「心が望むものをすべて」第6章 Whatever Your Heart Desires 06 出所 by AngelCherysse (第1章第2章第3章第4章第5章

私はレキシと出かけるのをワクワクしながら待っていた。ダニーが去ってからの数ヶ月にあったどんなことより楽しみにしていた。愛する者のいない、たった独りで誕生日を過ごすことなど、考えただけでも気が沈む。自ら課した孤独な生活、それから引っ張り出されて、一夜、飲んだりダンスをしたりして過ごす。それは、気分転換として魅力的な案のように思えた。多分、時間が経ったということだけのことなのかもしれない。レイプのことは過去のこととして忘れ去ることにしていたし、それ以上に、レキシが言っていたこと、つまりダニーがまだ私と一緒になりたがっているということを聞いて、気持ちが高揚していたのは疑いようがない。ようやく、私は、希望を持ってポジティブになれることを得たのだ。生きることは楽しいことと再び思えるようになっていたのである。

私が美容サロンに着いたときには、レキシはすでに最後のお客さんへの仕事を終えていた。私をさっと椅子に招き、素早くヘアに手を入れてくれた。さらに助手の人2人にも手伝ってもらい、ネールとメイキャップもしてくれた。その手入れの完成品はと言うと、それは、私の成功したキャリア・ウーマンにとって必須の、注意深く洗練された専門職についている女性のイメージをはるかに超えたものだった。確かに専門職についている「プロ」の女性の姿であることには変わりないのだが、別のジャンルのプロの女性のように変身していたのである。

美容サロンを閉店した後、2人でレキシの豪勢なマンションに場所を移して、着替えをすることにした。私が持ってきた衣類のアンサンブルは、今の新しく変身した「私」に完全にマッチしたものだった。以前、ダニーと別れる少し前に、彼女と一緒にショッピングに出かけたことがあり、その時に買った、ラテックス製(参考)の紺青色のシース・ドレス(参考)を着た。ホールター・ドレス(参考)のスタイルで、背中が深々と露出している。胸元のVラインも、ほとんどおへそに届きそうな程、割れていて、いつもの私よりも、ずっとミルク色の乳房の肉丘が露出して見え、見る者はいつはみ出すかと気が気でなくなるかもしれない。裾のラインも、それに応じた丈で、つやつやした薄地の黒いステイアップ・ストッキング(参考)の付け根がかろうじてスカートの中に隠れている。

ドレスは、私の体に第2の肌のようにフィットしていただろうか? ローマ法王はカソリック信者だろうか(参考)? ステイアップ・ストッキングを選んだわけは、ドレスの官能的なラインを、ガーターベルトの線で台無しにしたくなかったからだ。ぎりぎりまで迷ったが、最後に大胆にもパンティも履かないことにした。私の女性的で官能的な体の起伏を別にすれば、肉感的なラバーのドレスを通して見えている唯一の目だった起伏は、硬く膨らんだ乳首と、盛り上がった恥丘だけだった。

この装いを、紺のエナメル製のプラットフォーム・サンダル(参考)で装飾した。つま先が覆われておらず、足首でストラップで留めるデザイン。靴底の厚さは5センチで、15センチという、そびえるようなスティレット・ヒール(参考)になっている。靴底も透明な蛍光樹脂のルーサイト製。耳には、大きなシルバー製のイヤリング、そして両方の前腕には、じゃらじゃらと飾り輪をたくさんつけて、仕上げとした。

レキシは、ビスチェとマイクロ・ミニスカートというツーピースのコンビネーションだった。ビスチェはハッと息を呑むような真紅のエナメル革製。彼女の赤毛の髪と透き通るような白肌と相まって、息が止まるほど素敵に決まっていた。脚には太ももまで覆う赤エナメルのブーツで、13センチのヒール。このブーツのために、いっそうエキゾチックなオーラが漂って見える。

2人で、居心地がよさそうな小さなイタリア料理店で食事をした。その店を選んだ理由は、何より、今夜の最終目的地に行くのに便利だという点だった。料理は美味しかったが、私の気持ちは実際には料理に向けられていなかったと言って良い。グッド・サービスと言うのだろうか? 何人ものウェイターたちが、まるで奴隷のごとく、私たちをちやほやもてなしてくれたのである。

レキシも私も、私たちが座っている席を担当しているのがどのウェイターなのか、はっきりとは分からなかった。入れ替わり立ち替わり現れては私たちをもてなす。食事をしていた他の客のうち、一人で来ている人、そうでない人に関わらず、少なくもと6人は、その視線がはっきりとメッセージを送っていた。つまり、今夜、私たちの個人的ウェイターになれるなら魂を奪われても構わないと。

私たちは十分すぎる気配りへの感謝として、たくさんチップを弾んだ。だが、多分、今夜、私たちがどこに行くつもりかを伝えさえすれば、チップなしでも通ったことだろう。ともかく、私とレキシは店を出て、目的地に向かった。

ゴーサムの入り口に立っていたチェック係は、私たちの姿を見るなり、何の問題もなくすぐにベルベットのロープの向こうへ招きいれてくれた。店内の雰囲気は、すでに電気的刺激で渦巻いていた。美しい人々でいっぱいの部屋の中でも、レキシと私は、対になったビーコンのようにみんなの注目を引き付けた。ずっと、飲み物をおごられ通しだった。もっとも、私は、バーテンダーの手から直接手渡されたのを目で確認できた飲み物だけに口をつけるよう注意していた。私たちはダンスもした。私は、レキシと一緒に踊ることもあれば、それぞれ、尽きることのない男性の求愛者たちを相手に踊ることもあった。

そのうち、レキシと私は、たくましい男性3人組の目を引きつけたようだった。3人とも有名なプロのスポーツ選手だった。チャンピオンシップのシーズンが終わって何ヶ月か経っていたものの、街全体が、その余韻でいまだ湧き上がってた。この3人組は、シーズン中のヒーローで、店内の皆にもてはやされていた。ちょうど、私とレキシがディナーの時にレストランでもてはやされていたのと同じ。

3人のうち1人が分かれ、店の奥へと向かった。残りの2人が私たちの方へ来て、ダンスを求めてきた。ダンスは1回が2回、2回が3回になり、やがて私も回数を数えるのをやめてしまった。2人のマナーは紳士的だったが、性的なアピールは野生的。

私は、この出会いがどこに向かっているか分かっていたが、そこに向かうことに対してためらいを感じていた。私は席をはずさせてもらい、レキシを誘って、化粧を直すためにトイレに行った。

