある」

「ダン、レアを連れてこい」 と太った男が言った。「でも、どういうことですかい? 彼女がトラブルでも?」

「いや。彼女がちょっと前に知っていた人を探そうとしてるだけだ」とデビッドは答えた。

デビッドは人の心を読むのが得意だと自負している。この才能は生まれつきだ。ある人物について、ほんのかすかな特徴を捉え、そこから、その人物が誰で、何をしているかを割り出すことができる。だが、レアを見たとき、彼女が元は男だったと認識できる特徴は、まったくなかった。

彼女は、ゆったりと、大きな腰を揺らしながら歩いてきた。その身のこなしは、セクシーに見せようとして、これ見よがしにして見せる動きではなかった。そんなのではない。実に繊細な動きだ。天性の動きとも言える。下は小さなGストリングのビキニ、上も身体を想像しようとしても、丸わかりで想像の余地がないほどわずかなものしか着ていない。確かに、ジョーンズは彼女の乳房が偽物なのは認識した……とは言え、現役ストリッパーのうち、いったい何人が生まれつきの乳房をしてるというのだ。

レアはデビッドのところに近寄り、言葉を発した。「私に会いたいって、あんた?」 声までも、完全に女の声だった。

「ああ」と彼はバッジを見せた。「どこかふたりで話せる場所はないか?」

太った男が口を挟んだ。「俺のオフィスを使ってもいいぜ」

「ありがとう」

デビッドとレアはオフィスへと案内された(もちろん、薄汚いのはいうまでもない)。中に入るとレアは椅子に座り、デビッドは立ったままでいた。

ドアが閉まるとすぐに、デビッドが言った。「君のことは知ってる。レオ・ロバートソンだね?」

レアは黙ったままでいた。「何が欲しいのよ? お願いだから、誰にも言わないで。私、首になってしまうし……」

「ジョージ・ヤングについて何か知ってるか?」

「ジョージ? ジョージには5年以上、会っていないわよ」

そう言ったきり、レアは黙りこくった。そしてしばらく経つと、目から涙をこぼした。涙の粒がつるつるの頬を伝い落ちた。

「彼が私をこんなふうにしたのよ」

「何?」

レアは立ち上がって、自分の身体を示した。「これよ」

「手術か?」

「いいえ。おっぱいは違うけど。おっぱいの方は仕事のためにしたの」

「何を言ってるか分からない」とジョーンズは言った。

「私も分からないわ。でも、ある日、5年ちょっと前あたりね。私、身体が変わり始めたの。最初は気づかなかったわ。どうしてか分からないけど。多分、今なら簡単に分かるけど、最初は、何もかも、現実離れしすぎてて。昔は、私もごく普通の男だったのよ。ノーマルでストレートのオトコ。だけど、何ヶ月かするうちに、どんどん身体が小さくなってきて、身体の形も変わったの。ちんぽまで小さくなったわ。そして、そのうち、男とセックスしたくなってきたの。それから、今、あんたが見ている私、つまりセクシーなストリッパーね、それに変わるまではあっという間。いまだに、どうしてこんなことになったのか分からないわ。今はたいてい、気にもしていない。身体の具合もいいし。実際、幸せに感じる時もあるわ。でもね、時々、すべてがひどく間違っていると感じる瞬間が襲ってくるの。だって、こんなのおかしいもの。私は、こんなところにいるべき人間じゃないのよ。こんな人間、私じゃない」

「どんなふうに変化が起きたか知らないと言ったね? どうしてジョージのせいだと分かるんだ?」

「彼が私にそう言ったのよ。彼が店に来て、ラップダンス(参考)をするように私を指名したの。そして、ダンスの後、自分はジョージだと名乗って、私の変化に関して、自分が仕組んだんだと言ったのよ。

「今、ジョージがどこにいるか知ってるか?」

「いいえ」

*

ジョーンズは動揺していた。彼ほどの冷静沈着な精神の持ち主ですら、レアと言う名の元男性が言ったことの含意を飲み込むことに、困難さを感じた。レアは、どのように変わっていったかを実に詳細に説明してくれた。そして、その説明は、ベル博士が書いた手紙の内容とまったく同じだった。

ジョーンズは車の中、自分のおかれた状況について考えた。正直、これまで、このケースを追ってきたものの、若干つまらないと感じながら追ってきたと言えなくもない。もちろん、彼はプロであり、有能なのではあるが、気持ちが入っていたわけではなかった。あの博士の狂った主張には何の信憑性もないと思っており、単にほら話を吹いただけの犯人を追うだけの、面白みのない事件だと思っていたのである。だが、今、ジョーンズは分からなくなっていた。このようなことをジョージ・ヤングという人物にできたのだとすれば、これは不可能ではないということになる。さらに、ジョージとベル博士は接触を持ったのは明らかだ。

次の行動を考えていると、彼の電話が鳴った。

「もしもし?」 内心の懸念がばれぬように、彼は落ちついた声で電話に出た。

「君が送ってくれたあの写真、ジョージ・ヤングで、正しいんだな?」

電話の向こうの分析官が訊いた。デビッドはそうだと答えた。

「そうか。だったら、そいつを探すのは、もうやめてもいいな。彼の容姿にマッチする死体が、いま君がいる州からふたつほど離れた州で見つかっていたんだ。それも5年ほど前に」

「本当か?」

「今、歯の記録と照合するため、いわば死体を掘り起こしているところだ。だが、ほぼ確実だと思っている」

「分かった。ありがとう」とジョーンズは答えた。「これから……」 急に声がかすれた。ジョーンズは一度、咳払いをした。「これから……接触しよう」

ジョーンズは電話を切った。さっきまでのジョーンズが、ベル博士の計画が現実化しつつあるのかもしれないと思っていた、と言うなら、今のジョーンズは、ほぼ確信したと言ってよいだろう。たった今、声が変わったのだ。

ジョーンズは、とりわけ低音の声だったというわけではなく、時々、低音の女性の声に聞き間違えられることもあった。だが、いまは、まともな人間なら誰でも、彼の声を男性の声と聞き間違える人はいないだろう。試しに何度か声を出してみた。やはりダメだった。彼の声は、これまで耳にしてきたどんな女性の声と比べても、むしろ、それより甲高い声に聞こえた。これは驚きだった。

だが、たとえ、そのようなことがあっても、決して集中力を失わない。それがデビッド・ジョーンズの本性である。未解決と決定されるまで、彼は追跡を続けるだろう。依然として、辿っていける道は、まだ、ふたつみっつは残っている。ひょっとして、本当にひょっとしてだが、この件に関して、本格的に変化が始まる前に、自分が食い止めることができるかもしれない。

彼は車をスタートさせた。先の道のりは長く、残された時間は刻々と減っていく。

*

そのおおよそ2日後、ジョーンズは、とある豪邸の前に立っていた。

彼は、東海岸の海岸線に沿って北上し、昨日、ニューヨークに着いていたのだが、すぐに、目的としていたジャマル・ピアスと言う名の犯罪者が、2年ほど前に引っ越していたことを知ったのだった。ドラッグ王どもは、引退の計画もしっかり立てているものらしい。

だが、ピアス氏がニューヨーク郊外の土地に引っ越したことを探り当てるのに時間はかからなかった。彼は、自分の帝国を譲った部下から、いまだにちょろちょろと収入を得ているらしい。だが、あらゆる面からみて、彼がこの業界から実質的に手を引いているのは確かだった。

デビッドは玄関をノックした。その数秒後、小柄な黒人女性がドアを開けた。彼女の肌色は薄色であり、両親の片方が黒人で、もう片方が白人である様子だった。髪もストレートに伸びている。身長は160センチ程度。体重も55キロはないだろう。アートっぽい刺繍があるジーンズとピンク色のゆったりしたTシャツを着ていた。

「ああ」とジョーンズは偽のFBIバッジをチラリと見せた。「ジャマル・ピアスさんに会いに来たのですが、彼はここにいますか?」

彼女は、ジョーンズの声を聞いて、一瞬、彼の顔を二度見したが、何かを思い出したようで、気にしなくなった。

「ええ、どうぞ、入って。彼を連れてくるから」 と彼女はジョーンズを中に入れた。

彼女が二階に上がるのを見ながら、ジョーンズは豪華な装飾や家具がある居間でソファに座った。部屋を見回す。このジャマルと言う男はかなりの期間、カネを持っていたのは明らかだ。しかも、最近得たカネにもまったく執着していない様子だ(趣味が悪いかも。しかし、高価できらびやかなら、自分も欲しい)。いや、よく見ると、なかなかいい趣味をしているようだ。

2分もしないうちに、逞しい黒人男が階段を降りてきた。例の女性が、その後をついてくる。

「何か御用かな、捜査官?」 と男は低いバリトンの声で尋ねた。

「FBIのデビッド・ジョーンズ捜査官です」 とジョーンズは立ち上がり、ジャマルのところに近づいた。

ジャマルは手を差し出し、ジョーンズは彼と握手した。

「それで、どんなご用件で?」

「最初に、ふたつ三つ、除外したいことがあるだが…」

ジャマルは頷いた。

「私はあなたが誰であるかも、あなたがしてきたことの大半も知っている。だが、私はそれには興味がない。あなたは私の調査対象ではない。私がここに来たのは、オマール・ベル博士を見つけるためだ。過去、あなたがベル博士とビジネスをしたことは知っている。そのビジネスでのあなたの役割にも、私は興味がない。ただ、ベル博士を見つけたいだけだ」

「よかろう」 とジャマルは言った。「訊きたいことを言ってくれ。だが、俺はそいつがどこにいるかは知らんよ。もう何年も会っていない」

「どんなビジネスだったのかな? あなたが彼に多額の金を払ったのは知っている。それは何のためだったのか?」

ジャマルは女の方に顔を向け、言った。

「マラ、服を脱げ」

「いや、これは……」とジョーンズが言いかけた。

「いや、これがあんたの質問への答えなんだよ、ジョーンズ捜査官」

ジャマルがそう言う間にも、マラと言う名の女は、すぐに服を脱ぎ始めていた。ジョーンズは、居心地悪そうに、女が服を脱ぐのを見ていた。数秒後、女は素っ裸になっていた。そしてジョーンズは、女が実は女ではないことに気がついた。男なのか? あるいは、男のようなものなのか? 少なくともペニスはついている。だが、異常なほど小さく、5センチもないだろう。

「これが」 とジャマルはマラを指差した。「これが俺がカネを払って手に入れたモノだ」

「何を言ってるか理解できない。彼女は……」

「彼は、だ。マラは女じゃない。見ての通りな。はっきりさせよう。いや、マラに話させた方が、もっといいかな」

数秒後、マラは話し始めた。以前は強盗(他の犯罪者たちを襲って獲物をかすめ取るギャング)だったこと。そしてジャマルらに捕まったこと。(正確な時間はマラは分からなかったが)それから1年ほどかけて、身体が変化したこと。その後、2年近く、ジャマル一味への性奴隷として暮らしたこと。それらをマラは平然と語った。

「でも、その後、ジャマルはあたしをそこから解放してくれたの」 とマラは心から愛情を持っている様子で語った。「彼が引退して、あたしをここに呼んでくれたの」

マラの話しは、レアが語ったことと似ていた(少なくとも、身体の変化については)。ともかく、ここにいるドラッグ王は品行方正になった様子だ。

「で、ベル博士がどこにいるかは分からないと言ったね? 彼に接触する方法はないと言うことか?」 とジョーンズはジャマルに尋ねた。

「ああ。それに、あいつを見つけるのは大変だと思うぜ。ベルは、あのウイルスだか何だかを放出した後、どこかに身を隠したからな。変化はすでに始まっている」

それは質問してなかったが、ジョーンズは頷いた。

「他に何か情報は?」

「俺か? ないな。だが、マラともっと話したかったら、自由に訊いていいぜ」とジャマルは、素っ裸のままのマラを指差した。「俺は、ちょっと電話がかかってくる約束があるんだ。お前たちで、おしゃべりでもしてろ」

ジャマルはそう言って、立ち上がり、階段を上がった。

マラとデビッドはしばらく沈黙のまま座っていた。その後、いたたまれなくなったデビッドが口を開いた。

「服を着てもいいんだよ。分かってると思うが」

マラは肩をすくめた。「あたしはどっちでも構わないけど。でも、あなたが居心地悪いと感じるんだったら……」 と彼女はすぐに服を着た。

「それでと……この先、どんなことを予想すべきか?……」 とジョーンズは切り出した。

「あなたの人生も、世界に対する見方も変わること」 とマラは答えた。「変化は身体的なものだけではないわ。不思議だけど。すべてがすごく連動してるの」

「どういうこと?」

「そうねえ……。変化の前は、あたしは女が好きだった。完全に異性愛指向だった。なのに、変化するにつれて、男の方が魅力的に見えてくるのよ。そして女の方はと言うと……まあ、もう今はあんなふうには気持ちが揺れたりしないと言っておきましょうね。それから、あの感覚! そのベル博士が何かしたかどうか分からないけど、でも、アナルセックスが……。変化の前に感じたどんなことよりも、はるかにずっと気持ちいいのよ。この2年ほどで、快感はかなり収まってきてはいるわ。でも、それまでしばらくの間は、あたし、文字通りの淫乱、色情狂だったのよ。でも今は、男と一緒になるのが自然だと感じてる。たぶん、男に惹かれるという指向を与えて、その後、その指向をプラスに強化したという仕組みじゃないかと思ってるけど」

「このことについてずいぶん考えたようだね」 とジョーンズが言った。

「ええ。さっき言ったように、あたしが男だった時には、女が好きだったから。そして今は、そういう状態とは真逆になっている。そういうことについて考えるのも当然じゃない? そうでしょ? ま、たくさんいろんなことが変わると予想することね、ジョーンズ捜査官」

*

デビッドは納得していた。脅威は現実だった。車の中、座席に座りながら、彼はマラが言ったことを考えていた。理屈が通る。もし、ベル博士が人の指向を変えることができたら、そして、その指向を快感を使って強化したなら、身体の変化を、彼が対象とした者にとって、より受け入れやすいものにすることになるだろう。そうすることで、対象者は、よりコントロールしやすくなる。

デビッドは頭を後ろに倒し、深い溜息を吐いた。そして、差し迫る変化について考えた。自分もマラやレアに似た存在になっていくのだろうか? ふたりとも豊胸手術を受けていた。ということは、乳房ができることは、ベル博士の計画には含まれていないことになる。デビッドは助手席に置いた茶色のファイルを取って、開いた。中にはベル博士の文書が入っていた。彼はそれを読みなおし、自分がどういう姿になるか、どんな存在になるかを想像しようとした。

現時点では、世界中で、白人男性がまったく新しく、高音の声を発し始めているところだと分かる。その声は、そもそもの声質に応じて、声の高さだけが変わるはずだ。低音だった男性は、女性的なハスキーボイスの持ち主になる。自分の場合は、元々、高音の男性の声だった。今後、おそらく高音の女性の声になっていくのだろう。彼は再び溜息をつき、ファイルのページをめくった。

手がかりと言えるものが、もうひとつある。マイケル・アダムズだ。西海岸カリフォルニアに住む、元ビジネスマン。

ジョーンズはエージェンシーに電話を入れ、ニューヨークからロスへのフライトを予約させた。フライトは翌日だった。そこでジョーンズは空港のホテルにチェックインした。

翌朝、ジョーンズはシャワーから出て、タオルで身体を拭いた時、全身の体毛がなくなっていることに気がついた。顔に手をやり、肌がつるつるであることを知る。第二段階、完了か。彼はその情報を頭の片隅に追いやった。今は目の前の任務に集中しなければならない。

*

翌日の夜、デビッドはロスに着いた。飛行機の中で寝ようとしたが、寝付けなかった。彼は眠る代わりに、追ってる事件のことを考えた。時系列に沿って出来事を考える。

次第にはっきりしてきてることは、ジョージ・ヤングが、元イジメをしていた者に対する復讐のために当初の化合物を開発したということ。今は亡き若い科学者に多額の金が支払われた。それは、ベル博士がその化合物を購入したことを確証していると言える。だが、ベル博士は資金が乏しくなっていたのだろう。そこで、彼はジャマル・ピアスに仕事を持ちかけた。そしてジャマルはライバルだった男を女性化した。ジョーンズは、マラの女性化はふたつの目的を持っていたのではないかと睨んだ。化合物の実験と、資金獲得のふたつ。

だが、このマイケル・アダムズという男は予想がつかなかった。彼のどこを取ってもオマール・ベルとは結び付きそうに思えない。アダムズは黒人だが、戦闘的な差別反対主義者ではない。共和党の党員の登録さえしている。彼は2年ほど前、巧妙な投資を行い、かなりの利益をあげ、それ以後は、静かに生活を送っている。にもかかわらず、彼は、ベル博士の組織に6百万ドル以上の寄付をした(その組織の目的は、自閉症の治療の研究と考えられている)。

いや違う。マイケル・アダムズについて、どこか間違っているはずだ。

ロスに着いたのは夜だったので、ジョーンズは少し眠ることにし、ホテルにチェックインした。部屋に入り、ベッドに入るとすぐに、彼は眠りに落ちた。

翌朝、目が覚め、着替えを始めた。ジョーンズは鋭い感覚を持っている。すぐに、ズボンの腰回りが緩くなっていることと、歩くと裾が床を擦っていることに気がついた。時間がどんどん減ってきている。間もなく、変化が本格的にスタートするだろう。

