「裏切り」 第8章 首を絞める縄 Betrayed Ch. 08: The Noose Tightens by AngelCherysse Source 1234567
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これまでのあらすじ

ランスは、妻のスーザンとジェフの浮気を知りショックを受ける。ジェフがシーメール・クラブの常連だったのを突き止めた彼はそこでダイアナと知り合い、彼女に犯されてしまう。だが、それは彼の隠れた本性に開眼させる経験でもあった。1週間後、ランスは再びダイアナと会い女装の手ほどきを受け、愛しあう。ランスはダイアナが奔放に男遊びを繰り返すことに馴染めずにいた。そんなある日、会社の美人秘書アンジーに正体を見透かされる。そしてアンジーに誘われるままリサの姿でレストランに行くと、そこには会社の上司であるジムとロブがいた。そこでリサは自分が昇格したこと、およびランス=リサであることがバレていることを知らされる。リサはショックを受けたものの、本来の自分に忠実にアンジー、ロブ、ジムと4人プレーをして燃える。

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すでに言っていたかもしれないが、何もかもが急速に進展していた。

ランス・レイトンが新しく得た権利を行使し、早速、会社から出て行ったと聞いても、驚いた社員は誰もいなかった。ランスと同じような結果を出したいと願わない社員は一人もいないだろう。

噂が急速に広がった。

いわく、ランスは自分の会社を興したとか、アルバに新しい家を建て、自宅でインターネットを使ってトレーディングをしているとか、妻との問題で打ちのめされ、もうこの業界から手を引いてキーウェストでチャーター船を運営しているとか、すっかりマイケル・ジャクソン状態になっていて、財産を増やしつつも、世間から隠れてひっそり暮らしているとか(個人的には、チャーター船の噂がお気に入り)。

ランスが退社したことを受けて、ロブとジムが外部に打診し、新しい副社長を採用したと聞いても驚いた社員はいなかった。リサ・レインという人物が高評価で推薦され、新しく副社長の地位についた。

噂によると、リサとランスは大学時代クラスメートで、ファイナンス関係の講座でトップを競いあった仲らしい。ふたりともトレーディングの業界に進んだという。退社したランス・レイトン氏によると、リサもかなり有能なトレーダーとのことだ。ランスは退社に際して、自分の代わりになる最適の人物としてリサの名前を出した。重役であるジムとロブは独自に副社長候補を考えていたが、ランスの判断を尊重し、リサに仕事をオファーした。そして、リサはそれを快く引き受けたと言う。

この偽情報を考え出したのはアンジーである。彼女は自慢げにこの作り話を考え出し、そして積極的に広めた。このような動きの真の目的は、会社のトレード部門の再編にあった。トレード部門は「戦略的トレーダー・グループ」に装いを変えられ、その指揮に当たるのが新しい副社長(つまり私)なのである。

もうひとつ噂が急速に広まった。これは仕組まれた噂ではなく自然発生的に出てきた噂。新しい重役が「超美人だ」という噂。

この噂が出てきたのは、おそらく会社の配送部から。私はこの会社に「配送部」があることすら知らなかった。多分、管理部に3人か4人ほど無理やり動員がかかっただけだと思う。ともかく、ガレージに行って、リサ・レインの到着したばかりの私物をカートに乗せ、エレベータで最上階に移動し、彼女の新しいオフィスに配送したと、そういうことなのだろうと思う。

リサと彼女の個人秘書であるアンジーが、その荷物の点検をするためにオフィスにいた。男たちはアンジーのことはすでに知っていたが、その場にいたもう一人の女性であるリサ・レインの姿を見て、圧倒されたのかもしれない。

会長と社長からリサを歓迎するメモが回覧されたこともあり、会社の誰もが、疑うこともせず新しい副社長を受け入れた。誰も疑うことはしなかったが、予想に反した美人度に自分の目を疑う人はたくさんいた。

それが水曜日の午前の話し。

「外部から採用された」という設定を守り、私の正体がばれないようにするため、アンジーと二人で火曜日の夜に元のオフィスに行って私物をすべて箱詰めし、あのカートが置いてあるガレージに持って行っておいたのである。

人事部はロブからメモを受け取った後、素早く新副社長の採用関係の書類をまとめた。正直、私の社会保険番号をどうやって用意したのか分からない。アンジーに訊いたら、今は知らないのが一番と言っていた。と言うことは、何かよからぬ手段で入手したのかも。インターネットで購入したとか。

火曜日の午後、私はアンジーと買い物に出かけた。私の新しい服を買いに。「重役の特典」のひとつは、服装について潤沢に費用を出してくれることだった。しかも、とても簡単な手続きで費用を出してくれる。