化粧をチェックし、口紅を塗りなおした後、私は鏡の前、立ち止まってじっと自分を見つめた。レキシは、その私の様子にすぐに気がついた。彼女は落ち着いた声で私に話しかけた。

「話してみて」

「今できるかどうか、自信がないの。自分自身、求めていることなのかどうかすら、分からない」

「あの事件のこと? それともダニーのこと?」

「前に比べて、知らない人とセックスすることについては、ずっと用心深くなったわ・・・そして、自分が男たちに求められる魅力的な女だということは否定するつもりはない。だから、セックスの問題じゃないの。理由は、ダニーのことが大半ね。今のような辛い状況になってしまったそもそもの原因が、私の男遊びだったわけだから。もし今度も大変なことになってしまったら、ダニーとは二度と・・・」

レキシは私の両腕を押さえ、じっと見つめた。

「もし本当にその気になれないなら、2人で戻って、あの人たちにバイバイすればいいのよ」 

彼女はそこまで言ってにっこり笑い、付け加えた。

「・・・でも、後で、このことであなたに文句を言って痛めつけることにするから。うふふ・・・真面目に言うけど、私は、あなたの心の準備ができていないことは、どんなことでも一切、あなたに強制するつもりはないの。だけど、ちょっと考えてみてほしいのよ。あなた自身、もうダニーについては独占権は持っていないって私に認めたでしょう? 彼女の方も、あなたと寄りを戻すことについてどう感じていようとも、あなたと同じように感じていると思わない? あなたとダニーが寄りを戻すと決めたら、いろいろ修復するのは、その時になってからでいいのよ。大丈夫。あなたが幸せになって一番嬉しいのは、誰でもない私なんだから・・・」

「・・・それに、あなたにはあなたの人生があるの。もう一度、人生を楽しむ時期が来ているのよ。あの男たち、危険だと思う? もちろん危険よ! アブナイ男じゃなかったら、全然つまらないじゃない? でも、今日でなくてもいいの。あの2人なら、会いたくなったら、いつでも会えるから。彼らの連絡先を教えてもらったし」

レキシは、笑顔で私を説得しながら、ウインクをして見せた。それから私の腕に腕をかけ、トイレの出口へと私を連れて行った。

「・・・それに、なんとなく予感がするんだけど、今日のことをダニーが考えたら、彼女、あなたに、さあ、先に進んで楽しんできなさいって言うような気がするわ。何と言っても、今日はあなたの誕生日。ダニーも、あなたには完全に元通りのあなたになって欲しいって思っているんじゃないかな。そうなるチャンスじゃない? クリステン? ダニーは、それだけあなたのことを愛しているのよ。それにあなたが彼女のことを愛していることも、誰も疑っていないわ」

私は、レキシが言うことを考えながら、うつむいて床を見つめ、唇を噛み締めた。それからゆっくりと頭を縦に振った。レキシは、頭を下げ、下から見上げるようにして、私の目を覗き込んだ。

「いいわね?」 いたずらそうな笑みを見せている。

私も笑顔になった。 「ええ、いいわ」

「オーケー!」

レキシは明るい声になり、私を抱き寄せながら、ダンスフロアへ向かった。

「そうとなったら、思いっきりエッチになりましょう!」

こういったクラブのVIPルームに入って楽しんだことがある人なら、そこでのルールが一般客に対するルールとは少し異なっていることを知っているだろう。そのレベルの「プレーヤー」たちには、自由が許され、また、いろいろ大目に見てもらえるのである。・・・その部屋が、人数が限られた特定のVIPと、そのVIPたちが招いた特別の客に限定され、一般にはオープンになっていない場合は、特にそうだ。今夜の私たちがまさにそれに該当した。あの男たちはVIPメンバーであり、私とレキシは彼らに招かれた客だったのである。

服を脱ぐなど必要なかった。自分で進んで認めたいと思っているかどうかは別として、レキシも私も、まさに「アレをするためにふさわしい服装」をしていたから。2人とも、できる行為をすべて行った。

当初は、乗り気ではなかったけれども、セックスをするのはやはり気持ち良い。たとえ、私の相手となった魅力的な逞しい男性が、私が求めているパートナーの代役に過ぎないと分かっていても、それは同じ。

それに、確かに、この男性のペニスも目を見張るものだった。彼に与えられる快感と同じく、私も彼に快感を与えた。彫りの深い美しい顔、ギリシャの神のような肉体、滑らかなマホガニーの肌、そして大きくそり返った道具に、私は何度も繰り返し頂点に達した。

レキシを見ると、彼女も、私に負けず劣らず強烈な経験をしていたようだった。私たちが織り成す2組の男女の組み合わせは、やがて、一種の4人プレーに変わり、そして再び元の組み合わせに戻った。

少し経ち、3組目のカップルが、私たちに加わっているのに気がついた。彼らはもともと3人組だったのだが、その3番目の男性が女性を連れてきたのだろう。その女性も、多分、ダンスフロアにいた群れから選ばれた女性だろう。

薄暗い明かりのなか、その3番目の男性を見てみた。彼も、私やレキシの相手の男性に勝るとは言えないものの、同じくらい逞しく素敵な男性。今は連れてきた女性の上に覆いかぶさっている。私は、特に意識して彼の方を見たわけではなく、たまたま、レキシの視線を追って、新しいカップルの方に目を向けただけだった。レキシは、新しく入ってきた2人を見て、ウインクし、軽く肩をすくめて見せた。まるで、「まあ、いいんじゃない? 数が多い方が、もっと楽しくなるわ」と言っているよう。

そのとき、その3番目のカップルが体位を変え、彼女の方が上になった。後姿の彼女を見たが、砂時計を思わせる完璧と言えるプロポーション。ストッキングを履いたままの、すらりと伸びた脚は、見事な美しさだった。その足の先には、黒エナメルのプラットフォーム・スティレット・ハイヒール。上は裸になっていて、黒エナメルのスカートは、女性的な蜂腰の回り、ハート型の官能的なお尻の上に丸まっていた。

よく見ると、彼は、その彼女のアナルに入っていた。かなりの大きさのペニスにもかかわらず、彼女は根元まで受け入れている。彼女のカールした長い髪が揺れて、裸の背中をさわさわと撫でていた。後ろからなので、彼女の乳房は外側の輪郭しか分からなかったが、見事に豊かな乳房で、今は動きにあわせ乱れ動いているに違いない。彼女が頭を動かすたびに、天井からのビーム状の光線が、そのシルクのような髪を照らし、磨いた銅のようにキラキラと輝くのが見えた。