*

豪華なマンションだった。ビルのワン・フロアを丸々、彼の住居が占めていた。だが、それは驚きに値しない。マイケル・アダムズは裕福な男であり、このようなマンションに住んで当然であったから。デビッドはドアをノックした。2分ほどして、太った黒人がドアに出た。

ジョーンズはバッジを見せた。「こんにちは。私はFBIのデビッド・ジョーンズ捜査官と言います。ちょっと二、三、お訊きしたいことがあってきました。もしよろしければ……」

「何について?」 とアダムズが言った。

「オマール・ベル博士について」

「ああ、どうぞ」

アダムズはそう言って脇によけ、ジョーンズを招いた。部屋に入りながら、アダムズは続けた。「彼が大気に撒き散らしたモノについてですね?」

「ええ。私たちは彼を探しているんです」

「彼がどこにいるか、私には分かりません。大学以来、何度か会っただけ。彼がここまでするとは……。何と言うか、彼はずっと前から、人種のことについてちょっと行きすぎるところがあったんです。いつも怒り狂ってた。どうしてかは私には分かりませんが。でも、こんな大事件を起こすとは思ってもみなかった」

「大学の時に知り合ったと?」

「ええ、あなたは、それが理由でここに来たと思っていましたが……。私たちはほぼ2年間、ルームメイトだったんです。……ん、ちょっと待って。もしそれが理由でないとしたら、どうして私のところに?」

「あなたは3年前、彼の組織に6百万ドルの寄付を行っている……。彼が、それほど多額の寄付に値することとして、どのようなことをしたのか、それが知りたいのです」

「ああ、うーん…私は……」

言いかけたアダムズをジョーンズは遮った。

「まあ、その件について、あなたに思い出していただく必要はないでしょう。質問を変えます。変化が始まったら、これがカオス状態を引き起こすことになると思いますか? その可能性があることをあなたは知っているはずです。それに、以前に、そのようなことが行われたことも知っているはず。それこそ、ベル博士が行ったことじゃないのですか? 彼はあなたのために誰かに変化を起こしたのでは? ベル博士の物質を使って、誰か以前のライバルの身体を変え、露出度の高いランジェリ姿でここに来させたとか?」

しばらく沈黙した後、アダムズが言った。「そういうことじゃない」

「何が、そういうことじゃないと? ということは、ベルは誰かを変えたのは事実なのですね?」

「……軽率な判断でした。当時、私は非常に暗い立場にいた。そして、そんな時、オマールが突然、連絡を入れてきたのです。私たちは一緒にディナーを食べました。そのディナーでは、旧友ふたりが再会し、昔話をするようなものだろうなと思っていた。ですが、さっき言ったように、当時の私はひどい立場にいた。すでに、オマールの話しを聞く前から、私は非常に愚かなことを計画していたのです。私は、自分が抱えていた問題をオマールに話しました。私は、仕事で巨額の損失を出してしまったことについて、不当な責めを受けていたのです。その損失は、トニーのミスによるものだったのですが、トニーが社長のいとこだという理由で、私が責任を取らされたのです。私は会社を解雇された。20年も真面目に勤め、会社に貢献してきたのに、私が行ったことでないことの理由で、私は首になったのです……」

「……ですが、オマールは、それを聞いて、ある提案をしてきたのです。気が狂ってるような話しでしたが、当時は、私もちょっと常軌を逸していたわけで、私は同意してしまった。トニーにはフィリップという息子がいました。トニーの自慢の息子で、彼の喜びでもありました。オマールは、トニーから、彼が最も価値を置いている存在を奪ったらどうかと言ってきたのです……」

「……私はフィリップを誘拐しました」とマイケルは言い、視線を宙に向けた。目が泳いでいる。張りのない声を出していた。「でも、誘拐だけでは終わらなかったのです。オマールは、あの化学物質を開発していた……」

「実際に開発したのはベル博士ではなかったのですよ」 とジョーンズが割り込んだ。「ベルはウェスト・バージニアにいた青年から、あれを買い取ったのです」

「おお、それは知りませんでした。まあ、どちらにせよ……。私たちは彼の息子を変えてしまった。信じがたいことでした。まるで、風変わりなSF映画のような話で。フィリップは体格のいい、スポーツマンタイプの若者でした。ですが、すべてが終わった時までには、彼は本当に小さな身体になっていた。150センチもなかったでしょう。体重も45キロ程度。正確にどういう仕組みであれが可能になったのか、私には分かりません。オマールは説明しましたが、私は詳しいことには注意を払っていませんでした。ただ、オマールはあの息子の体格だけを変えたわけではなかったのです」

ジョーンズが口を挟んだ。「その若者の性的指向も変えたのですね?」

「ええ。そして、あの子はセックス狂になった。ことが終わった時には、彼は完全に男性しか愛さなくなっていました。…………自分が行ったことは言い訳できることではないのは存じております。でも、あの子の方は、変化を喜んでいた。あれは、条件付けか、あの物質中の何かに起因していたのかもしれませんが、1年も経つと、彼は以前の生活に戻りたいといったふうにはまったく見えなくなっていたのです」

「それは他の大半のケースでも同様でした」 とジョーンズが言った。哀れな青年たちは、何をしても自分の状況は変えられないという内的な諦めと、外部からの強化があいまって、そういう状態になったのだろう。おおよそはジョーンズも把握していた。

「そのフィリップという若者は、今どこにいますか?」

「分かりません」 とアダムズは言った。「彼の父であるトニーは、ここから2時間か3時間くらいのところに住んでいます。私たちは、そこにフィリップを帰した。その後、フィリップがどこに行ったかを知ってる人がいるとしたら、やはり、トニーでしょう」

「で、ベル博士は? 彼が隠れていると思われる場所に関して、何か手掛かりは?」

アダムズはちょっと考え込んだ。

「分かると思いますが、今回の事件が起きる2年ほど前の時点だったら、私はあなたに、出て行けと怒鳴ったことでしょう。でも今は……私にもオマールは心を病んでると分かります。多分、ずっと前から、私は彼をそう思っていたのかもしれません。何でもかんでも、彼は白人男性のせいにしていた。でも、私は彼を好きだったし、彼は私の友人だったのです。でも今は……。あいつはやりすぎてしまった」

アダムズは遠い目になった。

「何か書くものを持っていますか? ……ああ、それでいいです。私たちは、フィリップを北アフリカのとある収容施設に連れて行きました。サハラ砂漠のど真ん中です。オマールがいるとしたら、私はそこしか知りません」

そして、アダムズは収容施設の場所とトニーの住所を書き、そのメモをジョーンズに渡した。

*

デビッドには選択肢がふたつあった。アフリカの収容施設を見つける選択肢と、自分の好奇心を満たすためにフィリップ・グリーンの身に何が起きたかを見に行く選択肢。この時は、彼の好奇心の方が勝った。

車に乗り込み、トニー・グリーンの住居がある北に向かった。アダムズの説明とは異なり、道のりは倍の6時間もかかった。デビッドは、辺りがすっかり暗くなっていたものの車を走らせ、ようやく、トニーが住む小さな町に来た。時間が遅くなっていたので、その夜はモーテルにチェックインした。

ベッドに横たわりながら、この事件について考えた。このベル博士という人物は、自分が主張したことが現実になることを証明した。実際、初期の報告によれば、(全員とは言えないものの)白人男性のほぼすべてが変化を示している。ジョーンズは、白人男性がすべて変化した世界とはどんな世界だろうかと思いを巡らせた。世界はどんなことを起こすだろう?

その問いに対する答えは見つけられなっかった。彼はいつしか眠りに落ちていた。

翌朝、目が覚め、自分が若干、小さくなっていることに気づいた。身体の感じが昨日と異なる。身長では1センチくらい、筋肉も1キロくらいか? たいていの人は、そういう小さな変化には気づかないものだ。だが、デビッドは、ほんの些細なことにも気づくことができるように訓練されている。

デビッドは、そんな身体の変化は当面、忘れることにした。自分がどうなるかは、すでに知っている。今は、それを考えても意味はほとんどない。

その30分後、彼はトニーの家の前にいた。丸太小屋だった。玄関ドアをノックする。数秒後、デビッドはFBI捜査官と名乗り、家の中に迎えられた。

トニーは年配の男だった。おそらく50歳くらい。やつれた顔をしていた。目はくぼみ、頬には張りがなかった。

「どんなご用件かな?」 とトニーが言った。高音のかすれ声だった。

「息子さんについてです」

「私は……」 とトニーは言いかけて、少しためらった。「息子を見つけたのか?」

「詳細は省かせてください」とデビッドは言った。「あなたの息子さんが戻ってきたこと、しかも、すっかり変わった姿で帰ってきたことは知っています。そんなふうにしたのが誰で、どんな理由でかも知っています。私は、個人的な好奇心を満足させるためだけにここに来ました。お子さんがどういうふうに変化に対処したかを知りたくて」

「ああ……。彼は大丈夫だ。少なくとも最後に会ったときは。息子は今、私の姪として生活している」 

トニーは、そこまで言って、少し間を置いた。

「ちょっと待ってくれ? 誰がどうしてやったか知ってると言ったね?」

「あなたはご存じない?」

「誰だか知らないが、マイクという名の男だとは知っている。だが、それ以上は……」

「マイケル・アダムズです。あなたの元同僚の。あなたが犯したミスのひとつについて、責任を押し付けられ、解雇された男です。彼は個人的な恨みを抱いた。そして、あなたはちゃんと罰せられるべきだと考えたのです」

「アダムズ……ああ、何となく覚えている。それで、その男がこれをやったのか。どうして俺の息子を? 彼は逮捕されているのか?」

「彼は、あなたの御子息を誘拐し、女性化することにした。まあ、彼はそれがあなたの心を傷つける最良の策だと考えたのでしょう。……彼が逮捕されているかどうかですが、答えはノーです。アダムズは別件の調査で非常に重要な情報を提供してくれましたので、告訴しないことになったのです」

ジョーンズは嘘をついた。そもそも彼はアダムズについて報告書を書くつもりはなかった。であるから、彼の情報自体が存在しないも同然になる。

「なるほど……。で、あんたは何が知りたいんだ?」

「息子さんに関してご存知の情報なら何でも」

「さっき言ったが、息子は市街に戻って、秘書か何かをしてる。息子の身体に何が起きたかは、あんたの方が知ってるだろう?」

「ええ」

「やつらは、息子の変身を記録した写真やビデオを俺に送ってきた。もし、それが役立つなら」

「提供してくれる情報なら何でも」 とジョーンズは答えた。

*

デビッドは最初から始めた。一連の画像と動画をポータブルのハードディスクにコピーし、モーテルに戻った。そのハードディスクを自分のパソコンに接続し、まずは画像から見始めた。

最初のセットは、背が高くスポーツマンふうの若者が出てきた。素っ裸で、非常に女性的なポーズを取っている画像ばかりだった。次のセットでは、その若者の体毛がすべて消えていた。残りの画像のセットでは、次第に身体が変わっていく様子が映っていた。身長も体格もどんどん縮小していく様子である。最後に、彼の身体が、ジョーンズがこれまで見てきた犠牲者たちと同じ体つき(ただし、豊胸の乳房はない体)になっている画像があった。

次に動画に移った。最初の動画は、裸のフィリップが父親に自分は大丈夫だと伝える動画である。次の動画はフィリップがダンスをしている動画だった。その次は、よくある、若者がふざけているところを手持ちのカメラで撮ったアマチュア動画ようなビデオだった。そのふざけている様子は、男の若者のそれというより基本的に若い娘の様子に見えた。

その後にセックス動画が出てきた。始まりは、黒人女性との行為。だが、男性と女性の行為とは違っていた。レズビアンの行為と聞かされて想像する行為に近いものだったと言える。その動画の終盤に差し掛かると、黒人女性は姿を消し、ひとり残ったフィリップは脚を広げ、ディルドを手に自慰を行っていた。

次の動画も黒人女性が出てきて今の動画と似ている。だが、違いがあった。今回は、双頭ディルドを使っての挿入があった。さらに次のでは、黒人女性はストラップ・オンを使っていた。最後の動画はかなり長時間に渡るものだった。(もっとも、デビッドは大半を早送りで見た。その大半の部分ではフィリップがふたりの男性と3Pを行っているシーンだった)。

動画を見終えたデビッドは、最初の一連の画像と、最後の動画の静止画像とを見比べた。確かに、どこか風貌は似ている。だが、乳房がない点と小さなペニスがある点を除外すると、最終結果は、フィリップに妹がいたら、こういう姿になるだろうといった姿だった。ジョーンズは、どうしてトニーがこれら画像や動画をいつまでも持っているんだろうと、不思議に思った。

ジョーンズは、それは分からないと肩をすくめ、ノートパソコンを閉じ、明かりを消し、眠りについた。

*

ジョーンズが動画を観てから、1週間以上が経っていた。この間に身長は8センチ、体重も16キロほど減っていた。今はおおよそ、身長165センチ、体重65キロになっている。時間の大半を調査に費やしていた。

フィリップを見つけ、話しかけた。フィリップは非常に快活な性格をしていることが分かった。興味深いことに、彼は豊胸手術を受けないことに決めていた。話す内容も、動画から推測できる域を超えることがなく、面会を続けても価値は少ないとジョーンズは判断した。

その後、ジョーンズはアフリカに向けての旅行の準備、およびアフリカに着いた後、目的地に行くまでの移動手段の準備に取り掛かった。収容施設はサハラ砂漠の中央にある。ということは、入念な計画が必要だということだ。それを怠ると、砂漠の真ん中で命を落とす可能性が出てくる。

準備には、3日ほどかかった。フライトにはもう一日かかった。

というわけで、すべてを決め、実行した時には、1週間が経っていた。今ジョーンズはアフリカのとある空港のトイレの鏡の前にいる。そして鏡に映る自分の姿を見つめていた。カーキのズボンは革のベルトでしっかり押さえていたが、デビッドを見たら誰でも、彼の服のサイズがまったく合っていないことがはっきり分かるだろう。シャツも細くなった肩にだらしなく被さっているし、ズボンの裾も幾重にも巻き上げなければならない。

それよりも、顔の変化に目を奪われた。顔つきが柔らかくなっている。もちろん、これは予想していたことだったが、予想することと、直に見ることでは、非常に異なる。目もクリクリとして大きくなっていた。

ジョーンズはケースを持ち、トイレを出て、人ごみの中を進んだ。自分の身体が細くなり、弱々しくなった感じがした。それはそれでメリットはあるが、彼はその感情を押し殺した。そして間もなく空港を出て、雑踏の街に出た。歩き進みながら、人の視線を惹きつけてるのを感じた。彼の白い肌せいで視線を浴びているのではない。彼の身体の大きさと、その大きさに合わない服のせいだった。

2ブロックほど進んだ後、デビッドは横道へと向きを変え、その行き止まりまで進んだ。進んできた道を振り返り、誰もいないことを確かめた後、ある特定のレンガを押した。レンガが引っ込んでいく。その1秒後、右側のドアが開いた。中に入ると、ドアは自動的に閉まった。

「やあ、エージェント・ジョーンズ!」 と人懐っこい声が彼を出迎えた。サミール・アルクラ—である。ジョーンズの古くからの友人である。デビッドは、サミールが前に会った時とほとんど変わっていないことに気づいた。

「やあ、サミール」 とジョーンズは返事し、ふたりは握手した。「急がせるわけじゃないんだが、時間がなくなってきてるんだ。前に頼んだ移動手段に加えて、必要なものがいくつかある」

「何が必要だ?」

「服だ。サミール、私は変化している。見てのとおりさ。しかも、進行中だ。このままだと、父親の服を着た子供のように見えてしまって、歩きまわることができない。私の命は人に気づかれない能力に依存してるので、こういう服では活動できないんだ。だから、何か普通に見える服が必要だ」

サミールは少し考え、言った。「これからどれくらい変わると予想している?」

「次の1ヵ月の間に、身長はあと13センチ、体重は7キロ減るだろう」

「ローブを何着か貸してやろう。詳しく調べられたら、それでは通らないが、あまり視線を浴びずに街を歩くことくらいはできる」

「オーケー、それでいい」

*

その2時間後、ジョーンズは女性のローブを着て、ラクダの背中に乗り、サハラ砂漠を進んでいた。サミールがあんな短時間で見つけることができたローブはそれだけだった。

これからほぼ1週間は砂漠を移動することになる。そこでジョーンズは、それに応じた荷造りをした。

夜に移動し、昼は眠った。毎朝、テントを張る前に、自分の身体に起きた変化をチェックした。毎日、一定の割合で確実に体重が減っている。だが、尻は膨らみ始めていたし、腰も広がり始めていた。はっきりとは目立たないが、彼は気づいていた。

6日後、ジョーンズは収容施設に着いた。コンクリート製の巨大な施設だった。外見は何年も廃墟になっていたように見える。

ジョーンズはラクダを施設に近づけ、ドアの近くで降りた。ドアを試してみた。ロックされていた。

彼は小さなキットを出し、挿しこんだ。ドアは簡単に開いた。ポケットから懐中電灯を出し、施設に入った。

中を進みながら、ジョーンズは、第一印象が正しかったと思った。ここは、しばらく使用された後、廃墟とされたものだ。床は、厚い埃で覆われていた。彼は、ベル博士の足取りに関する手掛かりを得ようと、探索を始めた。

