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Swept away 「流されて」

こんなはずじゃなかった……。ああ、こんなことを言うと、すごく責任回避してるように聞こえてしまうかも? 分かってる。でも、別の言い方をしても、同じだ。自分の人生がこんなふうになるなんて、思ってもいなかった。あたしがこんなふうになるなんて、予想すらしてなかった。でも、分かっている。全部、自分で決めてきた結果が今の自分。自分で進む道を選んできた。それに、振り返ってみると、やり直せるとしても、別の生き方をするとは思えない。こういう生き方をしたかったから、そうしてきたのだと思う。だから、やり直す機会があっても、多分、同じ道を選ぶと思う。

でも、それを愛と呼ぶかどうかは、ためらってしまう。愛のように感じる時もあるけど、愛って、苦痛に感じる時があるほど強力なものなのだろうか? 多分、愛という言葉より執着の方が適切な言葉だと思う。でも、別に、そのふたつの違いが分かったからといって、あまり役には立たない。愛と執着の違いなんて、頭の奥で、ぼんやり漂ってるただの事実のひとつにすぎない。役に立たなくて、いつでも無視できる事実にすぎない。あたしがかつてどんな人間だったかの記憶と同じく、役に立たないと思う。

ちょっと努力すれば、すぐに思い出せる……別に今となっては本気で思い出したいわけではないが。あたしが辿ってきた道。それは最初からずっと、苦痛と拒絶の連続だった。あたしはストレートだった? あたしは男性だった? 当時はそう思っていた。完全にそう思い込んでいた。ガールフレンドもいたし、友だちもいた。それなりの人生があった。でも、今は、もうない。彼と出会ってからは、なくなってしまった。

彼と初めて会ったその日に、あたしは彼のペニスを口に咥えていた。彼は、わざと、あたしに「しゃぶらせてください」と懇願させた。そして、あたしはトイレの床にひざまずいて、それをしたのだった。ああ、あの時の音が今でも耳に聞こえる。あの時、彼があたしの中に何を見たのか、いまだに分からない。あの日のことを思い出すたび、体が震えてくる。どうして、あたしがあんなにずうずうしくなれたのか、分からない。あたしは彼が欲しがるようなタイプではなかった。それはあたしも知っていた。あたしは、あまりにも……何と言うか……男っぽさを残していたから。それにもかかわらず、彼はあたしにおしゃぶりをさせてくれた。彼のペニスを唇で包み込みながら、嬉しくて涙が出そうになっていた。あたしの口の中に出してくれた時は? まさにエクスタシーだった。あたしは全部飲み下した。

その時になって、彼はあたしに、あたしの中に大きな可能性があるのを見たと言ったのだった。

「2つか3つ、容姿に変化を加えてくれたら、もう一度、おしゃぶりさせてやってもいいぜ」

あたしは、彼のスペルマの強い味を舌に感じながら、彼を見上げた。彼の目には、「場合によっては、もっとたくさんしてやってもいいぜ」と言う表情が浮かんでいた。

「何でもするから」

そう言うと、彼は微笑んで、「そのうち連絡するから」と言った。

彼がトイレから出て行った後、あたしは恥ずかしさが急に溢れてくるのを感じた。自分は何てことをしてしまったんだろう? 自分はゲイじゃない。別に男が好きなわけではない。なのに、彼のペニスを美味しそうにしゃぶったし、実際、それをしている間、気持ち良くてたまらなかった。それはどういうことを意味しているんだろう? それに加えて、自分がもっとそういうことがしたいと思ったことは何を意味しているんだろう?

次の1週間、あたしはずっと電話をチェックし続けた。早く連絡を入れて欲しくてたまらなかった。でも、それと同時に、恐ろしさも感じていた。

初めての出会いから2週間後、彼からメールが送られてきた。「いくつかパンティを買え」とあった。瞬間、拒絶したいと思った。本当にそう思った。だけど、その日の昼休み時間には、あたしはビクトリアズ・シークレットに行き、山ほどランジェリーを買い込んでいたのだった。レジ係の女の子は、あたしが何をしているかちゃんと分かっている顔で、あたしを見ていた。あたしは頬が熱くなるのを感じながら、支払いを済ませた。

でも、ともかく、あたしは彼が言うとおりにした。そして、言うとおりにしたと彼にメールした。次の指示は、ランジェリーを着た写真を送れということだった。それも言うとおりにした。次の段階は、ウイッグをつけること。その次はお化粧をすること。そしてドレスを着ること。次から次へと指示が着て、最後には、あたしは女の子のような姿になっていた。どの段階でも、あたしは一瞬もためらうことなく指示に従った。ためらうことなど、頭に浮かぶこともなかった。彼から、とあるホテルで会うよう言われた時も、断ることなど、まったく考えなかった。ホテルに行けばどうなるか知っていた。そうなるものだと考えていた。

そして、彼は、あたしがまさに予想していたことをしてくれた。もちろん、痛みはあった。だけど、それも予想していたことだった。でも、その痛みの中に、何か違う感覚が埋め込まれていた。快感? 確かにそれはあった。満足感? それもあった。でも、それ以上の何かがあった。あたしの心の中、何か、うまくカチッと嵌るような何かがあった。そして、その瞬間から、あたしは彼が求めることをどんなことでもすることになるだろうと思った。彼があたしをどんな人間にしようと望んでも、その通りの人間にあたしはなるだろうと思った。

そして、あたしはその通りにした。ホルモン摂取、整形手術、友だちや職場の同僚へのカミングアウト、ガールフレンドとの別れ。どのステップでも、それをクリアするたびに、彼は信じられないほど素晴らしいセックスをしてくれた。このことも、あたしは一度も後悔していない。どうして後悔などするだろう? あたしは幸せだった。彼はあたしが欲するすべてを与えてくれたし、あたしも彼が欲するすべてを与えた。

もちろん、いつも、迷いはあった。あたしは本当に女になりたいと思っていたのだろうか? 彼のオンナになりたいと? 今は分からない。答えを分かっていると思いたい。少なくとも、普段はそう思っていたい。でも、どうしてあたしはこんなに変わってしまったのだろう、こんなに急速に変わってしまったのだろう? そう不思議に思わずにはいられない時がある。こんなふうになるはずじゃなかったはずでは? いや、こうなるようになっていたのかしら? あたしには分からない。

もちろん、悩みや迷いがあったからと言って、状況が変わるわけではない。彼が望むことに、これほどまで執着していなかったとしても、あたしはこの状況から逃げ出すことはできなかっただろう。逃げたいと思っても、どこに行けるだろう? あたしはどんな人間になれるというのだろう? いや、今の生活をやめる理由がどこにもない。抗う理由が何もない。多分、あたしはこういうふうになるはずではなかったかもしれないし、こうなるべくしてなったのかもしれない。その答えは分からない。けれど、それはどうでもよいことなのだ。あたしが、今のあたしであることには変りがない。これがあたしなのだから。










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