次の瞬間、心臓が止まり、もう二度と鼓動を始めないのではないかと思った。そんなはずがない! 意識せずに、突然、私のあそこが収縮し、中に入っていたペニスをきつく絞った。それを受けて、私の相手はピストン運動の途中で急ブレーキをかけた。

私は、自分から先導して、素早く体位を変えた。私のアドニス(参考)には後ろから突いてもらうようにさせ、私自身は両膝をつき、上半身を上げ、あの赤毛の魅惑的な彼女の背中に覆いかぶさり、体をもたれた。間違いない。彼女のオブセッション(参考)の香りさえ、変わっていない。何ヶ月も前と同じ。

でも、驚くべき変化もいくつかあった。頬骨が高くなっているし、唇もぷっくりしている。踊り跳ねる大きな乳房は、私の想像だけの姿ではなかった。彼女、豊胸手術を受けたのだ。 彼女は、こんなにも根本的なところで、こんな恒久的な形で、自分から責任を持って新しい存在へと生まれ変わっている。・・・それを思った瞬間、私はオルガスムに達した。

彼女は、目を閉じ、快感に集中していた。その眼がゆっくりと開く。背中に私の身体がもたれかかるのを感じ、私があれほど愛した、固く、敏感な乳首を私の指の爪がつまむのを感じたからだろう。

彼女は顔を横に向け、私の顔を見て微笑んだ。そして後ろ向きのまま、両手を後ろの回し、私の尻頬を押さえ、自分の体に強く引き寄せた。彼女の手が私の視界を過ぎるとき、彼女の爪をちらりと垣間見た。セリーヌの爪のように長く伸びているように見えた。でも、その爪のアートは、真紅にゴールドのネール・アートで、ダニーのお気に入りの色合いだった。そのエレガントな爪が、私のお尻の柔肌に食い込む。その甘美な感覚に、背筋にぞくぞくとした電流が走った。私と彼女は、その姿勢のまま、一緒に達した。何ヶ月ぶりだろう。お互い、それぞれが相手としている逞しい男性に打ち込まれながら、2人同時に、身体を密着させてオルガスムに達したのだった。

私の想像の世界で、お菓子屋さん(参考)が再び、店を開いた感じだった。美味しそうなお菓子、甘い香り、きらびやかな様々な色に囲まれる感覚。

最初は、それぞれの組でプレーを始め、次に4人プレーになっていたが、それが時々、駄洒落のつもりではないが、セックステット(sextet)、つまり6人プレーにもなる。

私も、いろいろワイルドな性的妄想をしてきたけれど、このときのようなことを妄想したこはない。・・・私が一人の男性の上にまたがって、彼の大きな男根であそこを満たしてもらい、同時に、私の後ろに、愛するダニーが膝を付き、私のアヌスを満たしてくれる。さらに、そのダニー自身も、彼女が相手している男性に後ろから打ち込まれている・・・。私を貫いている男性とダニー。その2人が同時に達し、私の中に激しく精を放ったとき、私は高台の崖を飛び越え、そのまま宙にとどまった。自分がどこにいるか、今いつなのか、自分が誰なのか、そしてどこまで先に落ちていくのか、そのすべてが意識から消えた。

どんなひと時もやがては過ぎ去ってしまう。その時も同じだった。やがてオルガスムが引いていくと、ダニーが後ろから私をきつく抱きしめてくれた。私の耳元に顔を寄せ、囁いた。

「想像していた通りだった? 良かった?」

私は、満足した笑顔を浮かべて、肩越しに振り返り、彼女の顔を見た。

「それよりも、ずっと良かったわ」

彼女は私の頬に軽くキスをした。

「お誕生日、おめでとう」

私は、理解できずに彼女の顔を見つめた。それから頭を急に反対側に向け、レキシに視線をやった。レキシは、彼女自身が相手してる荒馬に乗っていたが、私のことをじっと見ていたようだった。私たちのことを見て、にんまりと笑い、ウインクしている。その瞬間、今夜のことが仕組まれていたことを知った。私はダニーに関心を戻し、彼女にディープキスをした。彼女もキスを返してくる。

「ありがとう。あなたのことをとても愛しているの。この誕生日、完璧なものにするものは、あともう一つしか考えられないわ」

ダニーは目を落とし、軽く肩をすくめて見せた。それから再び頬に軽くキスしてくれた。

「それはできないわ。まだしなくちゃならないことが残ってるから。私があなたの誕生日を忘れてしまったとか・・・気にしていないと、そういう風に思って欲しくなかっただけだから・・・」

その瞬間、心が一気に沈んだ。ああ! 一瞬、希望を抱いたのに・・・。私は、本当に彼女の心を傷つけていたのだと思い知らされる。それでも、彼女は、私のことを考えてくれていて、誕生日に私の夢をかなえてくれた。私という人間は、本当に彼女には値しない人間なのだ。

でも、少なくとも、彼女と会っている間は、落ち込んでないふりをして、彼女と一緒に楽しもう。

レキシに説得され、それぞれの相手の男性を連れて、彼女のコンドミニアムに場所を変えることになった。もちろん簡単には説得されなかったが・・・。

場所を変えるため部屋を出るとき、私が愛する人は、再び、頑強な彼氏の上に乗馬する体位になっていた。私は、無言のまま、懇願の表情で彼女の目を覗き込んだ。彼女は、またがっている逞しい男性の顔を見下ろしていたが、私に気づき、顔を上げた。そして、かすかに微笑み、頭を左右に振った。

「・・・別のプランがあるの・・・」

私は、苦々しい落胆の気持ちが表に出ないように努めた。男性の上に乗ったままの彼女を優しく抱きしめ、頬に優しくキスをし、耳元に息を吹きかけるようにして囁いた。

「あなたがいなくて寂しかった」

部屋を出ながら、肩越しに振り返り、最後の見納めとして、彼女の姿を見た。いつも、いつまでも、私にとって、たった一人のあの人の姿。彼女も肩越しに振り返り、私を見ていた。

***

騒ぎについて耳にしたのは、地元のテレビ局での早朝ニュース・トークの番組が最初だった。出勤準備をしながら見ていたのだが、新刊のノンフィクションが書店に並ぶらしく、誰もが「必読の本」と褒めちぎっていたのである。皆、その本を『私のように黒い夜』(参考)の再来と呼んでいた。このアメリカという国で、差別、迫害、憎悪を加えても良いと世間一般が思っている最後の対象。その対象に対する法的、社会的な不寛容を、仮借なく暴露した書籍。そのような生活を自ら行っている人物自身が語っているという。タイトルは『据え置かれた欲望:トランスジェンダーとしてアメリカで生きる』。著者はダニエル・ドゥボロー。