フィリップの元の寝室を見つけた。いまだに家具類は置かれたままだが、衣類を探したものの、それはなかった。次にダンス・スタジオを見つけた。さらに個室もいくつか。キッチンには食材はなかった。そして最後にベル博士のオフィスと思われる部屋を見つけた。中に入ると、ファイルのキャビネットがあった。

キャビネットの中を捜すと、ベル博士の経理記録が出てきた。これを調べるのは、時間も場所も都合が悪い。デビッドは部屋を出て、ナイロン製の大きな袋を持って戻ってきた。そしてキャビネットの中身を全部袋の中に入れ、探索を続けた。デスクで書類や通信文を見つけたが、それ以外には、この部屋では特に目立ったものはなかった。もっと言えば、収容施設全体でも、他には目立ったものは見つけられなかった。

ジョーンズは袋を持ち上げたが、その重さに危うく転びそうになった。自分は以前と異なり、今は痩せて小さくなっている。当然、筋力も減っている。それを思い出し、袋を抱えるのは諦め、床を引きずることにした。袋を引きずりながら収容施設の外に出た。袋をラクダの上に乗せるのには、ひと苦労したが、なんとかやり遂げた。

帰りの移動では特に変わったことはなかった。ただし、一度、大きな砂嵐に遭遇した。ジョーンズは、フランス軍が破棄したと思われる要塞に入り、そこで嵐をやり過ごした。だが、そのことにより、ほぼ3日の遅れが出た。

その3日間、彼は施設から取ってきた書類を調べた。そして、このベル博士に関わった人間が、予想以上に多いことに驚いた(もっとも、関わった人間の大半は、実際には、どんな事件に関わっているかまったく知らなかっただろうと推測できた)。書類の検討を通じて、ジョーンズはわずかながら有望と思われる手がかりを得ることができた。

砂嵐が去り、デビッドは再び帰路に着いた。サミールの元に戻ったのは、出発してから16日後だった。戻るとすぐに、彼は書類を箱詰めし、サミールに、それを本部に送ってくれと頼んだ。

「さてと、シャワーを浴びて、ちょっと眠ることにしよう」 とジョーンズは言った。

サミールはジョーンズをバスルームに案内した。ジョーンズは、中に入りローブを脱いだ。彼は意図したよりも長くシャワーを浴びた。長旅の後で快適だったからだ。

シャワーから出た後、鏡を見た。自分の身体は、最後に見た時に比べると、劇的に変化していた。身長はおおよそ160センチくらいだし、体重もせいぜい50キロ程度だろうと推測した。ベル博士の他の犠牲者たちに比べると、身体の曲線は目立たない。むしろ、痩せて、柳を思わせるしなやかな身体を思わせた。そうは言っても、曲線がまるでないということではない。ウエストは細く、腰は膨らんでいた。何と言うか、腰のあたりが長く伸びたような印象があった。

そしてペニス。元々大きなペニスをしていたわけではなかったし、実際に測ったこともなかったが、今の彼のペニスは5センチ足らずで、驚くほど小さくなっていた。

身体の変化は、ほぼ終結に近づいたと見てよいだろう。さらに身体が小さくなることだけは起きないでくれと願うだけだった。

*

その2日後、デビッドはアメリカに戻った。そして本部に直行した。本部に着くと早速、ウィルソン女史が彼を出迎えた。

「あなたが戻ってくるのを待っていたのよ。会議室に来て」

デビッドは頷き、彼女の後に続いて歩いた。今や、ウィルソン女史の方が彼よりかなり背が高くなっていた(ヒールを履いているのでなおさら)。

会議室に入り、デビッドは少し驚いた。部屋にはオーウェンズ氏、ダンズビー氏、そして知らない黒人男性がいた。ウィルソン女史と椅子に腰を降ろしつつ、デビッドは、ふたりの白人男性の姿の変化にどうしても気が取られるのだった。

オーウェンズ氏は、60歳近くになっているが、そもそも、小柄な男性だった。それが今は、153センチほどになっており、はっきりと小さくなった印象があった(ひょっとすると140センチ台かもしれない)。顔つきも明らかに女性的になっており、世界で有数の秘密組織を指揮する人物というよりは、スーツを着たおばあちゃんといった風貌になっていた。

ダンズビー氏も小さくなっていたが、印象としては、脂肪分が減ったという感じが強い。ベル博士の化合物は、元々、太っていた人間については、その部分を変えることはないようだった。ダンズビー氏は、太った中年女性のような風貌になっていた(乳房があれば、完璧にそう見えるだろう)。髪の毛すら、前より増えている。

「デビッド、掛けたまえ」とオーウェンズ氏が言った。「ダンズビー君とウィルソン女史については、すでに知ってるね。向こうにいるのは、フランク・サイクスだ」

デビッドは会釈をした。

「それで、何が分かった?」 とオーウェンズ氏が続けた。

ジョーンズは調査結果をすべて詳細に報告した。一通り報告を終えると、「これから、他の手掛かりがないか、これらのファイルの検討に入るつもりです」 と言った。

サイクスが口を挟んだ。「それで、君は、変化についてはどう対処してるのかね?」

「何とかやってますが?」 とジョーンズは答えた。「仕事は続けられますよ。ご懸念の点がその点なら、お答えしますが。それだけでしょうか? 私は仕事に戻りたいので」

「いや、まだダメだ」 とオーウェンズが言った。「政府は我々に他の仕事もするよう要求したのだよ。その仕事とは、影響を受けた男性が新しい状況にスムーズに移行できるように彼らを助けるという仕事だ。政府は、メキシコで発生しているような暴動を死ぬほど恐れているのでね。そこでだ。君は、みんなに起きていることに最も精通している人間だろう。我々は、そういう君の意見を聞きたいのだよ」

それを聞いて、ジョーンズは心のガードを緩めた。

「率直に言って、多くの人には、ちょっと背中を押してやるだけで良いでしょう。自分が感じてることを進めても良いのだと思わせるような何かがあれば充分だと思います。基本的に、我々がしなければならないことは、そういう男たちに、自分たちはもはや本当の意味での男ではなくなったのだと理解させることです。何か他の存在になったのだと理解させることです。そして、彼らにそういう存在であることを受け入れさせる必要があります」

「どうやって?」 とサイクスが訊いた。

「私が見てきたすべての事例において、極めて明瞭になったことがあります。それは、例の化学物質は、白人男性を、他の男性に心が惹かれるようになるまで、変えてしまうということ。もうひとつ、彼らにとってアナルセックスが非常に気持ち良いものであると判明していきます。このふたつがあいまって、相乗効果として、彼らは、何と言うか、本物の男たちにとって自然なセックス相手となっていくのです。したがって、我々は、彼ら白人男性に、そういった感覚を追及していっても構わないのだと思わせる必要があります。もし可能ならの話しですが、我々は、彼ら白人男性に、むしろ、そういう方向に向かうことを推奨すべきでしょう」

その話しを聞いて、皆、しばらく黙りこくっていた。その様子を見てジョーンズが切り出した。

「それは難しいかもしれませんが、可能であると私は思っています。言葉に言うほど単純なことではないのは確かですが、私はちょっとプランを考えています」

そしてジョーンズはそのプランの概略を説明した。それは3つの戦略からなるプランだった。ひとつ目は、白人男性に対して彼らが自分に対して抱く男らしさの概念を攻撃する戦略、ふたつ目は白人男性に新たな性衝動を追及しても良いのだと思わせる戦略。そして3つ目は、白人男性を他の男性から分離することを推奨する戦略であった。

最初の戦略が最も難しく、したがって最も複雑になるだろう。エージェンシーは、一連の記事をインターネットや様々な雑誌に仕込むことにする。そのような記事は、白人男性に対して、彼らは本物の男とはまったく異なる存在なのであり、この違いをしっかりと受け止めるべきなのだと納得させるのを意図している。記事の内容としては、白人男性はどういう服装をすべきかといった内容から、どのようにしたらセックス・パートナーを獲得できるかといった内容に至るまで、様々な内容を扱わせる。雑誌やネット記事に加えて、ファッション業界やエンタテインメント業界にも、その方針に合わせるよう仕向けることができるとサイクスは請け合った。様々なメディアを通して、白人男性を女性に極めて似た存在として描かせるように仕向けるのである。

ふたつ目の戦略は、よりトリッキーであり、第一の戦略と絡み合っている。概略的に言って、ポルノ産業を配下につけるとこが必要になる。様々なポルノ・メディアを通じて、白人男性が女性とセックスしようと頑張るものの、男性としては失敗に終わる描写、そして、白人男性が、本物の男性に対する従属的なセックス・パートナーとなり、そこに喜びを見つける描写を展開し、それを人々に見せる必要がある。

最後に、国の立法府を通して、白人男性と他の男性とを分離させる政策の法制化をプッシュする。トイレ、着替え室、(学校での)ロッカールームなどでは、白人男性と他の男性とを分けてそれらを設置しなければならないとする法律を定めさせる。それはふたつの目的にかなうだろう。ひとつは、その法律により、白人男性が性的に攻撃されることを防ぐことができる。だが、それよりも重要な目的として、その法律により、白人男性に、彼らが本物の男性にとっては魅力的に映っていること、それゆえ、分離する必要があることを認識させることになるだろう。

ブレインストーミングが終わり、会議も終わりにさしかかった時、オーウェンズが言った。

「ジョーンズ君、もうひとつあるんだ。この仕事を続けるに際して、我々は政府系の全職員は適切な服装をすることが求められているんだよ。つまり、君も新しい服装をしなければならないと言うことだ」

「はい、分かりました」とジョーンズは言った。その時、あるアイデアが彼の頭に浮かんだ。

「我々は彼らの呼び方を変える必要があると思います。ボイと呼んではいかがでしょう? BーOーIです。そうすれば、いちいち彼らを白人男性と呼ばなくても済むし、より簡単になります」

*

その2時間後。ジョーンズが経理記録を調べている時だった。彼のオフィスにウィルソン女史が入ってきた。ジョーンズは顔を上げた。

「今、この記事を書いたところなの。これがあなたが思っていたことに当てはまるか、知りたくて。読んでもらえる?」

「いいとも」 とジョーンズは答え、ウィルソン女史は書類を手渡した。

その記事は次のようになっていた。

* * * * * 

「調整するということ:すべてのボイたちが知っておくべきことのいくつか」 イボンヌ・ハリス著

数ヶ月前、オマール・ベル博士が大気に生物化学物質を放出し、それはこの何ヶ月かに渡って、私たちの白人男性に対する従来の考え方を効果的に根絶することになりました。男性的ないかにもアメリカ男といった存在は消滅し、その代わりに、小柄な(通常、身長165センチに満たない)男の子と女性の中間に位置する存在が出現したのです。ですが、そのことを改めて言う必要はないでしょう。あなたがこの記事を読んでるとしたら、自分がどう変わってしまったかを一番よく知っているのはあなた自身であるから。この記事の目的は、情報提供にあります。(以降、この記事ではボイと呼ぶ)白人男性たちが、依然として男性のように振舞おうとあくせくしている様子がいまだに続いています。それは間違いなのです。あなたたちはもはや男性ではありません。ボイなのです。それを踏まえて、この記事では、いくつかの主要な問題点に取り組むことにします。それは挙措、セックス(イヤラシイ!)、そして服装という3つの問題です。それでは、前置きはこのくらいにして、早速、本論に入りましょう。

すでに述べたように、最初の問題は挙措についてです。どういう意味だろうかと思うかもしれません。まあ、「挙措」とは態度、振舞いのことを言う気取った用語ですが、それ以上のことも意味します。挙措には、普段の姿勢から歩き方に至るあらゆることが含まれます。ボイたちが、これまでと違ったふうに振る舞うことを学ばなければいけないというのは、奇妙に思われるかもしれませんが、でも、率直に言って、あなた方が男性のように振舞おうとするのは、マヌケにしか見えないのです。10代の若い娘が、その父親のように振舞おうとする姿を想像してみるとよいでしょう。まさにそれと同じです。ボイが男性のように大股で歩くのを見ると、まさにそれと同じくらい奇妙に見えるものなのです。

ボイは、男性とは異なるがゆえに、男性とは異なるふうに振る舞うべきなのです。この点はいくら強調しても足りません。というわけで、外出しようとするあなたたちボイに、いくつか指針を提供しましょう。まず第1に、背中を少し反らし続けること。その姿勢を取ると、あなたのお尻を完璧に愛しいものに見せることになります。第2に、腰を少し揺らすようにすること。男性はそれが好きです(これについては後で詳しく述べます)。第3に、怖がらず、エアロビクスを行うこと。皆さんは身体の線を保つ必要があります。太ったボイは孤独なボイになってしまいます。個人的にはストリッパーのエアロビを勧めますが、他のどんなエアロビでもよいでしょう。ですが、私が提供する指針で一番重要なものは、次のことです。女性をよく観察し、彼女たちをまねること。皆さんは、女性にはるかに近い存在となっているのです(しかも、性的な目標もきわめて類似している。これについても、やはり、後で詳しく述べます)。そして、女性たちは皆さんよりはるかに以前から、これを実行してきている。なので、ボイたち、私たちを観察し、学習するのです!

触れなければならないふたつ目の問題は、服装に関する問題です。(あなたが、元々、発育がよくなかった男子だった場合は別ですが)みなさんの大半は、おそらく、持っている服のすべてが、もはや自分に合わないことに気づいていることでしょう。ですから、皆さんは、すべて新しい服を買い直す必要があります。たいていのデパートでは、直接ボイを対象にして、新しいセクションを開いています。なので、そこから始めるのが良いでしょう。ですが、予算に限りがあるならば、勇気を持って、あなたのサイズに近いガールフレンド、妻、あるいは姉妹から服を借りるとよいでしょう。

ただし、いくつか注意すべき点があります。まずは下着から話しましょう。ボイはパンティを履くこと。そうです。ブリーフやトランクスではありません。パンティです。みなさんの体形は、パンティを履くようになっているのです。パンティを履くことを好きになるように。私も、新しいセクシーなパンティを履くのが大好きです。それを履くと、自分に自信がみなぎるのを感じるものなのです。ボイの中には自分の女性性を完璧に受け入れ、ブラジャーをつけ始めた人もいます。そのようなボイたちの適応力に、私は拍手をします。ですが、私の個人的な意見を言わせていただければ、ボイはブラをつけるべきではありません。どの道、ボイには乳房がないのですから(今の時点では、なのかもしれませんが。気の狂ったベル博士が何をしたか、知ってる人は誰もいませんし)。皆さんは、女の子でもありません。ボイなのです。ボイには乳房はありません。ゆえにブラの必要はないのです。

アウターに関して言うと、基本的に女の子が着る服なら何でも適切と言えるでしょう。スカートからジーンズ、ブラウスからドレスに至るまで何でもよいでしょう。着てみて似合うと思ったら、着るべきです。注意すべきは一つだけ。(たとえサイズがかろうじて合うような物であっても)紳士服を着たら変に見えるということを忘れないこと。皆さんは、決して男性のようにはなれないのです。ですから、婦人服や、ボイ、あるいは子供服のセクションにある服に限定すべきなのです。

最後に、セックスについて少しだけ触れたいと思います。もし、この話題に関して嫌な感じがしたら、即刻、読むのを止めてください。

よろしいですか? まだ、読み続けていますね? よろしい。

ボイの皆さんは、性器に関してサイズが減少したことに気づいているかもしれません。この変化に気恥ずかしさを感じた人も多いことでしょう。でも、そんな恥ずかしがることはないのです! ボイが小さなペニスをしていることは完全に自然なことなのです。最近の研究によると、白人男性の平均のペニスサイズは4センチ程度になっており、しかも、それより小さいことも珍しくはありません(実際、私の夫は、2センチ半にも達しません。これ以上ないほどキュートです)。ボイの皆さん、心配しないように。そんなペニスのサイズなんて、もはや、それほど重要なことではなくなっているのです。そのわけをお話ししましょう。

皆さんは、以前に比べて、アヌスがかなり感じやすくなっていることに気づいているかもしれません。皆さんの身体はそういうふうにできているのです。その部分を、新しい性器だと考えるようにしましょう。女性にはバギナがあります。男性にはペニスがあります。そして、ボイにはアヌスがあるのです。恐れずに、その新しい性器を試してみるとよいでしょう。その気があったら、そこの性能を外の世界で試してみるのもよいでしょう。ガールフレンドから(あるいは、気兼ねなく言えるなら、姉や妹から)バイブを借りるのです。そして、街に出かけるのです。すぐに、そこが「まさに天国みたい」に感じることでしょう(これは私の夫の言葉です)。

さて、皆さんの人生にとって最も大きな変化となることが、次に控えています。多分すでに予想してることでしょう。そうです。ボイは男性と一緒になるべきなのです。これは簡単な科学です。ボイは女性とほぼ同一のフェロモンを分泌します。それに、男性のフェロモンに晒されると、ボイは女性とほぼ同一の反応を示すことも研究で明らかになっています。

これが何を意味するか? ボイの皆さん、気を悪くしないでください。ですが、皆さんは男性に惹かれるようになっているのです。もっとも、男性の方も皆さんに惹かれるようになっているのです。そのような身体の要求に抵抗したければ、してもよいでしょう。ですが、これは自然なことなのです。この事実と、皆さんが感じることができる新しい性器を持っている事実を組み合わせてみれば、なぜ、ベル博士があの物質を放出して以来、男性とボイのカップルが400%も増えたのか、その理由が分かるでしょう。

