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Give up 「あきらめなさい」

「ああ、サラ」と、部屋の前でヘンリーが言った。禿げた頭部を残った髪の毛で隠そうとしてる頭、ぶくぶくに太った体、そしてニヤニヤした顔。彼の外見は、彼の性格を正確に表していた。とは言え、彼が従事している業界では、そもそも、善良と呼べる人間はほとんどいない。彼は、いつも持っているハンカチで、汗が噴き出た顔をぬぐった。「ジャックに会いに来たんだが」

「どうぞ」とサラは、横によけ、彼を招き入れた。夫と長い間暮らしてきたこの家。ここにこの男が入ってくることなど望まぬ彼女ではあったが、家の中に、彼に是非とも見てほしいことがあったのである。彼に是非とも理解してほしいことが。

「ということは、ここにジャックがいるということだな?」

ヘンリーはずかずかと家に入った。彼が歩く一歩一歩が、「自分は偉いんだ」と大声で言っているようだった。「どうしてもジャックと話さなければ……」

ヘンリーの声は途中で弱々しい調子に変わり、やがて彼は黙ってしまった。リビングルームの白いコーヒーテーブルの上にひざまずく裸の女性を見たからだ。つるつるの滑らかな肌、濃い色の長い髪、丸い腰つき、そして美しい顔。……瞬時ではあったが、ヘンリーはその女性の姿を隅々まで捕らえた。そして、彼女の脚の間にぶら下がるモノを見て、咳ばらいをした。彼は目をそらした。「ああ、お客さんがいるとは知らなかったから……」

「お客さん……」 サラは気だるそうな口調で言った。「フランチェスカはお客さんじゃないわ。もっと言えば、彼女を人間と思わない方がいいかも。どっちかと言えば、芸術作品。そう思いませんこと?」

ヘンリーは女性の方を見ずに、再び顔から汗をぬぐい、咳払いした。「綺麗な人だ。とても綺麗だ。だが、私はあの人を見に来たのじゃない。ジャックに会いに来たのだ」

裸の女性は、同じ姿勢でいたが、少しだけ頭をかしげ、ヘンリーたちの方を振り返った。何かに気づいたのか、瞳が一瞬ひかった。

「うふふ。もう会ってるんじゃありません? あなたが想像していた形ではないかもしれないけど。まあ、確かに予想とは違うでしょうね」と彼女はフランチェスカを指さした。「でも、そこにいるのは、あなたの彼氏よ。というか、あなたの彼氏だった人の抜け殻」

「な……何を言ってるのか……理解できない」

「まあ、そうでしょうね」とサラは答えた。「でも、これだけは言っておきましょうね。あたしはジャックの性的な奔放さにうんざりしていたと。それを何とかしようと思ったと。それだけ。……で、あなた、もう帰った方が良いと思うわ。彼と同じ運命になりたいと思うなら話は別だけど。でも、あなたの場合、どうやっても、そんなに可愛いシシーになりそうもないのは確か。でも、あなたも心の奥に何か隠してるでしょ? あたしにはそれは分かるわ。それが何なのかを探ってみるのって、それはそれで面白そう」

ヘンリーは血相を変え、後ずさりした。サラの笑い声が部屋を満たした。それを見て、ヘンリーはあわてて家から出て行った。サラは男が帰っていったのを見届け、彼女の夫だった人に顔を向けた。

「ほらね、分かったでしょう? あなたを助けてくれる人は誰もいないの。あなたの中に、歯向かう気持ちがどれだけ残ってるのか知らないけど、もう、そんな気持ち、勝手に死んでいくから、放っておくのがいいんじゃない? 意味がないもの」






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