偶然などではありえない・・・

発売された朝、書店の前、行列の先頭に私はいた。裏表紙にあったダニーの写真に手を当て、かつて、彼女を抱いた時に感じた温かみを再び感じようとした。たとえ、本の裏表紙であっても、彼女の顔を再び見ることができてとても嬉しかった。たとえ数分でも、暇ができるとすぐに、その本を読んだ。一人称で語られていたが、ダニーがこの物語のリサーチをしている時に出会った他のTガールたちの体験からの引用や3人称の語りも含まれていた。

私はむさぼるように、一字一句読み進めた。第1章「初めて夢を抱いた時」から。ダニーは、たった2歳の時から自分の性同一性について何か変だと知っていたTガールたちや、成人してから初めて自分の別の存在に気づいた「遅れてやってきた」Tガールたちについて語っていた。さらに、一生のすべてをクローゼットの中に隠れて暮らした女の子や、それとは逆に、胸を張って堂々と「カムアウト」した人たちのことも記している。ダニーは、年代を追って、自分の特別なアイデンティティを大切なパートナーと分かち合えた人々、同じTガール同士でしか分かち合えなかった人々、そして、理解者を持たず孤独に隠し通した人々のことを記録していた。カムアウトし、少なくともある程度幸せを見出した人々のことも書いていたし、夢を追求した挙句、すべてを失ってしまった人々のことも書いていた。

そのような人のうち、何人かはイニシャルだけで呼ばれていた。その大半は、隠れて女装を行う者たちで、「(バイやゲイではない)ストレート」としての本性、職業、家族、友人を守るためイニシャルで呼ばれていた(この人たちは、女装者の世界では、「予備役兵(weekend warriers)」と呼ばれている)。

その人たちより勇気があり、24/7、つまり週7日、1日24時間、女性になっている人たちの場合、その中核メンバーたちは、街での呼び名や「ドラッグ」(参考)としての呼び名で呼ばれていた。この本では、彼女たちから多くの発言引用や、第三者への取材による内容が提供されていた。

特に、そのような中核メンバーの中でも、著者が自分の「ドラッグでの母」と呼ぶ人物は、毎日のように、時には、毎時間のように、ダニエルの世界の背後に存在していた。彼女の人生については、実に鮮明に、時には過剰すぎるほど詳しく描かれていた。彼女が毎日、経験する、勝利、悲劇、成功、失敗、喜び、悲しみ、そしてほとんど何気なく襲ってくる恐ろしい体験。その人物の写真が載っていた。私はすぐに彼女のことが分かり、驚きに声も出なかった。写真のキャプションには「セリーヌ・ダルシー」とある。セリーヌのことについて、私はまったく気づかなかった。

私とダニエルの話も書かれていた。実名、場所、時間、それらを除けば、すべて書かれていた。私たちの話は、第4章以降、本全体に渡って展開されていた。第4章「夢が現実になったとき」。

・・・私は幸運な者たちに属していました。私にはある人がいたから。彼女は、聡明で、ユーモアがあり、セクシーで、社会的に成功しており、可愛らしさも備え、エロティックでもあるし、何より、息を飲むほど美しい人でした。内面的にも外面的にも。私たちも幸せでした・・・少なくとも、しばらくの間は。他の人たちと異なり、私の場合、彼女に私の望むことを説明する時に必要となる理由付けを考える必要がありませんでした。私からではなく、彼女自身が、突然、私の変身を始めてくれたからです。私は彼女に、「彼女が望むことをすべて」してあげていました。そのことに対する彼女なりの感謝を示す方法が、私の変身の手助けだったのです。彼女も、「ダニエル」に変身した私のことを愛してくれました・・・少なくとも、しばらくの間は。彼女が男性としての私のどこを見ていたのか分かりません。ましてや、女性になった私のどこを見ていたのかも。ですが、彼女は私の中の何かを見て理解してくれていたし、私は、そのことで彼女を一層、深く愛するようになりました。そして、彼女を幸せな気持ちにさせられるなら、どんなことでもしようと心に誓ったのです。私の世界は彼女だけになっていました。そして、その彼女という世界に生活していた間、それができることは、素晴らしい幸運と感じていました。幸福というものは相対的なもので、移ろいやすいものです。その幸福が終わってしまったことを残念に思いましたが、でも、そもそも、その幸福を感じられた時期がまったくなかった場合を思うと、その方がもっと深いところで悔やんだことだろうと思います。他の、多くの幸福についても、たとえ、失われてしまったものであっても、同じことが言えると思います。終わってしまったことは悲しいけれど、最初からまったくなかったとしたらもっと悲しい。少なくとも、私には幸福だった時期について、単なる夢ではない、現実の思い出があるのですから・・・

私たちの話は第6章でも続けられていた。第6章「現実が夢になったとき」。

・・・彼女は限りなく私を愛してくれました・・・ともかく、その時には、そう思えました。彼女は、その頃の素晴らしい始まりの時期を『夢の国』と呼んでいましたが、まさにその通りでした。そしてその後は、毎日毎日、次々に新しい夢が実現されていく日々が続いたのです。私が、『人まえ』に姿を現すことができたのは、彼女が私の世界を広げてくれたから。私が『いけないエッチな娘』になれたのは、彼女が私がそういう風になるのを求めてくれたから。私は彼女の言うことに従いました。でも、そのように従順に従ったことは、手段であって目的ではありませんでした。愛する者に従うこと・・・それは乗り物であって、目的地ではないのです。言うなれば、レンタカーのようなもの。私と彼女は、何度も愛し合いました。それも、たっぷりと。そして、それまでは秘密でなかったことを、それまでは知らなかった人々や、それまでも友達であった人々と分かち合ったのです。その気になれば、『彼女と別れてしまったのはどうして? 私は、どんな間違いをしてしまったの?』と自問することができるとは思います。でも、今はむしろ、『私は彼女の相手としてふさわしい人間? そのような人間になるために、私はちゃんとしていたかしら?』と自問しています・・・