ボイにとって、ヘテロセクシュアルであるということは、男性を好むということを意味するのです。そのことを拒むボイも多数います。そのようなボイは、基本的にホモセクシュアル(つまりレズビアン)であることを意味します。あるいは、少なくとも様々な実生活上の理由から、レズビアンになっているということを意味します。多くの女性が、変化の前は、男性と結婚していた(または男性のガールフレンドになっていた)わけですから、変化後もその関係を続けるとなれば、ボイはレズビアンになることになるわけです。

一応、その事実を念頭に置いてですが、そういうボイの皆さんには近所の「アダルト・ストア」に行き、何か…突き刺すもの…を探すことをお勧めします。あなたもあなたのパートナーも共に同じ種類の欲求を持つので、おふたりが共に満足できるようなものを手元に置いておくことがベストでしょう。

これを読んでる皆さんの中には、まだ拒絶状態でいる人も多いと思います。厳しいことを告げる時が来たかもしれません。どうか、鏡を見てください。何が見えますか? その姿は男性ですか? 決してそうではないでしょう。その姿は女性ですか? いいえ、違う。鏡の中からボイがあなたを見ているはずです。ボイはボイらしく行動する時が来たのです。

カウンセリングが必要な人もいるでしょう。それは良いことです。政府は、そのような要求に備えて、国中にカウンセリング・センターを設置しました。そこに行くこと。そして新しい自分を受け入れる方法を学ぶことです。この記事が役に立てばと期待しています。それでは今日はここまで。ありがとう。次週は、パンティを履くことが、あなたに人間としてどのようなことを教えるかについてお話します。

* * * * *

ジョーンズは顔を上げた。「これは……完璧だよ、ウィルソン女史!」

彼女はにっこりと笑顔になった。「私のこと、キムと呼んでもいいのよ」

「ずいぶん考えてくれたようだね」

とジョーンズが言うと、キムは肩をすくめた。

「それじゃあ、もうひとつ、助けてほしいことがあるんだが……」

「どんなこと?」

「オーウェンズが、新しい服装が必要だと言っていた。それには僕も完全に同意している。今の服は全部、身体にあわなくなっているから。なので、新しい服を買うのを手伝ってくれるとありがたいんだ……」

キムはさらに嬉しそうな顔になった。「もちろんよ。で、いつ?」

ジョーンズは肩をすくめた。「今からではどう? いずれにせよ、ちょっと休憩しようと思っていたところだったし」

「ええ、いいわ。まずはすべきことから始めましょう? あなたのサイズが必要だわ。もう、身体の変化は止まったと思う?」

「ああ、そう思う。確信はできないけど。他の事例では、ほぼ1ヵ月で変化が止まっている」

「ここでサイズを測ってもいい?」

「ここでも、どこでも構わないよ」

ジョーンズがそう言うとキムは部屋を出て行き、2分ほどして戻ってきた。そして早速デビッドの身体のサイズを測り始めた。

ウエストは55センチ、ヒップは89センチあった。キムは、内また、腕、胸周りも計測し、メモに書いた。

そしてふたりは出かけた。

*

それからしばらくの後、ふたりはとあるモールにいた。キムはデビッドの手を引っぱって、デパートの下着売り場に向かった。デビッドは、満足げにキムに主導権を任せていた。キムは山ほどあるパンティから彼のために様々なスタイルのパンティを選んだ。その後ふたりは、ビジネススーツ(もちろんスカートの)、ジーンズ、ショートパンツ、そしてトップスを買った。ドレスやスカートも買った。新しい靴やストッキングも。

モールの中を歩きながら、ジョーンズは、他のボイたちの姿を見かけた。どのボイたちも普通は女性連れで、恥ずかしそうな顔をしながら、婦人物のジーンズやTシャツを漁っていた。彼らは、そういう売り場にいて、見るからに居心地悪そうにしているが、かと言って立ち去るわけでもなかった。これは重要なことと言える。彼らはすでに、自分が以前とは異なった存在になっていることを受け入れ始めているのだ。ジョーンズらのプランによって、彼らが境界を超え、完全にこの立場を受け入れるようになるのは、時間の問題に思われる。

キムは買い求めた服がちゃんと合うか確かめたいと思い、本部に戻る前に、ふたりでデビッドのアパートに立ち寄ることにした。デビッドはひとつひとつ衣類を試着し、そのいずれも身体にぴったりであるのに気づき、驚いた。確かに、ジーンズやショートパンツは、履きなれたものよりちょっとぴっちりしていたが、不快というわけではなかった。そういう仕立てになっているということである。スカートやドレスに関しては、奇妙な感じとしか言えなかった。それらで身を包むと、どこか、自分が弱々しくなった感じになるのだった。

「ハイヒールを履いて歩くのを練習する必要があるわよ」 とキムは、スーツを着てリビングに入ってくるデビッドを見ながら言った。そのスーツの下には、パンティ、ガーターベルト、ストッキングを履いている。「ヒールなしでそういうスカートを着ると、変に見えるから」

「オフィスにはジーンズで行くことにするよ。まだ、僕は、スカートを履く準備はできてるとは思えない」

「どうかしら? 私にはとても可愛く見えるけど」 とキムは微笑んだ。

ジョーンズも笑顔を返し、また寝室に戻った。服を脱ぎ、ランジェリも脱いだ。そして、また別のピンク色のソング・パンティを履こうとした時だった。キムがドアをノックした。ジョーンズは新しい役割に慣れようと、パンティを履きながら、「どうぞ」と答えた。

「私ね……」 と言いかけてキムは言葉に詰まった。デビッドの姿を上から下まで視線で追っている。「知らなかったわ、あなたがこんなに……」

「女の子っぽい?」とデビッドが言うと、

「綺麗だなんて」とキムは答えた。「身体のサイズは測ったけど、でもこんなに……」

「ありがとう、って言うべきなんだろうな」とデビッドは言った。

ちょっと間があった後、キムは堪え切れなくなったかのように、口走った。「本当に、みんなが言うように、小さいの?」

「何が?」 と訊いたものの、ジョーンズはキムが何のことについて言ってるのか完全に知っていた。

「あなたの……アレ」 とキムは彼の股間を指差した。

ジョーンズはパンティを降ろした。

「まあ! すごくキュート!」 と言った後、キムは自分の口を手で覆った。「ああ、ごめんなさい! 気がついたら、言ってしまっていた」

「いいんだよ」とジョーンズは答え、パンティを引っぱり上げ、元に戻した。「いずれ、僕もそういうリアクションに慣れる必要があるんだから。それに、君が書いた記事によれば、これは完全に自然なことなんだよね。そうだろう?」 とジョーンズは微笑んだ。

*

その日、デビッドは本部に戻り、仕事を続けた。書類の調査に集中しようとした。だが、時々、どうしても意識がその日の他の出来事に逸れてしまうのだった。

自分たちは、白人男性たちに、男らしさを捨てて、男性に惹かれる気持ちを受け入れるよう励まそうとしている。自分たちは、本当に正しいことをしているのだろうか? そうする必要があると完璧に信じているが、それでも、正しいことなのだろうかと思わずにはいられない。

そのような考えを一時的にせよ忘れることができても、今度は、自分が着ている服装に意識を持っていかれてしまう。着心地が悪いからというわけではない。どちらかと言うと、こういう服装をしていることにより、人の視線を浴びてしまうことの方が気になって仕方なかった。彼は目立たないように行動することを信条にしてきた男なのである。というわけで、デビットは大半の時間を自分の小さなオフィスで過ごし、極力、外に出ないで過ごした。

何日かが過ぎた。デビッドは、ゆっくりとではあるが、ベル博士の財務状態についてのプロフィールをまとめつつあった。そして、3週間後、ようやくそれが完成した。

ベル博士の動向を知るまでには、それからさらに1ヵ月を要した。博士は巨大な豪華船を購入していた。そして、デビッドは、何人かの情報提供者を通して、ベル博士がその船を移動可能な作戦基地として利用していることを知った。だが、この事実は、多くの困難さを提起するものでもあった。その困難さの中でも一番は、ベル博士は、基本的に、いつでもどこにいるか分からないという点である。どこに出現してもおかしくない。情報提供者たちによれば、博士は、何ヶ月も上陸せず、船上にいることが多いらしい。

一方、デビッドたちのプランの方は順調だった。「ボイ」という言葉は、今や白人男性を表す用語として受け入れられていた。そしてボイたちは、かなり女性的な服装をするようになっていた。さらに、ボイたちが、(普通は黒人だが、化合物の影響を免れた他の人種の男性も含む)男性と腕を組んで歩くのを見かけることが急速に普通のこととみなされるようになっていた。だが、中でも最も顕著なこととして、ボイたちが冷静さを保っていたことがあげられる。抗議活動はごく少数にとどまった。デビッドは、そういう活動をするボイたちは、何に抗議しているのか自分たちでも分かっていないのではないかと思った。何らかのやるせない気持ちをぶつけているだけなのか。ともあれ抗議活動は確かにあった。

デビッド自身の服装だが、彼の人生での他の事案同様、彼は自然と新しい服装を受け入れた。初めてハイヒールを買った日から1週間のうちに、ハイヒールを履いて歩くことを習得したし、新しい服を着るのにも今では慣れている。自分ひとりで女性的な服装で外出し、新しい服を買うこともできるようなっていた。

だが、彼にはある問題があった。外に出ると、人々の注目を浴びてしまうことである。最初、彼は、自分が女の子のような服装をしているから、人々にじろじろ見られてしまうのだと考えた。確かに、彼が女性的な服装で外出し始めた時は、そういうボイは珍しかったのは事実である。だが、他のボイたちも同じような服装をし始めた後も、彼への視線は収まらなかった。人々は、デビッドが女性的な服を着ているからじろじろ見るのではない。そうではなくて、デビッドのルックスのせいで彼をじろじろ見てるのだ。

それまでのデビッドは、目立たないようにすることを当然としてきた。実際、周囲から目立たないということが、この業界での彼の最大の長所だったのである。当然、人々に称賛の目で見られることに彼は慣れていなかった(そういう視線を向けるのは、何も男性ばかりではなかった。誰もがあこがれの人を見るような目で彼を見るのだった)。

デビッド自身は、そういうふうな目で見られるのが好きではなかったが、彼が嫌がったからといって、人々がそういう視線を向けなくなるわけではない。彼は、たびたび、男性から言い寄られたこともあり、自然と、そういうアプローチを上品に断る方法も身につけていた。

時は流れ、物事はある一定のリズムに落ち着き始めていた。デビッドはさらなる情報を待ち続けていた。ベル博士は、化合物を放出した1年後、一度だけ、短期的に姿を現したらしい。だが、彼を拘束する前に、素早く身を隠してしまった。だがデビッドは辛抱強く待った。注意深く観察を続け、待ち続けた。

14か月が経った。ある日、デビッドは彼の情報提供者のひとりから接触を受けた。その情報提供者が言うに、ベル博士は、補給のため2ヶ月から4ヶ月ごとに、その情報提供者が住む都市にやってくると言うのである。加えて、博士はよく地元のクラブにこっそり姿を現し、彼のハーレムのための人材を集めると言う。ベル博士が性的にきわめてアクティブなのは明らかだった。彼は、女性やボイを集め、一定期間、彼の船の上で生活することの代償として、よろこんで極めて高額の金を払うらしく、彼には、魅力的な性交相手が欠けることがないらしい。

これこそ、デビッドが待ち続けていた突破口だった。ベル博士が立ち寄る街は分かった。そこに行き、待ち続ければよいのだ。いつかは分からないが、必ず博士は姿を見せるだろう。デビッドは、この新情報を手に、オーウェンズのところに行くことに決めた。

*

「では、君はそこに行って彼を捕まえたいと言うことだね? その目的は?」 とオーウェンズが尋ねた。

「彼を拘束し、治療法を作らせることです」 とデビッドは答えた。

「いや、あいつは、従わないんじゃないかな。諦めるくらいなら、留置所でのたれ死ぬ方を望むはずだ」 とサイクスが口を挟んだ。

「どうかな。何か他のことがあるかもしれない」とオーウェンズが言った。「確かに治療法の開発は、長期の目的だ。だが、とりあえず、誰かをベル博士の船に潜り込ませる必要がある。ベルは船上で仕事を続けている可能性が高いからね。ひょっとすると、あの可能物の原料サンプルを持っているかもしれない。それを入手できたら、リバース・エンジニアリングの手法で、治療法を開発できるかもしれない」

「そういうことが可能なのですか? だったら、大気に放出された化合物からでも開発できたのでは?」 とジョーンズが訊いた。

「ダメなのよ」 とキムが答えた。「大気に出されたのは、逆開発ができないほどまでに劣化されたものなの」

「それで、計画は?」 とサイクスが言った。

「もう、はっきりしているのでは?」とジョーンズが答えた。「ベル博士の船には、唯一と言える弱点があります。彼が船に連れ込む女やボイたちです。我々は、誰かをそれに混ぜて、忍び込ませるのですよ」

「だが、誰を?」とオーウェンズが訊いた。「女性のエージェント?」

「いいえ、私です」とジョーンズが答えた。

「だが……」 とオーウェンズが言いかけると、ジョーンズは遮った。

「私の情報提供者によると、ベル博士は、毎回、少なくともふたりから3人のボイを船に連れ込むらしい。それに、あえて謙遜せずに言えば、私は自分のルックスを知っています。私になら、この仕事ができます」

キムが口を挟んだ。「訓練なしではダメよ。あなたにはできないわ。確かにあなたは綺麗。それはあなたも知っている。でも、あなたはちゃんとした動きをしていないの。身のこなしや行動が、まだ、なっていないわ。まずは、心のカセを解放して、本物のボイになる必要があるわ。単にボイっぽい服装をするだけに留まらずに」

「じゃあ、本当のボイになる特訓が必要と言うことだね? 君はいろんなことを知っているようだ。私に教えてくれ」 とジョーンズは言った。

*

というわけで、その日の午後、デビッドはキムのアパートに向かった。チャイムを鳴らすとキムが出迎え、彼を中に入れた。

「それで? どこから始めよう?」 とデビッドは訊いた。

「最初に言っておくけど、あなたは私が言うことにすべて従うこと。時間があまりないの。それに、多少、イヤラシイこともあると思う。だから、あなたの苦情を聞く余裕はないと思う」

「オーケー」

「じゃあ、服を脱いで」

デビッドは嫌そうにしながらも指示に従った。

キムは、素っ裸で立ったデビッドの周りをぐるぐる歩き始めた。

「スタートとしては良いわね。でも、立つときは、背中を少し反らすようにして立つこと。お尻を突き出すような感じにするの。……そう、それでいいわ。後で、あなたをバレ—スタジオに連れて行くわ。優雅さを身につけるには、バレエが一番。その後で、ふたりで街に行きましょう。でも、どんな時も、今のように背中を反らし続けるように。それが、普通の姿勢になるようにしないとダメ」

そうして、キムはデビッドの前に来て、止まった。

「あなた、バージン?」

「いや」 とデビッドは憤慨した顔で言った。「童貞を失ったのは、私が……」

「その話をしているんじゃないの。私が訊いてるのは、アナルをされたことがあるかどうか」

「それはない」

「じゃあ、それも何とかしなきゃいけないわね」

「いや、私は……」

「反論はナシ。あなたはボイなの。ボイは男が好きなの。ボイは、男にアナルを犯してもらいたがるものなの。そういうふうに考えることができないなら、そもそも、今回のミッションに参加しようなんて考えないことね」

その後、キムはデビッドをバレ—スタジオに連れて行った。デビッドは、ピンク色のレオタードを着て、バレエの教師からレッスンを受けた。そのレッスンは、彼が予想したよりハードなものだったが、何とかやりきった。レッスンの後、キムに連れられ、再び彼女のアパートに戻った。

「あなた、ふさわしい服を持っていないでしょう? 私の服を着せることにするわね」

「これからどこに行くのか?」

「ついてくれば分かるわ」

キムは、自分の服から、明るい紫色のスカートを選んだ。スキャンダラスと言っていいほど、ミニのスカートだった。それから、太腿までの白いストッキングを選び、トップは、白のタイトなTシャツを選んだ。おへそが露出する程度の丈しかないTシャツで、前面に「Hottie(色気ムンムン)」という文字が書かれてあった。それら衣服を着ながら、デビッドは自分がマヌケになった感じがした。

デビッドが着替えを終えると、キムは、化粧の仕方を彼に教えた。アイラインに特別に注意を払った化粧をほどこす。髪はショートのままだった。

「ショートヘアにしてるボイはたくさんいるから、これは問題ないわ。……あ、後、最後にもう一つ。言葉づかいね。男の前では女の子っぽい言葉を使うように」

キムは、ようやくデビッドを連れ出しても良いと判断したのだろう。ふたりは街に出かけた。

*

ふたりは、「ユニバース」という名のクラブの前にいた。クラブの看板のところに「100%アメリカ産牛肉」という文字があった。だが、それがどういう意味かを考える間もなく、デビッドはキムにクラブの中へと引っぱりこまれた。店内に入る。デビッドは、目にした光景に言葉を失った。

ステージの上、筋肉隆々の逞しい男たちがいて、ストリップをしている。

大半は黒人男だが、ラテン系の男もふたりほどいたし、東洋系の男もひとりいた。服を脱ぐ途中の段階の男たちがいて、まだ、それぞれのコスチュームを身につけていたが、Gストリングのビキニだけになっている男たちもいて、かろうじて男根が隠せている状態だった。そして、当然ながら、素っ裸になっている男たちもいた。踊るのに合わせて、長大なペニスがぶるんぶるん揺れていた。