購入した衣装はとても上品なものだった。ええ、正確には「大部分は上品なもの」というべきかも。ともあれ、私は今は副社長なのだから。

服の選択にはアンジーにも手伝ってもらった。当然、嬉しいほど女性的なものも含まれている。例えば……スラックスやパンストなどはナシ、といった感じで。

どういうわけか、衣装費の一部は「余暇のための服」にも向けられていて、新しいコルセットとか、その他のちょっとした「余分なもの」にも使われていた。ハア……、ビジネスをやっていくのにしなければいけないことがたくさんあって、溜息がでちゃう。

自宅の方について言うと、アンジーは、ランスの服や靴や下着を全部箱に詰めて、リサの服飾のためのスペースを作った。彼女はランスの服飾類を全部、身障者のための慈善団体に贈るよう取り計らった。でも、私はアンジーに、重役秘書はそんな仕事に気を使うものではないのよと伝えた。私が人を手配して、配達させるからと。実際、私はその通りにし、ランスの服飾類をノース・クラーク通りの貸し倉庫に運ばせた。「リサ」関係のことが上手くいかなくなった場合に備えて…

こういう「女の子っぽいこと」のいろいろには驚かされっぱなしだった。子供時代も、私はこの「女の子っぽいこと」のいろいろに、今と同じく目を見張っていたのだけど、でも、成長するにつれて、その気持ちをずっと無視してきたのだと思う。その子供のころ抱いていた「女の子っぽいこと」についての驚きと感動と情熱が、長い間休眠中だった種のように、今になってわっと芽を出し、根を張り始めたのだった。

自分が本当は好きになるものだと気づかなかったのに、突然、心から大好きなものだったと発見し、いったんそうなったら、いくら追い求めても飽きが来ない。そういうものになっていった。チョコレート・サンデー(参考)を食べたくなる衝動のような感じ。もちろん、高カロリーはだめだけど。

ちなみにアンジーはチョコレート・サンデーが大好き。アンジーには、彼女ととてもたくさん共通点があるガールフレンドがいる。そのガールフレンドがアンジーの上司でもあって、今、彼女の勤務評定を書いているというのも、偶然かしら。さらに、そのガールフレンドはアンジーの×××でもあって……。何を言ってるか分かると思うけど。

ダイアナは私のことについて、これ以上ないほど喜んでいた。今は、「リサ」が週に7日、毎日24時間いることになったので、彼女は私に「処置」をしたらと盛んに勧めている。

私も、してしまいたいとは思うけど、そうすることによって、今のこの新しい変わったライフスタイルから元の生活に「後戻りできない」ことになるわけで、そこのところで悩んでいた。本当に自分はそうする心づもりができているのかしら?

私はその場の言い逃れとして、「例のショーまで13週間しかないけど、それまでにできる?」と訊いた。それに対してダイアナは、「ええ、急げばね」と答えた。

ダイアナは、あの「昇任祝いパーティ」の件については、意外なほど理解があった。彼女は、自分が欲しいものを手に入れるためにセックスを使うことを全然恥じていない。私がしたことも、それと違いはないと考えている。「それは、新しいオトコを漁りに出かけたのとは質が違うから」と。

私としては彼女の言う質の違いが良く分からず、「その新しいオトコの方が私を漁りに来たのかもしれなく、結局、同じことのような気がするけど」とは指摘したけど。でも、まあ、私はそういうダイアナが好きだし、その件はそれで片付いた。

ともあれダイアナは、私があのパーティの後、すぐにタクシーに乗り、彼女のところに来て全部話したのを知り、「そんなに私のことを気にかけてくれていたの?」 と驚いていた。普通だったら、時間を置いてから話すか、それとも隠したままにしておくかもしれないのに、私がすぐにすべて話したことに圧倒されていたようだった。

「私の考え方や感情のことをこんなにも思いやってくれる人は、あなたが初めて…」

ダイアナはそう言って、再び泣き始めた。私は彼女の涙を乾かすために斬新な方法を考えなければならなかったけれど、その努力のおかげで、ダイアナの啜り泣きを、至福の喜びを伝える絶叫に変えることができた。

ダイアナについていろいろ知ったつもりだけど、それでも依然として彼女は謎の存在だと感じていた。彼女が言葉にすることが謎ではなく、言葉にしないことが謎だった。

この印象、前にも抱いたことがあった。ダイアナは何かを隠している。

リンガーズに行って、チャンタルや他の女の子たちにそのことを話してみた。そして、ダイアナは、ああいう女の子たちの大半がそうだけれども、傷つけられるのを防ぐため、友だちも含めて誰にでも深入りしない人なのだと知った。彼女たちの世界では、身体的な痛みも精神的な痛みも、どちらの痛みも日常的にあるのである。私は、ダイアナがいまだに私に隠していることが何であるか分からなかった。できれば、それは私たちの関係を傷つけるものでないといいのだけど、と期待することしかできなかった。