第8章を読んだ時、涙が溢れ始めた。第8章「夢が終わりを迎えた時」

・・・始まりがあるものすべてには、終わりがあります。過剰に燃え上がりすぎて、とうとう、それに追いつけなくなってしまい、終わりを迎えるという場合があるでしょう。飽きが来てしまい終わるという場合もあります。現実の自分の姿が、理想としていた自分の姿を圧倒してしまい、終焉に至るという場合もあるでしょう。私たちの場合、単に、愚かな過ちを犯してしまったというのが、終わりを迎えた理由でした。その過ちとは、私たちが愛し合い、信頼し合い、気持ちを寄せ合ったことではありません。私たちが、愛や信頼を見失い、それを取り戻す試みをやめてしまったことが過ちだったのです。多分、あの幸せな関係はただの幻想、ちょっとしたパーラー・マジックのようなものに過ぎなかったのかもしれません。それは彼女がいつも言っていたこと。やがて、2人を甘美に覆っていた煙が晴れ、鏡にひびが入る。パッと部屋の明かりが点けられ、現実の世界と対面させられることになるのです。2人が愛を分かち合ったベッドは過去のものとなり、家も自分が帰るべき場所ではなくなる。その家の持ち主は、すでに先に進んでしまっている。『出口はこちらよ。帰ったほうが良いわ。足元に気をつけてね』 暖かさが消えてしまった後は、外の空気も冷たい。いつか、どこかで、また暖かさを見つけるかもしれない。見つけられなくても、その思い出だけでも暖かくなれる・・・前ほどの暖かさではないにしても・・・

もちろん、人には、毎日、生きていく人生がある。多くの人々が夢に願ってきた人生。彼らの人生は、幻想がテーマだった。毎日、一日ずつ、ギリギリのところで生活していく人生。彼らにとっては、幻想が現実であり、現実は幻想なのだった。彼らは、吸血鬼が陽光を避けるように、「現実世界」を避けてきた。彼らも吸血鬼も、避けるべきものに面と向かえば、肉体も魂も焼かれてしまう。そして結局は、全能の「家族の価値」(参考)が登場し、それによって、彼らの夢は打ち砕かれ、人生は押しつぶされ、破滅してしまう。誰でも、もし、その人が「普通の人とは違う」と認識されてしまうと、社会はその人に対してきわめて残酷なものに変貌するものなのだ。

ダニーは、クラブのことを詳しく描写していた。「幻想こそ現実」となっている存在の彼らにとっては、きらびやかなドラッグ・クイーンとなれるクラブという場所は、重要な場所であるし、彼らの社会における身分を決定する要因となることもある。他の社会同様、彼らの社会でも、社会階層上の身分を決定するカースト制度は存在している。

状況や人物についてのダニーの豊かな描写から、彼女が「イブのあばら骨」のことを記述しているのは間違いなかった。私は、彼女がそこに通うことをどうして考えなかったのか、未だに分からない。いつも、私は、彼女が「普通の」クラブに通うところしか思い浮かべなかったからだろう。私は、自分が偏見に基づいて思考していたことを悟った。

ダニーが本の中で書いていることだが、いわゆる「普通の」クラブという場所は、ダニエルほどの美人Tガールであっても、その正体が「読まれた」場合、つまりバレた場合、実際、命にかかわる危険な落とし穴となりうる場所なのだ。その気がない男と知り合いになってしまうという場合もあるし、その時、その男性がどれだけ酔っているかによっても事情は異なるが、常に危険が待ち構えている場所であるのは事実だった。そのような恐怖感は、どんな女の子でも、多少、理解できると思う。

女性化途上の女の子たちが、1日1日、生き延びるためにどんなことをしなければならないか、それを書きあらわした章こそ、ダニーの本の中でも、最も心に触れる、いや、最も心を掻き乱される章だった。Tガールたちは、完全に「正体を読まれない」ほど女性化している場合や、鉄の守りをしてくれる完璧な書類を携えている場合、あるいは単に非常に運がよいといった場合を除けば、偏見を持った雇い主によって求人市場から締め出されるのが普通なのである。最低賃金の雑用の仕事ですら、確保するのが困難なのだ。それが現実だった。

ファッションと美容の職域が、彼女たちに職場を得る機会を提供する場合も確かにある。この本の著者自身は、この道を選び進み、「(この本を書く上での)下調べ」の過程で、美容師とエステティッシャンの資格を得た。だが、Tガールたち全員が、その業界に入れるわけではないし、全員が、その業界に適した才能を持っているわけでもない。

美容ファッションの業界につけなかった者たちは、日々の生活のため、別の方法を探さなければならないことになる。好まれる進路としては、「夫(あるいは男性の愛人)」を見つける、というのがある。だが、この道には往々にして危険が伴う。確かに、シュガー・ダディと呼ばれる「素敵なおじ様」が見つかれば、確かに、この世の天国だが、本当の「素敵なおじ様」はめったに存在しないし、どのTガールでも、そういう「おじ様」を魅了できるということはない。

伝統的には、日々の生活のため、小切手詐欺の手段が取られてきた。最近では、クレジット・カードやATMカードの詐欺も加わってきている。また、いつの時代も最下層の仕事としてあるのだが、麻薬など薬物の売人になるという手段も選ばれてきた。もっとも、この場合、売人である彼女たち自身が、売り物の薬物に手を出してしまうケースが非常に多い。そして、いわゆる「デートクラブ」という仕事も・・・・

ダニーが、「デートクラブ」について、こと細かく記述する文章を読みながら、私は死にそうになった。彼女が実際に現場にいなければ、これほど詳細に書けるはずがなかったから。

以前、私は、ダニーが他の男性とセックスするところを夢み、それを見たらどんなに興奮するだろうと思っていた。あの「ゴーサム」での、彼女と一緒に行った経験こそ、まさに夢に描いていたことだし、いや、夢以上の興奮をもたらしてくれた出来事だった。だが、これを読んで、実際に彼女が「仕事として」これを行うことの持つ、より暗い側面を知った後は、もはや、その暗黒面が私の頭の中から離れなくなってしまった。

私が愛する素敵なダニーが、見知らぬ男とセックスをし、その儲けによって、日々、食べて生活し、余剰を少しずつ蓄え、彼女が描いているゴキブリ取りのような小さな安アパートの家賃を払う。そんなことを思っただけで、背筋が凍った。

本全体を通して、ほぼ毎日のように彼女たちに向けられる憎しみ、嫌悪、疑い、そして、不意に襲う恐ろしい暴力のために、彼女たちの感覚が麻痺していく様子が描かれていた。さらに、彼女たちのコミュニティの外からばかりでなく、内部においても、殴り合い、ナイフや銃による殺傷、手足の切断、レイプなどの痛々しい暴力が起き、渦巻いている(私は、これまで、ただ単にレイプされるだけで済むことが、運が良いことだとみなされる世界があるとは思ってもいなかった)。私のダニーがこんな掃溜めの世界に身を浸していたと思っただけで、壁に頭を打ち付けたい気持ちになった。そして、彼女ばかりでなく、毎日、そういう世界で生きている他のTガールたちのことにも思いを寄せた。