一方、客の方に目を向けると、女性とボイの両方がいた。年齢層も容姿も様々だった。すべてのボイがデビッドほど運が良いわけではなかった。太ったボイもいれば、醜いボイもいたし、可愛いボイもいた。若いボイも、中年のボイも、年老いたボイも、皆、熱心な客になっていて、ステージ上の筋肉の塊のような男たちにドル札を投げたり、Gストリングズにお札をねじ込んだりしていた。

デビッドも、男性ストリップ・クラブが最近はやっているのは知っていた。だが、ただの統計数字としてのみ知っていたにすぎない。こんな赤裸々な場所になっているとは思ってもみなかった。現在でも、女性ストリップのクラブの方が数は勝っているが、男性ストリップのクラブとの数の差は徐々に狭まってきていた。

それも当然と言えた。今や、潜在的な客数は男性ストリップの方がはるかに多いのである。それに応じて市場が変化するのも当然であった。

「ここで何をするんだ?」 とステージ前の席に腰を降ろしながら、デビッドはキムに訊いた。

「あなたは、この状態に慣れる必要があるの。ミッションの間、あなたはクラブ好きのボイとして潜入するんでしょう? だったら、本物の男たちとかなり親密に接することになるのよ。今のあなたみたいに、慎まし深い態度ではダメなの。前にも言ったように、抑制の心を解放しなければならないわ。自分はボイであることを受け入れなければならないの」 とキムはズンズン鳴り響く音楽の中、説明した。

「じゃあ、淫乱のように振舞わなければならないと? 知ってると思うが、ボイがみんながみんなそうなるわけじゃない。たいていのボイは、変化の前と同じ生活を送っている……」

キムが彼の言葉を遮った。

「でも、あなたはそういうボイのふりをするわけじゃないでしょ? あなたは、カネをもらって、裕福な男のセックス相手になる、そんなタイプのボイになるわけでしょ? だったら、そういう人間にならなければ」

確かにそうである。デビッドは、キムに言われたことを念頭に置きながら、近くで踊るダンサーを見続けた。そのダンサーは、カウボーイのコスチュームで現れ、踊りながら徐々に服を脱いでいき、最後は、乗馬用のチャップス(参考)だけになっていた。

デビッドのすぐ近くで、そのダンサーの大きな黒いペニスが、踊りに合わせて跳ねていた。そして、デビッドは自分の小さなペニスが勃起していることに気づきうろたえた。さらには、思わず、ダンサーにお札を出すことまでもしてしまう。

「すぐ戻ってくるわね」とキムは、人ごみの中に姿を消した。デビッドは座ったままだったが、どこかそわそわしていた。

しばらくすると、キムが戻ってきて、デビッドの手を掴んだ。彼女の手の方が大きかった。

「一緒に来て」

キムはデビッドを奥の部屋へと連れて行った。用心棒の男がカーテンを抑えて、ふたりを中に入れた。中に入るとキムはデビッドを椅子に座らせた。

「これから何をするんだ?」 とキムに訊いたが、デビッドは何が起きるか、充分、知っていた。

上半身裸の男が入ってきた。ムキムキの身体で筋肉が盛り上がっていた。

キムがその男に言った。「この人、私のボイ友だちなの」とデビッドを指差した。「彼にいい思いをさせてあげて」

そう言うなりキムはカーテンの向こうへと去ってしまった。

男はダンスを始めた。最初にズボンを脱ぎ、続いて、下に履いていたGストリングも脱いだ。男はダンスしながら、ペニスをデビッドに擦りつけたり、彼の顔の前でぶらぶら揺らして見せたりをした。

「触ってもいいんだぜ」 とストリッパーが言った。「そこに座っていなくてもいいんだ」 そう言い、男は後ろ向きになり、デビッドの顔に尻を突き出した。

デビッドは自分の役割を知っていた。恐る恐る手を伸ばし、男の逞しい尻肉を優しく撫でた。大理石のように固かった。

「ほらほら、もっとリラックスして!」と男はデビッドを促した。

その促し通りに、デビッドは気を緩めた。彼は興奮して、淫らな気持ちになっていた。これまでのデビッドであれば、こういう淫らな本能を制御しただろう。そういう習慣を守ってきたからだ。すべては冷静に、計算しつくし、本能を心の奥にしまいこむ。男性であった時ですら、彼は滅多にハメを外すことはなかった。確かに性的行為を行う相手はたくさんいたし、そういう行為も行ってきたが、普通は、単なる性欲の発散のためだけであった。女性に惹かれるし、興奮もする。だが、そういった欲望は、いつも心の奥にしまいこんでいた。

だが、今は、違っていた。抑えきれないものを感じる。彼は押さえこんでいた欲望を解放し、前面に溢れ出て来るのを止めなかった。いや、もっと言えば、自ら欲望を駆り立てたとも言える。ミッションのためという大義もあり、強制的に自分を興奮した状態にした。溢れそうになっていた貯水池の水門を開くようなものだった。

すぐにデビッドは両手で男の身体じゅうを触りまくり始めた。男の固い腹筋に触れる。盛り上がった胸板を撫でまわる。大きく強そうな両腕に沿って手を滑らせる。そして、最後に、彼は男の半立ちの一物に触れた。

それは彼が想像したより柔らかかった。小さな手で、その大きく黒いペニスを握った。握りきるのがやっとの太さだった。そのペニスは、彼が握ったことに反応し、少しずつ固さを増し始めた。

そして、デビッドはゆっくりとしごき始めた。ペニスを握った感触を楽しむように、ゆっくりとしごき続ける。やがて、それはどんどん固くなり、完全に勃起した。その状態になると、デビッドはほとんど本能的に、何も意識せずに、顔を寄せ、先端を舐めたのだった。その時になって、自分の行為に気づき、彼は顔を引いて、恥ずかしそうに言った。

「あ、ごめんなさい。私……」

「いいんだぜ。したいことをすればいい。お前のカネでやってるんだからな」 と男はニヤニヤしながら言った。「舐めたかったら、好きなだけ舐めていいんだぜ」

デビッドは恥ずかしそうに微笑み、再び顔を近づけた。最初は舌を伸ばして、先端を舐めるだけだった。片手で男の重たそうな睾丸を撫でながら、もう片手で男の逞しい胴体を擦りまわった。

だが、2分ほどすると、彼は亀頭を口に入れ始めた。彼の小さな口には大きすぎる亀頭だったが、デビッドはやり遂げると決意していたし、何より、淫らに興奮もしていた。それから程なくして、彼は肉茎を吸いながら、頭を上下に振っていた。

これがデビッドにとって初めてのフェラチオだった。短時間で終わったし、汚らしい行為であったし、唾液でベタベタした行為でもあったが、最後までやり遂げた。ストリッパーはデビッドの口の中に射精した。塩辛い味がした。

男が身体を引き、ペニスを引き抜くと、デビッドは口の中のものを床に吐き捨てた。

「飲み込むボイだとばかり思ってたが」 とストリッパーは肩をすくめた。「やりたくなったら、また来いよ」 彼はGストリングを履きなおし、部屋から出て行った。

*

「デビッド、今夜のあなた素晴らしい出来だったわ」 とキムはアパートに帰る車の中で言った。「性的な面での抑制心を取り払えるようになるまで、もう何日かかかるかと思っていたけど、今日は驚いちゃった。もちろん、テクニックについてはもっと訓練しなくてはダメだけど、スタートとしては最高の出来よ」

ふたりは、あの後も2時間ほどストリップ・クラブに留まっていた。デビッドは自分でも予想外だったが、クラブにいて実に楽しかったと思った。知識としては、自分の身体が男たちのフェロモンに反応しているだけなのだと分かっていたが、男たちに惹かれる気分を否定はしなかった。その気持ちは否定しようがなかったのである。

これから先、自分の精神は、男性の身体の光景と、欲望の感情とを連合するようになっていくのだろう。それも知識として知っていた。そして、やがて、(写真を見るとか、遠くから見るとかといった)フェロモンが放出されていない環境でも男たちを魅力的だと感じ始めるはずだ(いや、もうすでにそうなり始めているかもしれない)。それらすべてを知識として知っていた。だが、そういう衝動について知識を持っているからといって、その衝動を抑制できるわけではない。

「このトレーニングの期間中は、私のアパートに住むことにして」 とキムは、アパートの建物の駐車場に車を入れながら言った。「あなたは、アパートの中では常に全裸で過ごすこと。あの厄介な自意識が、また頭をもたげてきたら困るから。そうでしょう? あなたは、自分がどういう身体をしているかに慣れる必要がある。人々が、その身体にどういう反応をするかにも」

そして、トレーニングは2週間近く続いた。デビッドは、日中の大半をバレエの訓練とボイらしい振舞いの練習に費やした。夜になると、毎晩、キムに連れられて、様々なクラブに通った。通ったクラブには、最初の夜に連れて行かれたようなストリップ・クラブもあれば、もっと普通のダンス・クラブもあった。いったんデビッドがこの役割になりきると決めた後は、すべてが順調に進み始めた。デビッドにも分かっていたが、そうなった理由のひとつには、自分の心が無意識的に新しい立場に順応しようとしていることがあるのだろう。だが、彼はそれに加えて、意識的に、キムが求めているようなボイになりきろうと自分を強いていたところもある。

クラブ好きのボイという役割を演じつつも、デビッドは、何度も性的誘い受けてはいたのだが、それをすべて断り続けていた。あの、男性との生れて初めての親密な接触の後、デビッドは不安を感じていたのである。彼は、身体の変化よりも、感情の奔流の方を、はるかに恐れていた。

だが、いつかはやらなければならない。実際にミッションに出る前に、少なくとも一度は、男性とのセックスの経験を持たなければならないだろう。それは知っていた。だが、彼はできるだけそれを先延ばしにし続けてきたのだった。

割り当てられたトレーニング期間が終わる最後の夜だった。キムとデビッドが、あるクラブから別のクラブへと、車で移動している時だった。キムがその話題を切りだしたのである。

「分かってると思うけど、アレ、やらなきゃダメよ」 とキムは言った。

デビッドは、何のことを言ってるのか分からないフリをしてキムを見た。

「男とアレをするの。その体験は、本当にボイになるのに重要な部分だから。それはあなたも知ってるはず。これまでずっと、あなたが自分の意思でしてくれたらと期待してきたけど、もう、無理みたいね。あなたにとってキツイことだというのは分かってるわ。もし、望むなら、私も加わってもいいのよ。多分、その方が、より……よりナマナマしくならないだろうと思うし……」

キムのあからさまな態度にデビッドは少し驚いた。だが、キムは勘違いしていると思った。彼は、男性とセックスするということを、それほど気にしていなかった。むしろ、その時に自分がどういう反応をしてしまうかの方が不安だったのである。セックスに夢中になり精神のコントロールを失う。それだけは避けたい。

とは言え、最後にはデビッドも了解した。彼の返事を聞いたキムは、むしろ興奮しているように見えた。

次のクラブに着き、ふたりは中に入ったが、男を見つけるのにほとんど時間はかからなかった。なんだかんだ言っても、キムもデビッドも、際立って美人であるのだ。セクシーでゴージャスな美人ふたりに、一緒に3Pをしようとノリノリで誘われて断れる男はほとんといないだろう。

*

その夜、キムとデビッドは、アパートに戻り、背が高く逞しい肉体の黒人男を部屋の中に入れた。部屋に入って何分もしないうちに、3人とも裸になり、互いにキスをしていた。デビッドは意識的に抑制心を心の奥に封じ込め、行為に熱心に加わった。

3人のかわるがわるのキスは、すぐに次の段階に変わった。ボイと女性のふたりが床に並んでひざまずき、そのふたりの前に黒人男が屹立している。

最初に男の一物を咥えたのはデビッドだった。キムは、そのデビッドの姿を見ながら満足げに笑みを浮かべていた。彼がずいぶん上達していたからである。

その後、ふたりとも男の股間に顔を寄せ、片方が肉茎を吸う時は、もう片方は睾丸を舐めたりキスをしたりをし、それを頻繁に交替して口唇奉仕を繰り返した。何分か経ち、男は準備が整った。

キムはデビッドを促して、仰向けにならせた。そして彼の両脚を大きく広げた。小さなペニスが固くなっている(しかも、最大勃起の7センチになっている)。男はデビッドの上に覆いかぶさり、何の愛撫もなく、いきなり彼に挿入した。

強引な挿入だったが、男はお構いなしに突き入れ、デビッドの未踏のアナルに根元まで挿しこんだ。デビッドは痛みに悲鳴を上げた。男のソレは巨大だったから。だが数回出し入れされるうちに、その痛みが快感に変わる。男は出し入れを繰り返した。

抽迭は2分ほど続いた。デビッドはもっと続けてほしかったが、引き抜かれてしまう。今度はキムの番だった。キムは四つん這いになり、男に後ろからしてもらった。デビッドはキムの身体の下に入り、彼女の乳房を舐め吸いした。

キムとデビッドは何度か交替し、かわるがわる男にしてもらった。だが、男の方もスタミナ切れになってしまい、途中で止めて、ふたりに電話番号を伝えた後、帰ってしまった。途中までだったが、デビッドは満足していた。まだ淫らな気持ちが残ったままであったが、それでも満足していた。

翌朝、デビッドは目を覚まし、隣に寝ているキムを見た(ふたりは男が去った後、しばらく互いに愛撫し続け、その後、眠りに落ちていたのである)。キムを見ながらデビッドは思った。なぜ、男とセックスすることをキムがあれだけ勧めたか、その理由が分かったと思った。それを経験した後、人生に対する見方全体が変わったのである。

多分、後悔することになると予想していたのだが、そんな感情はなかった。薄汚いことだとも思わなかった。ごく当たり前のことだと感じられたのである。そんな印象を持つとは、自分でも不思議だと思ったが、キムが書いた記事のことを思い出した。自分はボイである。ボイは男と一緒になるものだ。……あれを書いた時点ではキムは実際を知らなかったはずだが、今になって思うと、その記述が実に正しいと思うのだった。

*

その日、デビッドとキムは本部に出頭した。すべての職員がふたりに目を釘づけにした。いや、たぶん、デビッドに目を釘づけにしたと言った方が正しいだろう。

この日、ふたりはオーウェンズ、サイクス、ダンズビイと会議があった。ふたりは会議室に急いだ。

オーウェンズは、前に見た時より、見栄えが良くなっていた。どうしてだろうかとデビッドは考えたが、すぐに、この年配のボイが化粧をしていることに気がついた。ダンズビイは相変わらず肥満気味だったが、若干、体重が減っているのが分かった。彼も化粧をしていた。その結果、わずかに上品に太った中年ボイの風貌に見えた。

デビッドは、キムの後ろについて会議室に入った。その時の反応で、デビッドのトレーニングの効果がはっきり出ていることが分かった。彼は、ミニスカートのビジネススーツを着ていた。彼は自分が人の目を惹く姿であることを自覚していた。

「わーお!」 とダンズビイが大きな声を上げた。「この変わりようは……」

「目を見張る!」 とオーウェンズが言葉を引き継いだ。

「ふたりとも、素晴らしい仕事をしてくれたようだね。正確にどこが変わったのか、具体的に指摘はできないが、だが……姿勢が変わったのは分かる。それに以前より、ずっと優雅な身のこなしになっている。でも、それ以外にも何かがあるような……」

「ありがとう」 とキムとデビッドが笑顔になり、口を合わせて感謝した。

「実を言うと、私は、この前の時は懐疑的だったんだよ」 とサイクスが言った。「だが、今なら大丈夫だ。私からは全面的にサポートをすると約束しよう」

「だが、やはり訊いておかなければならないことがある」 とオーウェンズが言った。「このミッション、君は本当に遂行したいのかな?」

「どういうことです?」 とダンズビイが訊いた。

「ボイたちのことだよ。我々は、本当に、彼らボイを元の姿に戻すことを望んでいるのだろうか、ということなんだ。ちょっと話しを聞いてくれ。例のボイらしさ推奨キャンペーンはしっかりとした成功を収めてきた。ボイたちへの暴力といった問題を懸念したが、その数は少ない状態になっている。国内での女性とボイの間で生じたわずかな問題は別にすれば、の話しだけれどもね。特に、黒人女性が、従来は自分たちのテリトリーだったと思っていた部分、つまり黒人男性だが、それを我がものにしておこうと極めてアグレッシブになってきているのは事実だ。だが、それを除けば、この国の全体的な暴力事件は、以前と比べると、ほぼ30%も減少している。各都市での犯罪件数で言えば、約40%もの減少だ。こんな減少は、前例がないのだよ……」 とオーウェンズは説明した。

「……統計によると、従来、白人男性が占めていた肉体労働関係の仕事について、黒人男性への求人需要が急速に高まっているらしい。専門職についていたボイの大半は、同じ専門職で着実に生活を続けているし、技能職のボイたちも同様に職を保持している。だが、主に建設・建築関係であるが、多くの肉体労働職は黒人男性に行くようになってきているのだ」

「それは、どういう意味ですか?」 とジョーンズが訊いた。「つまり、現状のままにしておくべきだと? 現状のままにしておき、この先どうなるか見守るべきだと?」

「いや、ちょっと冷静に考えてみるべきじゃないかと言っているのだよ。実際、我が国の経済は成長してきている。犯罪率も、前例がないレベルまで低下している。確かに、適応や調整のために時間が必要だろう。だが、国全体が、過去何十年間もなかったほど、良い状態になっているのは事実なのだ」