彼女は最終章をポジティブな言葉で締めくくっていた。第11章「現実の回復」

正直なところ、この章を書くことは予想していませんでした。現実世界では、ハッピーエンドはめったにないことなので。実際、ここで書くこともハッピーエンドとは言えません。ですが、私にはかすかに希望の光が見えたのです。それは、最も考えられない場所と時に起きました。複数で肉体を絡めあっていた真っ最中に起きたのです。その、体を絡めあっていた者たちの中の2人は、以前、お互いの体を触れ合った仲でした。その2人の触れ合いは、やがて愛撫に変わり、キスを生み出し、実際には決して息絶えたわけではなかった欲望を互いの体と心に再燃させました。涙を流させ、トラウマを生み出した出来事があったにもかかわらず・・・

・・・あの人と一緒に暮らした魔法のような日々。その頃は、肉体の欲望とは、互いへの愛、信頼、信念から生まれるものでした。性的な妄想は、現実の愛に裏付けられたものとして存在し、両者はまったく同一のものでした。・・・そして、あの時、もし、その気になって試してみたら、ひょっとして、そのような状態に再び戻れるかもしれない。と、そんな希望の光が見えたのです。そのような状態に戻ろうとする試みに、今の自分は、どれだけ自分を捧げられるだろうか? どれだけ自分を危険に晒す覚悟ができてるだろうか? 幸せになるということは、どれだけの価値があるものだろうか?

木曜の夜、私はこれらの言葉を読み終えた。この言葉にどれだけ気持ちが高ぶったことか。ひょっとすると、本当にハッピーエンドが可能になるかもしれない。そう感じた。そして、私は、高揚した気分のままエピローグを読んだ。

セリーヌ・ダルシーは、4月の暖かい午後、エイズの副作用で、この世を去りました。闘病期間は長くはなく、その点では幸いでした。26歳という年齢では、そういうケースは多くないので。病院の窓から差し込む陽の光は、彼女の体を温めましたが、遠い昔に彼女と別れた恋人たちに抱かれても、彼女の体は温かさを取り戻すことはできませんでした。セリーヌの友人たちが何人か見舞いに訪れました。やがて自分たちにも訪れるかもしれない死の影に直面できるだけの強い精神力を持った人々です。セリーヌの家族もいました。もっとも、私のことを彼女の「家族」に入れてくれるなら、という話ですが。幸い、セリーヌは私のことを家族と思っていてくれたようです。私とセリーヌのそれぞれの理由は何であれ、共に他に身寄りがいないとき、私たち2人は家族となっていました。このことで私は、愛してくれる人がいるという特別な立場にいることを感じることができました。家族とは、まさにそういう存在に他ならないのではないでしょうか? セリーヌも同じように感じてくれていたと願っています。そして、この本は、彼女の残した唯一の遺産でもあるのです。

私は、泣き続け、そのまま午前3時ごろに眠りについた。金曜日、私は病欠の電話を会社に入れた。土日をかけて、私は最初から本を読み返した。

ダニーの本は大ヒットを飛ばし、しかも長期にわたってベストセラーの位置を保ち続けた。何本もトークショーに出演していた。彼女のような立場の人を励まし、同情するインタビューアもいたが、そうでないインタビューアも、ダニーの商業的な成功を気にしてか、少なくとも礼儀は守っていた。それにしても、ダニーは何て美しいの! もちろん以前から美しかったが、一層、磨きがかかったようだった。テレビ局のスタジオの照明の中だと、なお一層、美しく見えた。茶色のスーツとクレープ(参考)のブラウスがよく似合っている。それに、新しく盛り上がった、あの美味しそうなおっぱい!

ダニーによると、この本は、元来、メジャーな男性雑誌向けの自由契約による記事の執筆が始まりだったと言う(ダニーが女性化する前に言っていた『大きなプロジェクト』とはこのことだったに違いない)。ダニーは、この仕事に特に惹かれたらしい。思い出すと、このTガールたちの世界に、身内意識すら感じていたと言う。だが、この仕事をつかまえることができ、運が良いと感じたものの、Tガールの世界は、外部者、特に男性に対して閉鎖的であることで悪名が高かった。執筆する話に正当性を持たせられるほど、この世界の人々に近づくにはどうしたら良いか、ダニーには分からなかった。ちょうどその頃、神の意思が働いたのか、ダニーの前に人生で最も愛する人物の形できっかけが出現した。私のことを言っているのだろう。そして、信じられない事態が連続し、ダニーは、易々と、このTガールという世界への入門を果たせたと言う。そして、男性のままだったら決して獲得できないユニークな視点を持ってTガールの世界を観察できるようになった、と。

記事の仕事にのめりこめばのめりこむほど、ダニーは、たった2500語の記事では、この世界を正しく描くことができないと感じるようになったらしい。そこでダニーは、書きかけの原稿を手に、雑誌社に行き、雑誌記事の執筆の契約は破棄し、替わりに本の執筆に切り替えてもらえるよう、交渉した。そして、ダニーは、他のTガールたちの話に加えて、自分自身の話を、詳しく描くことが可能になったという。

いくつかのトーク・ショーでダニーが語っていたことだが、このあたりの事情に関して、一つユーモラスな出来事があった。彼女が、今度は、女性として、雑誌社の本社に行ったときのいきさつである。ダニーが雑誌社に行くと、そのときの受付は勘違いし、間違って、ダニーを、グラビアを飾るモデルのオーディションを行う部屋へと案内したのである。実際、最初の撮影が済むまで、この「間違い」には誰も気付かなかったらしい。後日、この話を聞いた出版部は、ダニーをもう一度、撮影部に行かせた。出版される本の宣伝に利用するためである。

あるトークショーで、女性インタビューアーが、ダニー自身の変身について、突っ込んだ質問をした。

「ダニエルさんは、前に、ご自身がトランスジェンダーになっていなかったら、このトランスジェンダーのコミュニティには近づけなかっただろうとおっしゃいましたよね? ということは、あなたは、特に、この本を書くために変身なさったということでしょうか?」

「いいえ、もちろん違います。正直、私が女性化を始めたときには、この話を書くことなど、考えてもいませんでした。こういう欲求は前からずっと抱いていたのです。ただ、現実世界での自分の存在や他者との関係を台無しにしてしまうのではないかとの不安から、実際には行動に移していなかった。私の変身は、私と彼女という、2人の大人の間の、同意を踏まえた、性に関する実験から始まり、そこから開花したのです。彼女は、その実験を止めたいと思わなかったし、私も同じ考えでした。それによってTガールのコミュニティに加わることができるようになったわけですが、それは嬉しいオマケにすぎません。変身したことについても、この世界に加わったことについても、私はまったく後悔していないのです」