「しかし、適応していないボイについてはどうなるでしょう?」 とジョーンズが答えた。「そういうボイたちは現実にたくさん存在します。統計数字が彼らについて何も語っていないからと言って、彼らが存在しないということにはなりません。彼らはできる限り良い人生を送ろうと何とかして生活している。だが、彼らは自分たちは、本来あるべき姿ではないと思い悩んでいるのです。そういったボイたちのことに耳を傾けたいと思う人はいません。その結果、彼らはただ無視されるだけになっている。家に引きこもって、めったに外に出ず、ましてや変化した自分を受け入れることなどできずにいるボイたち。誰も、そんな落ち込んだボイたちの悲しい話しを聞きたいとは思わない。国全体の犯罪率を下げたいという理由で、彼らに、どうとでもなれと言うのは良いことでしょうか?」

「私は、全体的な観点から考えてみるべきじゃないかと言っているだけなんだが」 とオーウェンズは答えた。

「やはり治療法は手に入れる必要があると思います」 とキムが口を挟んだ。「彼らには、自分が望む人生を送ることができるようにすべきです。ボイと男性のどちらで生きて行くか、その選択肢を与える必要があると思います」

「私も同意だ」 とサイクスが言った。

「ダンズビイ? 君はどう思う?」 とオーウェンズが訊いた。

ダンズビイが答えた。「私は今の自分で幸せです。ですが、そうじゃないボイたちのことも知っています。心の底では、本来の自分ではないと思っている何か。彼らは、そういう存在として人生を送っていかなけらばならない。でも、そうであってはいけないと思います。端的に言って、このミッションは続けるべきです。化合物を入手し、治療法を開発できたら、上出来。もし、そうできなくても、少なくとも、我々はそうしようと頑張ったとは言えると思います」

「どうやら、この話は私の負けのようだね」 とオーウェンズは言った。「それじゃあ、作戦の詳細に取り掛かろう」

そして5人は計画を練り始めた。

*

デビッドは1時間近くクローゼットの前に立っていた。何を着るべきか決めようとしているのだ。今夜のことについて考えながら、ドキドキしている自分がいた。

計画は単純だった。彼は、楽しいひと時を過ごしたいと相手を探してるクラブ・ボイになりすます。理屈から考えて、この夜にベルがクラブにやってくる可能性はあまりないのは知っていたが、どうしても、もし本当にベルが来たらどうなるだろうと想像してしまうのだった。

デビッドは頭を振って、そんな愚かな想像を振り払った。出かける時間が差し迫っている。

何を着て行くか決めようと思いながら、選んだのはパンティだけだった。セクシーなピンク色のソング・パンティ。その後、ようやく彼はその下着にマッチした服を選んだ。スカートは、太腿がかなり露出するミニで、全体的にふわふわしていて、お尻のあたりだけ伸縮性のあるバンドで締めている。トップは、ひらひらした生地で、ほぼシースルーのトップ。それを着て彼は鏡の前に立った。鏡に映る自分の姿に満足した彼は、ストラップ式のハイヒールに足を入れ、ホテルを出た。

このミッションはデビッドが単独で実行するということに決められていた。キムは、自分も同行すると申し出たが、彼女には、危険から身を守るのに必要なトレーニングの経験がなかった。

デビッドのホテルは、問題のクラブから2ブロックしか離れていない。通りに出て、クラブに向かう道を歩きながら、デビッドは街を歩く人々が自分に視線を向けるのを感じ、微笑んだ。適切な服装を選んだことが、彼らの視線から分かる。

そのクラブはかなり大きな店で、名前は「ミスト」という単純な名前だった。デビッドの情報提供者によると、ベル博士が街に来た時に訪れるのは、このミストだけらしい。クラブのドアマンはデビッドを見つけると、入場を待つ行列をスキップさせ、彼を優先的に招き入れた。

だが、その夜は不発に終わった。

デビッドは一晩中、踊り続けたが、ベル博士は現れなかった。デビッドに一夜の情事を誘う者たちが何人かいたが、彼は丁寧に誘いを断った。ただし、お酒をおごろうとする申し出は受け入れたし、かなり多数の男たちとダンスをした。しかも、かなり意味ありげなダンスを。

その夜、デビッドは落胆してホテルに戻り、ベッドに倒れ込んだ。期待したのが愚かだったとは分かっていた。だが、頭ではそうは分かっていても、塞ぎこんだ気持ちになるのは止められなかった。

何日か不発状態のまま過ぎた。毎晩、デビッドはクラブに通った。一夜限りの誘いは断り続けた(いまだに彼はそういう関係は心地よくなかったから)。とは言え、自分の評判に気をつける必要があることも知っていた。美しくセクシーなクラブ好きのボイが毎晩現れるのに、一度も誰かと一緒に帰ったことがないというのは、疑念を起こさせるものだ。というわけで、デビッドは、2日か3日に一回は、誰かと連れだってホテルに戻るように、方針を切り替えた。そういう相手としては、ビジネス等で成功しているような男だけを選んだ。やがて、デビッドは意図した評判を得るようになっていった。

不発の日々は、やがて週になり、週が重なり、ひと月以上になっていった。

その頃になると、デビッドは、黒人男性に関するステレオタイプが完全に無意味であることを理解していた。彼は様々なペニスを見ていた。小さいのから大きいの、短いのから長いの。実に様々だった。男たち自身も、極めて多様だった。引っ込み思案の黒人もいれば、本当に傲慢で支配的な黒人もいた。優しくて感情豊かな黒人もいれば、勃起すらできない年配の黒人もいた。やはりそうなのだ。黒人男性も他の人種の男たちとまったく変わらない。そうデビッドは思った。

デビッドは、パーティ好きのボイを装いつつも、内面ではできるだけ冷静に、計算づくで振舞おうと努めつづけた。だが、実際には、それは困難だった。人間は、ある役割を長い間、演じ続けると、やがてその行為は、その人間にとってリアルなものとなっていくものである。毎夜クラブ通いをし、男たちといちゃつき、ダンスをする。そして何日かに一回の割合で男に抱かれ、快感に溺れる。そういう日々を送るうちに、デビッドは、本来の自己と、クラブ好きのボイという仮面とを区別する能力を次第に失っていった。

1ヵ月がすぎ、デビッドは内面での抵抗を諦め、素直に流れに任せるようになっていた。もちろん、ミッションの目的は忘れずにいたし、ほとんどあらゆる事象について観察も怠らずにいる。だが、日陰に留まり、人々に気づかれないようにするといった彼本来の性向は消えてしまい、おそらく、もう二度と見られることはないだろう。デビッドは、前とは異なる存在になっていた。かつては、状況を遠くから観察するだけで満足していた彼だが、今は、状況に自ら飛び込み、衆目を浴びても気にしなくなっている。

さらに2ヶ月がすぎ、デビッドは新しい生活に完全に馴染んでいた。友だちすら何人かできていた。彼らは皆、デビッドのことをデイビーと呼んだ。さらに、クラブの常連客の大半も、彼と顔なじみになっていた。もっとも、彼らはデイビーのことを、ちょっと尻軽で非常にセクシーな、面白いことが大好きなパーティ・ボイとしてしか知らない。

3ヶ月がすぎた頃、辛抱強く待ったデイビーが、ようやく報われる日が来た。彼がダンスフロアで踊っていた時、中年の黒人男性が店内に入ってきたのである。デイビーはすぐにその人物がベル博士だと認識した。禿げ頭で、白髪まじりのあごひげを蓄えた男。彼のそばには、巨体の男がいた。おそらくベルのボディガードだろうとデイビーは思った。

*

その夜、ベルは、極めて上機嫌でクラブに歩み入った。船上での生活は嫌いではなかったが、たとえ短期間とはいえ、陸地に戻れて嬉しかった。船にいると常時、波に揺られている。たいていは、その感覚も快適なのだが、時に神経にさわることもあるのだ。彼は陸地で眠ることを楽しみにしてきたのである。

だが、ベル博士が興奮している理由は、揺れのない陸地で過ごしたいといった単純なことだけではなかった。もっと言えば、それが一番の理由ですらなかった。彼が興奮している一番の理由は、彼の現在の美しいボイや女たちのストックを入れ替えることにあった。彼は選り好みが激しい男だった。常時、船には12人ほどのボイや女を集めてハーレムを築いているのだが、すぐにその半数には飽きてしまうのである。というわけで、ベル博士は、何ヶ月かに一度、ハーレムの半分を入れ替えることにしていた。彼はその日を待ち望んでいたということである。ボイか女かは、ほとんど関係なかった。綺麗である限り、ベル博士には、どちらでも良かった。

彼がクラブの中を歩いていると、クラブのオーナーが来て、彼をVIPルームに案内した。ベルは腰を降ろすとボディガードに顔を向け、言った。

「クラレンス、新しいお友だちを見つけてきてくれるかな?」

クラレンスの趣味は非の打ちどころがなく、彼に任せておけばよい。ベル博士がそう思う理由は2つあった。ひとつは、クラレンスがベル博士にこれ以上ないほど忠実であること。ベル博士とクラレンスはずっと一緒に行動してきた。そもそもの始まりから、クラレンスはベル博士に伴ってきていたのである。ふたつ目の理由は、クラレンスが選んだ女やボイたちは、ベル博士に奉仕するだけではなく、時に、クラレンス自身にも奉仕することもあったという理由である。そうであるならば、クラレンスの選択は信頼してよい。そうベル博士は考えていた。

チョイスをクラレンスに任せたベル博士だったが、ちょうどその時、彼はあるボイを目にしたのだった。ボイにしては背が高いか? 多分、160センチから165センチくらいか。ファッションモデルのような体つきをしている。スリムで、柳を思わせる四肢。音楽に合わせて、思わせぶりなダンスを踊っていた。ショートの髪だが、意図的に乱れたヘアスタイルにしている。

ベル博士はクラレンスに、そのボイを指差して見せた。

「あのボイは必ず連れてくるように」

*

デイビーはベル博士が自分に目をつけたことに気づいた。博士がVIPルームのバルコニーから自分のことを見ている。そして、その2分後、巨体のボディガードが近づいてきて、VIPルームに来るよう言った。いよいよか!

彼は、他の何名かのボイや女と一緒に、VIPルームへと招き入れられた。デイビーは、気に入られようとできる限りセクシーに振る舞った。ベル博士をセクシーに焦らし、ほのめかすようなダンスをしたり、他の女やボイとダンスをし、さらには彼らにキスをしたりを交互に行った。

ベル博士がずっと彼に視線を向けているのに気づき、デイビーは内心喜んだ。夜はふけていき、やがて客たちも帰り始めていた。店じまいの時間が近づいた時、クラレンスがデイビーの腕を取って、引き寄せた。

「ベル博士は、お前をお気に入りのようだ。お前には、2ヶ月ほど、博士の船に乗って同行してほしいとおっしゃってる。その時間の分の報酬は保障する」

デイビーはわざと呆気に取られて言葉が出なくなっている表情をして見せた。だがクラレンスは、彼にお構いなく話しを続けた。

「この話、同意するか? 身の回りのものはすべて提供する。欲しいもの必要なもの、すべて、満たされるだろう」

デイビーは無言のまま頷いた。

「よろしい。船は、このカードに書かれているところに停泊している」 とクラレンスはデイビーにカードを渡した。「明日の朝9時までに、ここに来い」

そう言ったきり、クラレンスは離れ、集められたボイと女のうちの別のひとりのところに行った。おそらく、同じ招待を伝えるためだろう。

デイビーは興奮を隠すのがやっとだった。潜入できる!

2分くらい後、ダンスを踊るデイビーのところにベル博士が近づいてきて、デイビーの手を取り、手にキスをした。

「じゃあ、また明日」

そう言って彼は出て行った。

*

デイビーは、デッキの上、裸でくつろいでいた。隣には女の子がふたり、ボイがひとりいて、同じように全裸でくつろいでいる。どの娘もボイも息をのむほど美しい。だが、デイビーは、自分が最も美しいと知っていた(それにその事実にプライドも感じていた)。

あわただしい一日だった。その日の朝、彼は9時少し前にドックに出向いた。服は、下はキュートなデニムのショートパンツ、上は、お腹のところが露出するタンクトップを選んだ。

ドックに行くと、豪華な船にエスコートされた(多分、全長40メートルはありそうだとデイビーは思った)。船室は複数階にわたって存在し、ヘリコプター発着場や、ジャクージ、小さなプールもあった。100万ドル以上はかかっただろうと思われる。

巨大な船の船内を手短にひと通り案内された後、彼は居住することになると思われるところに連れて行かれた。そこは大きな部屋で、船室があるひとつの層をほぼ丸々占有していた。この部屋を他の者たち(彼を除くと、ボイ2名、女性4名)と共有する。とは言え、それでも充分すぎるほど、大きな部屋だった。

「ベル博士は、お前たち全員に同じベッドで寝てほしいとお考えだ。だが、それは義務と考えなくてもよい」とクラレンスは皆に説明した。「もし嫌なら、取り計らうことができる」

連れてこられた者たちには、招待してくれた人のご機嫌をそこねたいと思う者は誰もおらず、ベッドはひとつで構わないと同意した。実際、見てみると、そのベッドは過剰なほど大きなベッドで、7人が一緒に寝ても、充分、余裕があるものだった。

バスルームはふたつあり、大きな浴槽も自由に使えるようになっていた。どうやら、ベル博士は、ハーレムに属する者たちには、何一つ不自由させないと思っているらしい。

デイビーのミッションは単純ではあったが、同時に、極めて厄介でもあった。そのミッションは、博士が船内に例の物質のサンプルを持っているかどうかを調べること(入手した情報によれば、実際、船内にあることを示唆している)。そして、もし船内にあるなら、それを入手する方法を探り、盗み出すことだった。加えて、博士の研究に関して、できる限り多くの情報を集め、船外のエージェントに伝えること。

確かに、単純な使命である。だが、最も順調に遂行するにしても、最大4ヶ月は、あのテロリストに囲われたハーレムのボイとして船内で生活しなければならない。もっとも、それは、捕まって殺されるよりはましなのは確かだ。

そういうわけで、デイビーはキャラクタを変えずにいた。すでにこの3ヶ月ほど、そういったキャラクタで生活してきたわけで、それ自体は難しいことではなかった。

初日の生活が、彼の船上での生活全体の基調となった。日中の大半の時間は、プールのそばに裸で横たわり、他の者たちと一緒に日光浴をする。それだけだった。時々、船員のうち誰かが近くに立ち寄り、美しいボイや女たちを眺めては、また仕事に戻っていく。

暇を持て余したボイや女たちは、必然的に自分たちの生い立ちについて話し始めた。ボイのひとり(パーシーという名のブロンドのボイ)は、変化する前は建設関係の労働者だったと言う。もう一人のボイは、エリックという名の茶髪で、哲学を専攻していた大学生だった。女性たちは、エイミ、イングリッド(スウェーデン人)、そしてベティだった。エイミは小柄だが、曲線美が豊かな茶髪の女性で、プロのダンサーだと言う。イングリッドはモデル志望の女性。そしてベティは専業主婦だったが、少し前に夫婦関係が国の指示により解消されてしまったと言う。

各自の自己紹介が終わりにさしかかった頃、クラレンスが現れた。

彼はデイビーを指差した。「お前……ベル博士がお呼びだ」

デイビーは、クラレンスがじっと見つめているのを感じながら、気だるそうに立ち上がった。クラレンスは彼を船の1階に連れて行き、その後、エレベータへと導いた。エレベータは最上階まで一気に上がった。ドアが開くと、非常に豪華な部屋が目の前に現れた。

天井にはクリスタルのシャンデリアがあり、穏やかな波の揺れに合わせて、ゆったりと揺れている。部屋全体の壁は、濃い目の色の、丁寧に磨き上げられた木板で覆われている。(デイビー自身はアートの審美眼はないが)非常に高額そうに思える絵画が壁に掛けられており、床にはオリエンタル風のじゅうたんが敷かれていた。

部屋の奥には踏み段がふたつ、交差するように上に伸びていて、バルコニーに通じている。そのバルコニーには4柱つきのキングサイズのベッドがあった。ベル博士は、そのバルコニーに立っていて、デイビーとクラレンスを見おろしていた。ベル博士はシルクのトランクスにバスローブを羽織っただけの格好でいた。

「おお、可愛いねえ」 とベル博士が言った。「さあ、君と私でもっと互いを知り合おうじゃないか」

デイビーは踏み段を上がった。彼の小さなペニスが、段を上がるたびに揺れていた。踏み段を上がりきり、ベル博士の前に立つ。

「君の姿をもっとよく見せてくれるかな?」 とベルは指を伸ばしてクルクル回す仕草をした。

デイビーがゆっくりと回るのを見ながら、ベル博士は言った。

「知っての通り、私が君をこうしたのだよ。私が君を今の姿に変えた」

「ええ、知っています。ありがとう」

「変わる前は何をしていたのかね?」

「私? 今もそうですが、学校の教師をしています。中学の英語の」 とデイビーは嘘をついた。

「おお、そうなのか? じゃあ、どうして君は、いま教室にいないのかな? 教室で思春期の子供たちに名詞や前置詞を教えていないのは、どうしてなのかな?」

「1年間、休暇を取ったんです。その……変化に慣れるまで、ということで」と、デイビーはさらに嘘を続けた。これは、キムと一緒に作り上げた設定だった。

「それで? それはどんな調子なのかな? もう順応したのかな?」 とベルはニヤニヤしながらデイビーに近づいた。

「え、ええ……」 とデイビーは答えた。ベルの顔がすぐ近くに来ている。

「見せてもらおうか」 とベルは命じ、デイビーにキスをした。

デイビーは、心の中、トレーニングしてて良かったと思った。ミッションが始まる前のトレーニングと、その後の、この船に乗り込む前の何ヶ月間の時間の両方に感謝した。それがなかったら、このテロリストに対する嫌悪感で、顔を引っ込めていたことだろう。