「あなたの変身は、あなたが人生で最も愛している人物によってもたらされたとお書きになっていますよね? その人とは、あなたの奥様なのでしょう?」

「実際は、彼女は私が彼女の妻であるとみなしていますが」

「その方は、・・・何と言うか、あなたより男性的なのですか?」

「いえ、全然。彼女なら、雑誌のグラビアも飾れます。私なんかは、そういう風になれたらと夢に思うことしかできません。彼女と一緒だった頃、私は、世界中の人に彼女の美しさを見て欲しいと思いましたし、一緒にいられることで私はなんて運が良いのだろうと思っていました。彼女の身元を明らかにしない理由は、私が彼女のプライバシーを尊重しているから、ただそれだけです」

「わーお! あなたの変身の話題に戻りますが、彼女も喜んでいましたか? つまり、彼女は、女性になったあなたといて楽しんでいたのでしょうか?」

ダニーはにっこり微笑んだ。

「一晩に、数回も」

インタビューアもにやりとした。

「お2人が別れてしまった原因は、もっと普通のカップルについて別れてしまう原因と、どのような点で、異なるのでしょうか?」

「異なるところはまったくありません。私たちのことを人々がどう見ているかに関わらず、私と彼女は、他の人々とまったく同じ、個人的・社会的プレッシャーを受けました。私たちが別れた原因は、残念ながらと言うか、幸いにもと言うか、どの別れたカップルにも共通したものだったのです。どのカップルも、別れるときには別れてしまうのです。ジェンダーの問題とは関係なく」

「どうしても目に入ってしまうのですが、あなたはまだ結婚指輪をはめていらっしゃいますね? 離婚したわけではないのですか?」

「いいえ。正式には、私たちは別居しているだけです。ただし、彼女が、最近、何か、私が知らない行動を起こしていたら話は別ですが」

「ということは、寄りを戻すチャンスもあるわけですね?」

ダニーは再び微笑んだ。内省的な表情に変わった。

「別れた最初は、よりを戻すなど、ありえないと思っていました。その後、私は仕事、つまり、この本のことですが、これに没頭しました。そして、この仕事を通じて、非常に多くの人々を見たのです。心が空ろな人々、痛ましい人々、自分をあるがままの本来の姿で受け入れてくれる人が誰もいない人々のことです。私は、自分が置かれていた境遇を振り返りました。そして、私の過去の境遇がいかに素晴らしかったかを改めて理解したのです。ずいぶん考えました。やがて、私は、別れることになってしまった出来事のことを、何というか、取るに足らないこととまでは言いませんが、もはや、そんなに重要なこととも思えなくなったのです。その頃、ある出来事がありました。2ヶ月ほど前の夜のことです。・・・まあ、詳しくは言いませんが、ただ、明るいきざしが見えて来たとだけ言っておきましょう」

「最近、その人と話しをしましたか?」

「ええ。少し前、偶然、再会しました。本当に久しぶりだったので、嬉しかった。その時、私がそもそもどうして最初に彼女のことを好きになったのか、それを思い出しました」

「もし、その人がこの場にいたら、どんなことを伝えますか?」

「彼女が私にとって依然として最愛の人であると言いたいです。これまでもそうだったし、今後も変らないでしょう。まだ結婚指輪をつけている理由も、それです」

「彼女のほうはどうでしょう? もしここにいたら、その人はあなたに何と言うでしょう?」

「私が言えることではないと思います」

「・・・私なら、こう言うわ・・・」と泣きながら見ていた。「家に帰って来て! 愛しているの! これまでも、これからも!」 テレビに向かって叫んでいた。

「彼女には電話をするつもりですか?」

「多分、私の準備が整ったら。恐らく、この本の宣伝のためのツアーが終わった後・・・」

「ありがとう。ダニエル・デベロウさんでした」

本のツアー?

私は出版社のウェブ・サイトにアクセスし、調べた。1週間後、彼女がここに来る!

***

サイン会は3時に始まった。彼女が、列に並ぶ私を見たかどうかは分からない。書店には、時刻より早く来た。早すぎたと思ったのだが、すでに40人近くの人が列を作って、ダニーと彼女の随行員が現れるのを待っていた。やがて、私の後ろには100人以上の人が並んでいた。皆、「生粋の地元出身の有名人」に本にサインをしてもらおうと思っている。男性の中には、ダニーのグラビアが載っている雑誌を持っている者も何人かいた。グラビアに彼女のサインをしてもらい、歴史的なグラビア写真にしてもらおうと思っているのだろう。

ダニーは、私の順番が来て、本を差し出したときに、目だった反応をしたりはしなかった。メディア関係者がいたので、彼女は私のことを彼らに知らせたくなかったのだと思う。そのときですら、彼女は私のプライバシーを優先してくれた。私を見て、普段よりちょっと目を輝かせたし、笑みも、他のときより、大きかったと思う。とても巧みに、私たちの再会を隠してくれた。ダニーは、私が出した本の替わりに、膝の上に載せていた本を出して、それにサインをして渡してくれたが、それに気づいた人は、私以外にいなかったと思う。

彼女が用意しておいてくれた特別な本。それを見てみたいという衝動を押し殺しながら、会場の書店から出た。歩道に出て、本を見てみた。表紙の裏、びっしりと言葉が書かれていた。その言葉を読み出した私は、歩道の真ん中で、凍りついたように立ち止まってしまった。

クリスティンへ

あなたは、これまでも、今も、そしてこれからも、私の最愛の人です。あなたと分かち合う喜びに匹敵する喜びはありません。あなたの元を離れた、あの夜は、何にも増して悲しく、苦痛に満ちた夜でした。あの夜以来、私が受け、耐えてきた出来事よりも悲し句、苦しい。あなたのこと、あなたと私たちのことを、切望と後悔を持って考えない日は、一日もありませんでした。あなたの触れる手、暖かさ、寄り添っているという実感が失われたことを悲しまない夜も、ありませんでした。

この本に書かれている通り、色々なことが私の人生に起きました。その出来事のいくつかは、私たちがまだ一緒だった頃に起きたことです。それは、あなたの想像力、創造力、情熱、私への愛がなければ、一つも起こらなかったことでしょう。あなたが私にしてくれたことが、心の点でも体の点でも、私に良い結果をもたらしたと思っています。Tガールとして、美しく変身できたし、心も充足しています。この自己評価に、世の中のすべての人が同意してくれるわけではないとは思いますが、誰も、すべての人が認める存在になることはできません。理想の状態に近づこうと最善を尽くした結果の、今の自分。私は、それに満足すべきでしょうし、それで良いと思っています。以前は、あなたにとって最もよい存在になれたらと願ったこともありました。でも、今は、そうは思っていません。とにかく、今の自分に至るのに助力してくれたことに感謝しています。