だがトレーニングの甲斐もあり、デイビー自らキスを返した。何秒か唇を重ねた後、デイビーはキスを解き、ベル博士の首筋に唇を這わせ始めた。小さなキスを繰り返しながら、徐々に首筋を下り、胸板へと進む。黒肌の胸板に唇を寄せながら、両手を胸に当て、ベルの白髪まじりの胸毛を指で掻いた。さらに下方へと移り、少したるんだ胴体へとキスを続けた。デイビーは、ベルはだらだら過ごす時間をもう少し減らし、運動をする時間を少し増やすべきだと思わざるを得なかった。

流れるような滑らかさで、デイビーは床へと両膝をつき、ベルのトランクスのゴムバンドに指を引っかけた。そして、それを引き降ろす。ベルのペニスが姿を見せた。小さいと言うわけではないが、大きいとはとても言えない。平均よりちょっと小さいくらいだろうと思った。

そのペニスにキスを始めると、奉仕に報いるように、固くなり始めた。ベル博士は片手をデイビーの頭に当てたが、デイビーは急ぐ気はなかった。彼は、経験から、焦らした方が、ペニスを口に入れた時の快感がはるかに増大することを知っていた。

時々、唇で亀頭を包んだりするのを加えながら、2分ほど舐め続けた。そうやって焦らした後、口に含み、吸い始めた。デイビーは、パーティ好きのボイとして何ヶ月間か暮らす間に、多くのことを学習したのである。今や彼のフェラ・テクニックは非常に熟達していた。

「ベッドに上がれ」 と2分ほどした後、ベルが指示した。「お前の可愛い尻にヤッテやる。……いや、四つん這いだ。ああ、その格好だ」

四つん這いになったデイビーの後ろにベルがついた。彼のペニスは、ほとんど抵抗なく滑り込んできた。そして挿入と同時に抜き差しが始まる。

ベル博士はセックスの技量もなければ、スタミナもなかった。ただ、しゃにむに出し入れを繰り返すだけ。とはいえ、それはデイビーにまったく快感を与えなかったというわけではない(もっとも、デイビーはオーガズムには達せなかった。彼は演技で、達したフリをした)。その行為は、たった2分ほどで終わってしまった。

ベル博士は、行為が終わると、デイビーから離れ、彼の隣に仰向けになった。ハアハアと息を切らしている。

「もう戻っていいぞ」

と彼は言った。

*

そういう調子で2週間ほどが経った。

ベル博士はひとりだけ相手にする時もあれば、ふたり一緒に、あるいは3人一緒にすることもあった。さらには全員一緒にということもあった。デイビーは、ひとりだけ相手にするときは、自分が他の者より多く選ばれているのを感じた。複数でする時は、特にボイ同士で絡みをすることが多かった。それがベル博士の特にお気に入りらしい。

ミッションに関して言えば、デイビーは、初めのうちは何もしないことにしていた。彼は、彼自身を含め、女やボイたちがベル博士の手下たちに見張られていることを知っていた。なので、デイビーは、船の詳細をすべて心に留めつつも、役になりきって行動し続けた。

だが、すでに、ベル博士の実験室や作業場、あるいはオフィスがありそうな場所はつきとめていた。おそらく、それはデッキの直下の階だろう。一度、ベルの寝室に連れて行かれる途中で、その階の様子を垣間見たことがある。部屋のドアの前には、武装した衛視がふたりいたし、ドアノブの近くにキーパッドがあった。

ある日、デイビーが他のボイや女たちと一緒にベッドに座っておしゃべりをしていた時だった。この日も全員、全裸だった。彼らは滅多に服を着ない。着るとしたら、普通はランジェリだけである。おしゃべりしているうちに、ちょっと興味深い話題が持ちあがったのだった。

「ある物語があって、その物語の敵役がレイシストだったとするよ。そういう場合、その物語自体も差別主義的になると思う?」 とエリックが言った。

「もちろん、そんなことはないわ」 とデイビーが答えた。

「いや、最後まで言わせて」とエリックが続けた。「物語全体が、差別主義的な行為に基づいているとするの。例えば、だけど、私たちが置かれている状況を物語にしたとしてみて? 話しのための仮定としてね。そんな場合、私たちが主人公だわ。いわばヒーロー。じゃあ、悪役は誰かというと……」

「ベル博士」 とエイミが口を出した。

「その通り」とエリックが言った。「ベル博士は、あからさまにレイシスト的な理由で世界中に例の化合物を撒き散らした。そこで、誰かがそのことについて物語を書いたとするね。その場合、その物語を書いた作者は、あるいは物語自体でもいいけど、差別主義的だってことになるのかしら?」

「私はそうは思わない」とデイビーが言った。「つまり、ベル博士が悪者だとしたら、その物語は、彼がやったことを許さない結末になるということでしょ?」

「まさにその通り」 とエリックが答えた。「でも、ここからが問題だけど、その物語が私たちのように展開したとしたらどうなる? 私たち、みんな、変化があって結局ハッピーになっているわよね? そうでしょ? そのことは、ベル博士が悪者で、彼の差別主義的な行為が、少なく見ても、狂っていて間違っていたという事実を変えてしまうかどうか、なんだけど。どう?」

「もちろん、変えない」とデイビーが言った。「物語の中のキャラクタたちが頑張って、自分たちの新しい人生を何とか良いモノにしようとしているからと言って、作者がベルがしたことを許していると言うことにはならないわ。もっと言えば、正反対のことを言ってることになると思う。そういう物語は、少なくとも風刺と言えるんじゃないかと思うの。多分、何かのフェチのポルノ小説のようなものを狙った、書き方もマズくて、場違いの、嫌な書き物でしょうけど。でも、風刺なのは確かじゃないかしら。国とか民族が過去に行った悪事に対して、いま生きている人たちが償いをしなくちゃいけないという考え方をバカにする風刺。過去の出来事を過去にとどめ、現在や未来のことに目を向ける。人間にはそれができないという考え方って、本当に広くいきわたっているでしょう? しかも、どの社会にも見られる考え方。それをからかっているのよ。でも、そういうことを全部、吐き出すにも書き方があるかと思うけど」

「バカな演説はやめて、ソープボックスから降りなさいよ(参考)」とベティは、デイビーに枕を投げた。「でも、その仮想上の物語にはいいところを突いてるかもよ」

その後の会話は、(そもそも、どうしてこのような話しが出てきたのか誰も分からないまま)「もし、あの時、こうだったら?」とか他の仮定の物語の話しへと流れていった。例えば、レイシズムを表現する物語は、誘拐、拷問、子供相手の性交やレイプを表現する物語(エリックは、そういう題材はレイシズムよりもネガティブな反応を受けにくいと主張していたのだが、そういうの)よりも悪いのかどうかといった議論から、それぞれ、どういう趣味嗜好に一番興奮するかといった話題に至るまでいろいろあった。

だが、その日のおしゃべりを通じて、ハーレム仲間の間では、デイビーは知的だとの評判が高まり、彼は尊敬を集めたようだった。その夜は、みんな身体を寄せ合うようにして眠った。

*

日々がだらだらとすぎていった。毎日、同じようなことの繰り返しで、デイビーも退屈し始めていた。ハーレム仲間みんなに、さまざまな性的な行為が行われた(通常の性行為とは違うことも多かった)。それにデイビー自身、楽しんでいたのは間違いない。それでも、デイビーはどうしても時計がチクタクなる音が聞こえてくるのだった。1ヵ月がすぎたのに、ミッションに関してはほとんど進展していない。彼は、いまだにベルのお気に入りの行為相手だったが、だからと言って、任務遂行の機会が増えるわけではなかった。

1ヵ月はすぐに2ヶ月になり、デイビーは、そろそろ動きださなければならないと思った。ベルは、すでに、ベティとパーシーのふたりに飽きていた。ふたりは、ベル博士よりクラレンスに抱かれる方を切望するようになっていた。ふたりは、クラレンスの方がセックス相手としてベル博士よりもずっといいと言っていた。

2ヶ月目はやがて3ヶ月目になり、デイビーはパニック寸前の状態になっていた。その頃までには、ベル博士はデイビー以外の者たちを相手にすることは、ほとんどなくなっていた。ということは、とりもなおさず、ほぼ毎日、デイビーはベル博士に抱かれるようになっていたことを意味する。

そして、出港してから3ヶ月半になったある日、クラレンスがデイビーのところに来て、言った。

「我々は、明日、入港する。ベル博士は、その前にお前に会いたいとおっしゃってる」

その時の行為も、他の時と変わらなかった。クラレンスに連れられてベル博士の部屋に行くと、ベル博士はすぐにデイビーを四つん這いにさせ、後ろから突きまくり、彼に快感の叫び声をあげさせた(もちろん、演技であるが)。そうしてベル博士が射精すると、しばらくふたりで横たわったままになり、その後、デイビーは部屋を出ようと起き上がるのである。

だが、この日、デイビーが起き上がろうとすると、ベル博士は呼びとめた。

「いや、もうちょっとここにいなさい、デイビー」

デイビーはベッドの上に座った。これは、これまでなかったことだった。

「私の隣に横になるんだ」 とベル博士はベッドの上をトントンと叩いた。

デイビーは言われた通りに横になった。背中を向けて、お尻をベルの股間にくっつけた姿勢でいた。ベルは後ろから手を回して、何気なくデイビーの乳首をいじり続けた。

しばらくそうしていた後、ベル博士が突然、言葉を発した。

「お前のことは知ってるのだよ、デイビー・ジョーンズ。……政府のエージェント。否定しようがないな。お前がこの船に乗ってきた最初の日から知っていた。私が作り上げた新世界を覆そうとしているボイを犯すのは、実にワクワクしたものだ。お前も楽しんでいたようだな。かなり喜んでいたようだ」

デイビーはくすくす笑った。「いいえ。そうでもないわ。あなたのあの小さなおちんちんで? まさか。最初に見た時、あなた自身がボイかもしれないと思ったほど」

ベルはデイビーの尻頬をピシャリと叩いた。かなり強く。

「良いボイは、目上の者をからかったりしないものだぞ!」

しばらく沈黙が続いた後、またベルが言葉を発した。

「クラレンスから聞いていると思うが、明日、我々は入港する。お前は船から出るのは許されない。入港するまでは部屋に戻ってもいいが、我々が上陸している2日間は、お前は監禁することにする。もう行ってもいいぞ」

そしてベルは再びデイビーの尻を叩いた。「それと、再び海に出た後は、もうお前はここに来なくていい。恩知らずのボイは不要なのでね」

*

部屋に戻るまでの間、デイビーは焦燥した。顔にも不安が出ていたに違いない。それを見たエリックが尋ねた。

「どうしたの? 何かあったの?」

「いえ、何も」 とデイビーは嘘をついた。「何か身体に合わない物を食べたみたいで、気持ち悪いの。それに、ベル博士に、みんなよりここに長くいるよう言われたし」

彼のハーレム仲間はみんな笑顔になり、デイビーを祝福した。エイミが声を上げた。

「気をつけていないと、ベルのお嫁さんにされちゃうわよ。デイビー・ベル夫人! 素敵な指輪をもらえるわね」

「ええ、たぶん」 とデイビーは言い、横になった。

ベティはバスタブに入っていた。脚の毛を剃っている。

「あなたたちボイが羨ましいわ。何でも持ってる。妊娠する心配をしなくてもいいし、身体は最高だし、それに脚の毛を剃る必要がないなんて! この剃刀負けを気にしなくても良くなるには、どうしたらいいのかしら……」

デイビーはその後の話しを聞くのをやめた。さんざん聞いてきたことだった。デイビーは、これまでの人生で初めて、今後どうしたらよいか分からなくなっていた。

*

予定の入港時間の2時間ほど前、クラレンスがハーレムに現れ、デイビーを別の部屋に連れて行くと言った。デイビーは仲間に手短に別れのあいさつをし、船を離れる時が来たら、必ずみんなに会いに行くと約束した。

その後、彼はクラレンスにエスコートされて、このクラレンスが居住していると思われる部屋に連れて行かれた。その部屋はベルの部屋ほど豪華ではなかったが、それなりに快適そうな部屋だった(小さかったが)。シングルベッドがひとつだけで、歩きまわれるようなスペースはあまりなかった。

クラレンスはデイビーにベッドに座るよう指示し、自分はデスク脇の椅子に座った。

「これから2日間、俺がお前の見張りをすることになる。もし、服を着たいなら、着て構わない。この部屋では裸になってる必要はほとんどないから」

クラレンスは、そう言いながら、デイビーの身体に目を向け、顔に少し不快そうな表情を浮かべた。

その表情を見た瞬間、デイビーは急に裸の自分があからさまに露出していることを実感した。デイビーはこの3ヶ月間、ほとんどずっと全裸のままで過ごしてきた。だが、この逞しい見張り役の男のちょっと不快そうな顔を見た瞬間、彼は急に裸でいる自分が恥ずかしくなったのだった。

デイビーは自分の小さなスーツケースを取り出し、それを開けた(そのスーツケースは、初日に着てきたショートパンツとタンクトップを入れた後は、一度も開けていなかった)。そして、中からパンティを出し、履いた。その後、ジーンズと白いブラウスを出し、それを着た。

服を着た後、デイビーはベッドに横になり、クラレンスの様子を観察した。この男と肉体的に戦って勝つ可能性はゼロだろう。彼はNFLのディフェンスのラインマンのような体つきをしている。

「それで、あなたはどのくらいベル博士の元で働いてきているの?」 とデイビーは声をかけた。

「もう10年以上だ。博士の組織の保安部の長をしていた。博士が……博士があの化合物を放出するまでは……」

その言葉の最後のところを言う時、クラレンスがちょっと苦々しく思ってる様子であるのをデイビーは察知した。

「その前は何を?」

そう問いかけたが、答えは返ってこなかった。

「ねえ、私たち2日間もここに閉じこもることになるのよ。ちょっとおしゃべりしたら、気が楽になるんじゃないかしら?」

クラレンスはそれでも黙ったままだった。デイビーは、聞えよがしに溜息を吐き、仰向けになって枕に頭を乗せた。

少し沈黙があった後、クラレンスが答えた。

「俺は15年間、海兵隊にいたんだ」

「じゃあ、たくさん戦闘に加わったのね?」

「ああ、かなりな。だが、あまりそれについては話したくない」

「ベル博士が国の敵になってることについては、どう思ってるの?」

「ベル博士は偉大な人だ」 クラレンスはそれしか言わなかった。

「でも、あなたも、彼がしたことは間違ってると分かってるはずよ。あなたの道徳心は彼のほど、ひねくれてはいないのは確かだもの」

「白人と黒人の間のレイシズムが、今は、ほとんど消えているのを知っているか? 考えてみろよ。今は、白人は黒人を嫌ってはいない。もっと言えば、積極的に黒人との交際を求めている。黒人の方も白人を嫌ってはいない。今は、白人とセックスしたいと思ったら、前ほど苦労しなくてもよくなっているだろう。確かに、多少は、周辺的な人種間のいざこざはある。だが、そういうのは急速に圧倒的なマイノリティになってきてるんだ」

「でも、ベル博士が破壊した人々の人生については、どうなの? ばらばらになってしまった家族がたくさんいるわ」

「コラテラル・ダメージだよ(参考)」 とクラレンスは答えた。

そして、「ベル博士は偉大な人なんだ」 と付け加えた。まるで自分を納得させるために言っている感じだった。

「…ところで、俺も君に質問があるんだが…」 とクラレンスは思い出したように言った。「君は男とのセックスを本当に楽しんでるのか? ベル博士と一緒にいる時の君の声を聞いたことがあるが、本当に喜んでるような声を上げていた」

「ベル博士と? あれは演技。でも、男とのセックスを楽しんだことがあるのは本当よ。相手によると思う」 とデイビーは正直に答えた。

「ボイは異常なほどエッチな気分になるものだって聞いたことがある。ボイにとっては、男とのセックスが格段に気持ち良いらしいと。あるボイを知っているんだが、そいつはベル博士によって変えられた人ではなかった。誰か他の人に変えられたらしい。そのボイは高校時代、その男をいじめていたらしいんだ。そこで、そのいじめられていたヤツが、仕返しとして、そいつをボイに変えたらしい。まあ、ともかく、そのいじめられていたヤツは大した才能があったようだ。そしてボイに変えられた方は、信じられないほどセックス狂いになっていたよ」

「レオね。レオ・ロバートソン。彼はジョージ・ヤングに変えられた」

「ああ、そいつだ。どうして知ってるんだ?」

「2年ほど前にレオと話しをしたことがあるの。今はレアという名で通っているわ。ストリップ・クラブで働いている。でも、これだけは言えるけど、レアは今の状態に満足していないのよ。不幸になっている。実際、身の上話をしながら、彼、急に泣き出したもの」 とデイビーは言った。

「本当か? 俺が見た時は、すごくハッピーそうだったが……。ベル博士が俺に結果をじかに見せてくれたんだ。彼はその時もストリップ・クラブで働いていたが、生活を楽しんでいるように見えたけどなあ」

「それはよくあるパターンなの。多くのボイは、調整期間を経験するのよ。だいたい2年半くらいね。その期間中は、性欲が非常に高いの。加えて、そういうボイたちは、それまで知らなかった感情や、快楽を得る新しい方法とかを経験するの。その結果、彼らは、性行動がとても激しく増加することになる。でも、その期間を過ぎると、生活が通常状態に戻るし、女性と同じような性的好みを持つように変わるのよ。本当だから、信じて。私自身も、この3年間、変化を経験してきたし、自分自身を研究してきたから。だから、ボイたちの実情は、一見したところほど、バラ色というわけじゃないの」

「どういうこと?」

「何と言うか、たぶん、かなり多数のボイたちがうつ状態になると予想しているわ。性欲が通常状態に戻るのにつれて、ボイたちにも時間的余裕も出てきて、自分たちの人生についてじっくり考え始めると思う。実際、すでにこの数ヶ月で、ボイの自殺が増加していたわ。今は数字から離れているから分からないけど、たぶんもっと増えていると思う」

「ということは、いま俺たちが生きている安定した世界は、今にも沸騰しかかってる煮えたぎった状態を覆い隠している幻想に過ぎないと。そう言いたいのか?」 とクラレンスは納得して言った。

「そんな上手な表現、私には思いもつかなかったわ」 とデイビーが言った。

「興味深い」 とクラレンスは言い、その後、会話は途切れた。

*

2時間ほど後、クラレンスは、ドアの外に衛視をひとり立たせて、部屋を出て行った。彼はどこに行くか言わなかったし、デイビーも訊いたりしなかった。クラレンスは何時間も考えごとに没頭し、黙ったまま、さっきの会話の意味を考え続けていた。デイビーには、この大男の頭の中で、ギアがシフトするのが見えるような気がした。

クラレンスが黙考している間、デイビーは彼をじっくり観察することができた。身体の大きな男がタイプな人にとっては、彼はハンサムだと言えるだろう。そしてデイビーも、どちらかと言うと、そういう男性が好きだった。クラレンスは筋肉隆々というわけではないが、逞しい体つきをしているのは事実だった。腕は、デイビーの細いウエストほども太い(あるいはそれよりも太いかも)。だが、そんな動きの鈍い武骨者という外面の中に、何か光るものがあった。

話し合ったことについて黙考するクラレンスを見ながら、デイビーは、彼の瞳に思慮深さが光るのを見ていた。

そして、デイビーは、このストイックな衛視に心が惹かれ始めているのに気づいた。

クラレンスが戻ってきた時には、すでに夜も更けていた。彼は椅子に腰を降ろし、何の前置きもなく、デイビーに問いかけた。

「君はどうなんだ? チャンスができたら、元に戻るつもりか?」

その質問を受けて、デイビーは何秒か考え込んだ。何秒かは何分かに変わり、結局、15分近く考え続け、ようやく答えた。

「戻らないと思う。今の姿に慣れるまでは辛かったけれど、今は、自分のあり方に満足しているし、幸せだと思っている。以前の私の人生は虚ろだった。いかなる感情も外に出さなかった。でも、今は、自由に感じたままに生きている。こんなに自由な気持ちになったのは、これまでなかったと思う」

デイビーはこれまでになく正直に自分の気持ちを語った。自分自身、これには驚いていた。

「じゃあ、他のボイたちは、それと似た結論にならないなんて誰にも言えないわけだな?」

「ええ、その通り。私が言いたいのもその点。彼らボイ、というか私たちボイは、選択肢を与えられるべきだと思うの」

「それを君はしようとしているのか? 人々に選択肢を与えること?」

「ええ。私たちがしようとしているのは、それだけ。聞いたら気が休まると言うなら言うけど、私たちも、このミッションを進めるべきかどうか、問題にしたのよ。答えは簡単ではなかったわ。でも、男性に戻るという選択肢を選ぶかもしれない人々には、その選択をするチャンスを与えられるべきだと結論したの。自分が望まない人生を生き続けるのではなく、自分で選べるようにすべきだと」

それから再びクラレンスは黙り込んだ。トイレに行く時や食事の提供の時を除いて、その夜、ふたりは黙り続け、やがてデイビーも眠りに落ちた。

*

「散歩することはできるかしら? 脚をストレッチしたいの」とデイビーが訊いた。すでに丸一日たっていて、再び夜になっていた。まさにこの瞬間、ベル博士は新しいハーレムの人材集めに忙しくしていることだろう。

「いいだろう。だが、他のことは何もするなよ」とクラレンスが答えた。

デイビーは、何かする意図はなかった。船外に逃れようとしても、良い結果にはならないだろう。必要なものは船にあるのだし、船外に出て、誰かと接触できても、その時には船は大海に出た後となっていることだろう。そもそも、クラレンスとドアの向こうにいる武装したふたりの衛視たちから、逃れることなどできそうもない。

「ええ、何もしないわ」 デイビーは本心からそう答えた。

その何分か後、ふたりはデッキを歩いていた。遠くに市街が見え、街明かりが点滅している。別の世界で、別の状況だったなら、ロマンティックな状況だと言えただろうなとデイビーは思った。デイビーは、欄干にもたれかかり、街の明かりを見つめていた。

「綺麗だわ。そうじゃない?」とデイビーは小さな声で言った。

「確かに。……それに君も」 とクラレンスが答えた。

「ありがとう」 とデイビーはお世辞はいいのよといった感じで答えた。

「いや、本気だ」とクラレンスはデイビーの方を向いて言った。「内面も外面も。俺は君のような人に会ったことがない。君は……」

「ここではダメ」 とデイビーは、頭を振って、向こうにいる船員たちの方を示した。

クラレンスはデイビーの言わんとしたことを理解し、彼をデイビーの牢屋代わりにしている船室に連れ戻した。

部屋に戻り、デイビーはベッドに腰を降ろし、もたれかかった。クラレンスは、デイビーに背を向けて立っていた。

「デイビー、君の言ったことで俺は混乱している。あらゆることが振り出しに戻された感じだ。だが、さっき言ったことは本当だ」

そう言ってクラレンスはデイビーの方に向き直った。

「君は、他の人たちとは違ったように、俺を扱う。もっと言えば、君は、俺が答えを見つけられる能力を持っていると、単なる筋肉バカではないと思っている」

「その通り」 とデイビーは小さな声で言った。

「そして、君はとても魅力的だ。上品で、魅力的で、賢く、そしてセクシーだ。これらが君というひとりの人間に一体化しているなんて……。俺は……」

デイビーは立ち上がり、指を立て、クラレンスの口にあてた。そうして彼の顔を見上げながら言った。「しーッ。分かったから。あなたは私のことが好き。そして私もあなたのことが好き」

そうして彼は、手をクラレンスの逞しい首の後ろ側に添え、自分に引き寄せた。クラレンスもそれに従い、顔を下げた。デイビーは、つま先立ちになり、彼にキスをした。

キスを解いた時、クラレンスは何か言おうとしたが、この時も、デイビーは彼を黙らせた。情熱に任せて、ふたりは服を脱ぎ棄て、1分もかからぬうちに、ふたりとも全裸になっていた。服を脱ぐ間、ずっとふたりは唇を重ねあったままだった。裸になると、デイビーはふざけまじりにクラレンスをベッドに押し倒し、彼の上にまたがった。

デイビーは、彼に覆いかぶさり、キスを続けた。キスをしながら、クラレンスの熱い勃起が尻の間を撫でるのを感じた。

2分ほどそれを続けた後、クラレンスが身体を起こした。そして、デイビーの身体を軽々と抱き上げ、ベッドに仰向けに寝かせた。そしてデイビーのお尻を少し持ち上げ、同時に彼の脚の間にひざまずいた。顔をデイビーの股間へと近づける。

クラレンスは、デイビーの小さなペニスと睾丸を一気に口に含み、舌で愛撫し始めた。同時に大きな指でデイビーのアナルの中を探り始める。

デイビーは夢心地になっていた。こんなことをしてくれた人は初めて!

興奮しきったデイビーがクラレンスの口の中に放出するまで、時間はかからなかった。クラレンスは出されたものを飲み、デイビーを驚かせた。

その後、クラレンスは立ち上がった。デイビーが彼のペニスをじっくりと見たのは、この時が初めてだった。巨大ではない(もっと大きいのを見たことがある)、でも、ベルのよりははるかに大きかった。

クラレンスはデイビーに覆いかぶさり、デイビーのアナルにペニスを押しつけ始めた。

「いや。私が上になりたいわ」

デイビーがそう言うと、クラレンスは肩をすくめ、デイビーを抱え上げた。そして彼を抱いたまま、クラレンスはベッドに腰を降ろした。

「仰向けになって。全部、私にさせて」 とデイビーは言った。淫猥さが溢れた声だった。

クラレンスは言われた通りにベッドに大の字になった。デイビーは後ろに手を回し、彼の大きなペニスを握った。そして、ペニスの亀頭がアナルに触れる程度まで、腰を浮かし、それから、ゆっくりと腰を沈めた。

これ以上ないほど、夢のような快感だった。これまで相手してきた男たちの誰よりも気持ち良かった。だが、その快感は、肉体的な快感とはほとんど関係がなかった。デイビーにとって、自分から選んでセックスしたのは、クラレンスが最初だったのである。ミッションのためでもなく、訓練のためでもなく、ましてや、何かを手に入れるためのセックスでもない。デイビーがこの男性とセックスするのは、この男性にセックスしてほしいから。それ以外の理由の何ものでもないから。

ふたりの行為が終わり、デイビーはクラレンスの大きな胸板に崩れるように覆いかぶさった。彼の心臓の鼓動が聞こえた。

心も身体も満足しきったデイビーは、愛する男の腕に包まれながら、ゆっくりと眠りに落ちた。

*

翌朝、船はいかりを上げ、港を出た。

デイビーは、注意深く、クラレンスにミッションの目的を告げずにいたが、クラレンスには分かっていただろうと思っている。なぜ、クラレンスに話さなかったのか? その理由のひとつは、クラレンスに、情報やサンプルを入手するために一緒に寝たのだと思われたくなかったから、というのがあった。もうひとつは、もっと論理的な理由で、今、実行するのは無意味だと思ったからだった。再び船が入港するまで待っているべきだと。

これがクラレンスに話さなかったふたつの理由だが、デイビーは最初の理由の方しか重視していなかったと言ってよい。そういうふうにクラレンスに勘違いされる可能性は低かったけれども、デイビーはクラレンスのことを思いやることの方が大切だと感じていた。それほど愛を感じていたのだった。

ふたりが一緒に過ごしたのは、たった2日間だったし、その大半が黙りこくったまま過ごしたのではあるが、デイビーは彼に対する愛情は本物だと感じていた。それにクラレンスの方も同じ感情でいることを認識していた。クラレンスは知的でハンサムだし、忠誠心もある(もっとも、ベル博士への忠誠心に関しては、忠誠心の置きどころが間違ってはいたが)。ボイにとって、これ以上の男性を、求めることなどできようか?

デイビーにとっては2回目の航海になる。だが、この2回目の航海は1回目に比べて、はるかに楽しい航海だった。というのも、この航海のかなりの時間を、彼はクラレンスの船室で激しく愛情豊かなセックスをして過ごすことができたからである。それ以外の時間も、ふたりでいることが多かった。ベル博士はと言うと、新しいハーレムができたおかげで、デイビーのことは忘れてしまったように見えた。多分、そうかもしれないし、そうでないかもしれない。

だが、この時間が、デイビーの人生で最良の時なのは確かだった。彼はクラレンスを愛している。何があっても、その気持ちは変わらない。

すべてがこの上ない喜びの日々だった。ある日が来るまでは。3ヶ月が過ぎた頃、クラレンスがデイビーのところに来て言ったのだった。

「明日、再び入港することになった。だがベル博士が君に会いたがっている。博士に、君を解放するよう言ってきたのだが、ようやく納得してもらったようだと思う。俺は、君のことを愛しているのだと博士に伝えたんだ。博士も、それを聞いて喜んでいたみたいだ」 とクラレンスが言った。

クラレンスは、ベル博士が自分の親友なのだと思い込んでいるらしい。デイビーは、それほどウブではなかった。

*

その数分後、ふたり一緒にベル博士の部屋に行った。

「おお、愛するおふたりさんか。入りたまえ。クラレンス、君に見せたいものがあるんだ。そしてお前」 と博士はデイビーを指差した。「こっちに来なさい」

ベルは階段のふもとのところに立っていた。

デイビーが博士のところに近づいた。

「裸になれ!」

デイビーはクラレンスの方を振り返った。彼は無言のまま、じっと立ったままでいた。デイビーは諦め、服を脱いだ。

「ちゃんと見てるか、クラレンス? お前が妻にしようとしてるボイが、どんなボイなのか、お前に見せてやろうと思ってな。こいつは、チビの淫乱ボイにすぎんのだよ。さしずめ、このボイ、お前に化合物を盗むのを手伝ってくれと頼んだだろう? 違うか?」 

ベル博士はズボンのチャックを降ろした。

「そんなことはありません」

「おお、そうか。それは良かったな。だが、このボイなら、いつそう言ってもおかしくない」 とベルはペニスを出した。

「尻をこっちに突き出せ」

デイビーがほとんど動かずにいると、ベルは乱暴にデイビーを背中を押し、上半身を傾けさせ、怒鳴った。

「尻を突き出せって言ったんだ! この淫乱ボイ!」

「オマール、こんなことはやめてくれ」 とクラレンスは握りこぶしを握りながら言った。

「これは」 とベルはデイビーの尻頬を強くひっぱ叩いた。「これは俺の尻なのだよ。そして、お前は俺に雇われている男だ。お前が降りられるのは、俺が降りてもいいと言ったときだけだ。指図できるのは俺であって、お前じゃないのだよ。それにお前は……」

クラレンスが飛びかかり、殴打し始めた。彼の怒りは激しく、気のふれた博士が死に、顔面を血だらけにし、誰とも判別できない状態になるまで、殴打が続いた。クラレンスはぼろぼろ泣きながら、「オマール、そんなことしちゃダメだ」と叫び続けるだけだった。クラレンスは、両手が血まみれで傷だらけになって(おそらく骨折もして)やっと、殴打をやめた。

デイビーは素早くパンティを履き、間違ってパンチを受けないようにと注意しながらクラレンスに近づいた。だが、心配する必要はない。クラレンスがデイビーを傷つけることなど、たとえ間違ってでも、ありえないのだから。

そしてクラレンスは、すでに死んでいた男への殴打をやめ、涙をとめどなく流しながらデイビーの膝に顔を埋めた。そして彼の怒りはゆっくりと鎮まっていった。愛する者の腕に包まれながら、彼は啜り泣きを続けた。

*

翌日、船は入港した。愛しあうふたりが下船し、彼らの後に、戸惑い顔のセクシーなボイや女たちが続いた。船員たちは、何が起きたか知っているようだったが、誰も、本当の話しを知らないし、ベル博士の死体がどこにあるのかも知らなかった。ベルの死体はクラレンスがデッキから海に放り投げたのだった。

ミッションに関しては、デイビーは頼みすらせずに遂行できた。デイビーに言われるまでもなく、クラレンス自身が衛視の元に行き、中に通せと命令し、部屋の中からオリジナルの化合物が入った容器を持ち出したのである。彼は、ロックされた実験室にあるすべてのコンピュータからハードディスクも持ち出した。

下船後、ふたりはエージェンシーの本部に直行した。下船した港から本部までは、アメリカを横断する旅行となったが、行楽気分のドライブ旅行で、何度も愛の行為も行った、極めて楽しい旅行になった。

本部に着くと、エージェンシーの大半の局員は、デイビーが生きていたこと、ましてや任務に成功したことを知り驚いた。不満と言えば、ベル博士が死んでしまったこと、それゆえ、治療法を得るための、より多くの情報が得られなくなったことだけだった。

だが、後から分かったことだが、治療法を得るためには、それからたった2年しかかからなかった。そのさらに半年後、治療法が、それを欲する人誰にでも与えられるようになった。治療を受けたのは、ボイの20%だけだった(もっとも、メディアでの報道では、それよりはるかに少ない人数にされていたが)。

デイビーとクラレンスに関しては、ベル博士が大気に化合物を放出してから6年ほど経った時、ふたりは結婚した。それまでに世界は大きく変わっていた。この2年間だけでも、大きな変化があった。

多くの人々が、ボイに対してネガティブなステレオタイプを抱き、ボイは意志薄弱で、セックス狂で、好色狂であると考えていたが、すぐに、世界は、そういうステレオタイプのボイは、調節期間を過ぎた後は消滅すると気づき始めた。ボイたちは、確かに以前の姿とは大きく違った姿になるが、それ以外では他の人々となんら変わらぬ、普通の人間なのである。他の人々と同じように、希望や夢を持ち、愛情や成功を求める、そういう人間なのだ。世界はそういうふうに認識を改めていった。

そして、人生は続く。世界は、ジェンダーが3つの世界になった。男性と女性とボイである。誰もベル博士のことを悼むひとはいなかったが、彼が歴史の本に名前を残したのは事実だ。クラレンスは、ベル博士は、本当に欲した世界を実現したといつも言う。でも、デイビーは、それはどうかなと思っている。デイビーによれば、ベル博士は、よくいる狂ったテロリストのひとりにすぎない。ただ、偶然にも自分の人生の目標をまっとうする結果を生むことができたテロリストなのだと。


おわり
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