あなたを愛さなくなったことは一度もありません。ですが、あなたを信じなくなったことはあります。恐らく、私は間違ったことをしたのでしょう。あなたは、気ままに行う不実の行為について、私にいつも正直に話していました。他の人なら、おそらく、隠そうとすることなのに。私は、その点を含めて、あなたを受け入れました。でも、そのときの私は、他の多くの人と同じく、愚かにも、そのうちあなたを「変える」ことができると思っていたのです。実際は、あなたが私を変えた・・・良い方向にとは思いますが。ただ、例外的に、悪い方向へ私が変わった部分もありました。それは、過剰に反応する、女性的な感情でした・・・ネガティブな意味での女性的な感情。あの夜、私は、その感情が自分の中に生まれていること発見したのです。あなたがロン・ランドールと一緒にいるところを目撃した、あの夜に。

実際は、ロン・ランドールが、フライデイーズであなたに初めて誘いをかけたときにすでに、私は初めて嫉妬の痛みを感じていました。あの夜、家に戻った後、何が起きたか覚えていますか? 私は、あなたが彼のことをすべて忘れてしまうようにと、一生懸命に努力しました。でも、もちろん、あなたは、忘れてくれませんでしたね。そして、家に戻ったとき、私はあなたが彼とセックスしているのを見てしまったのです。私たちのベッドの上で。人生で、このときほど、裏切られた気持ちになったことはありませんでした。ああ・・・どんなに復讐したいと思ったことか。事実、私も、同じことをしました。レクシと寝たし、グウェンとも寝ました。そして、そのことをあなたが知ったとき、私は小躍りして喜んだのです。

しかし、あの夜に本当に起きたことを知ったとき、私はショックで死にそうになりました。私は、いまだに、あの夜、あなたが私を交えずに彼らを家に招いたことを不愉快に思っています。それでも、あのようなことが、あなたの身に起きることを願ったりはしないでしょう。あなたばかりでなく、私たちが知ってる、他の誰の身にも。

エスコートクラブの世界に入ったわけは、そこが、私が書く女の子たちの社会構造に密接に関係しているからです。彼女たちのことを理解したいと思ったなら、まず、その世界のことを理解しなければならない。それに隠れた動機もありました。ある意味、あなたに仕返しをしていると思いながら、デート嬢の仕事をしていました。男性が相手のときが大半ですが、女性が相手のときもありました。

エスコートの仕事の大半は、きわめて機械的と言えます。たいてい、デートをしても、魅力的に感じるところは、まったくありませんでした。ただ、お金を受け取り、客が望むことをしてあげるだけ。それでも、その仕事には、何か麻薬的に惹きつける点があるのも事実です。それをするときの、客の目に浮かぶ表情が、それです。私の体や奉仕を得られるなら、喜んでお金を払いたい、それだけ私のことが欲しいのだと叫んでいる表情。もし、あのままデート嬢の仕事を続けていたら、やがて、他の女の子たちと同様に、薬物中毒になってしまうか、心の中が死んだ状態になっていたことでしょう。幸い、私は、その仕事を辞めました。そして、いま思っているように感じていることを残念には思っていません。

時々、セックスの点で、本当に素敵と言える男性に会うことがありました。私がその男性をいかせるだけでなく、私にも喜びを与え、いかしてくれる男性です。そういう男性は、私が勤めていたクラブで、自然に知り合った男性であることが普通です(あの夜、ゴーサムで私と一緒にいた男性も、そういう男性の一人です)。男性が現れ、その人が瞳にあの表情を浮かべる。ズボンの前が盛り上がっている。その盛り上がりを私が引き起こしているのだと知る。それらのことがあると、私は、その男性を喜ばせて上げなければならないと思ってしまうのです。そういう時、その後、その男性とどこかに行き、彼のズボンを脱がし、そして、初めて、その美しいペニスに触れる・・・。ああ、考えただけで、濡れてきます。こんなことを言って、多淫に聞えるのは分かりますが、でも、今は前より、私は、あなたのことを分かっているつもりです。

セリーヌとは寝たことはありません。でも、そういう欲望が生まれなかったからではありません。彼女は、私に許してくれなかったのです。その理由は、後になるまで知りませんでした。彼女については、言いたいことを言って良いと思います。でも、一旦、彼女の「あの態度」のことをやり過ごせば、セリーヌは、私が会った中で、最も洗練され、優しい人間であると分かるはずです。実際、セリーヌは、よく、私にあなたのことを話してくれました。私の目には、セリーヌを失うことは、あなたが死ぬところを見るのと同じです。ひどく悲しみましたし、それは今も変わりません。

あなたの誕生日に、ゴーサムであなたを見たとき、そして、あの特別な妄想をあなたと一緒に分かち合ったとき、私は、あなたを欠いた人生が、いかに虚しいかを悟りました。あなたの元を離れることになった、あの出来事のことは忘れることができません。それは、あなたが、あの日以来、私がしてきたことを忘れることができないのと同じでしょう。私たちにとって最善のことは、出来事を忘れることではなく、出来事が大きな意味を持つとは考えないことだと思います。あなたは私を今の私にしてくれた。あらゆる意味で。その過程で、あなたは、あなた自身と私を強くしてくれたのです。多分、小さな危険信号が現れても、簡単には崩れないほど、私たちは強くなっているでしょう。私はまだ結婚指輪をつけています。それを誇りにしています。かつて、クッキーに「これは永遠」と書かれていたのがありました。私の一番大きな間違いであり、後悔は、その言葉を真に受けなかったことです。少し時間をかけて考えたなら、その過ちすらも直せると思えるのです。

愛を込めて

ダニー

私は、声を上げて泣きじゃくっていたと思った。実際は、違ったけれど。彼女は、この言葉をつむぎだすのに、どれだけ時間をかけたのだろう? でも、私は何を言ってるの? ダニーはプロのライターだし、今は作家でもあるの。しかも、すごく優れた作家。彼女は、多分、さっと一気に、これを書いたのだろう。少し時間をかける? 必要なだけ時間をかけて。私、待っているから。

涙のあまり、タイトルのページにポスト・イットが張ってあるのを見落とすところだった。走り書きしてある。

ここは5時には終ります。その後、オマリーの店に! 妄想を分かち合いたいと思わない? Dより


おわり
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