***

私の離婚弁護士が木曜の朝に電話をくれた。スーザンへの離婚訴訟を開始した時、弁護士と私との連絡は、会社の交換機を通してではなく、私の携帯電話を通して行うよう指定した。今は「リサ」も自分の携帯電話を持っているけど、私は、まさにこのために元々の携帯電話を保持していた。アンジーのことはとても尊敬しているけど、そしてそれゆえに、私自身の「汚れた洗濯物」をアンジーにも、会社の他の誰にも知られたくなかったから。今から思うと、私は先見の明があったと喜んでいる。

その弁護士は調査士を使って、多くのことが説明できる情報の金脈を探り当てていた。

まず、ジェフ・スペンサーには大きなギャンブル問題を抱えているということ。「何百万ドルのスター選手」とは言われつつも、ギャンブルの胴元にかなりの借金をしているらしい。スーザンは経済面で彼の面倒を見てきているのだが、スター選手にふさわしい生活を見せかけるために、今は彼女も借金の限界まできているようだ。どうりでスーザンは私に戻ってきてほしいと言うわけだ!

で、スーザンはどんな策略を使おうとしているのだろうか? 私と生活しながら、愛人を支えるためにこっそりと私からカネを吸い上げる? それとも、「大変な間違いをしていたの。全部、私のせいよ。だから私を許して?」と言って、ゴミ収集に出すように、あのクオーターバック選手を捨て去る? だけど、スーザンは、ジェフを捨てたとしても、また新しいカラダを求めて漁り始めるまで、どのくらい我慢するだろう? もう、まっぴらだ。

もうひとつ、気になる展開があった。電話の傍受により、ジェフと、おそらく女性と思われる別の人との間で怪しい行動パターンがあることが分かった。最初、調査士は、ジェフにはスーザンの知らない愛人がいて、そのうちの一人だろうと考えた。しかし、傍受した通話の録音によると、ジェフはある種の罠を仕掛けているらしく、しかもその罠のターゲットは私だということが分かった。

明らかに、その罠の意図は、公の場で、私の個人的な評判を落とすことにあり、それによりスーザンが「公然で悪質な不貞」(参考)との私の主張をかわし、私からカネを巻き上げることを可能にする目的なのだろう。

現時点では、この策略にスーザンが絡んでいるかどうかは分からない。録音にはスーザンの声が一度も現れなかったからである。通話は、プリペードの使い捨て携帯電話を通じて行われており、調査士は発信元を突きとめられなかった。

いま、調査士は携帯電話会社の記録を入手しようとしているところである。それがあれば、通話を扱ったアンテナが確定でき、少なくとも、この人物が地理的にどこにいるかを割り出すことができる。

一方、弁護士は私に、仕事の上でも私生活でも細心の注意を払うようにと警告している。法的にまずいことになりそうな行動にかかわらないようにと。もっと大切なことは公的な評判を落とすような行動は慎むようにと。

ああ、とうとう言われてしまった!

これは陰謀論者の甘い夢ではあるが、こういう話も考えられると思う。ジェフが接触している人は「女性と思われる」人物だった。最近、私の人生には「女性」が新たにたくさん関わってきている。その大半は、仮に公にされたら私の目の前で確実に大爆発を起こすことになる方向へ私を追いやるのに夢中になる人たちと言える。

そういった方向は、実際、会社組織的にも確定されたばかりだ。つまり、「ランス」は職場を去り、代わりに「リサ」が重役に就任したのである。その措置を夢中になって推進したのはアンジーだった。アンジーは、いわば脅迫して私をその方向へと追いやった。

それに、ダイアナについても、私にそれはやめておいた方がよいと説得したわけではなかったし、リンガーズの女の子たちも同じだった。

もっと言えば、ダイアナというゴージャスなTガールと会うようになったのは、まさに彼女がジェフと「デート」したからというのが理由だった。ついでに言えば、仮にスーザンが、私が別れようとしていることに仕返しをしようとしてるとして、その目的にとっては、私がダイアナと付き合っているというのは、まさにうってつけのシチュエーションになるだろう。もっとも、私がスーザンと別れるそもそもの原因はスーザン自身が作ったのではあるが。

陰謀をたくらんでいる者は、なにもジェフとそのある女性だけに限られるわけでない。ふたりは氷山の一角かもしれない。

会社も、つまりロブとジムも絡んでるかもしれない。ロブとジムは、今の顧客や見込みのある顧客、政治家、その他の著名人をもてなすためにソルジャー・フィールド(参考)のボックス席を借りている。当然、彼らはジェフが属しているチームの経営陣と仲が良いし、社交の席では選手担当の人事部とも顔見知りになっている。ロブとジムが、チームのスター選手であるジェフ・スペンサーと面識があるはずだ。ひょっとすると、ロブやジムも含めて全員グルということもあるのか?

会社は、スーザンとの離婚の件に関して、ずっと私を支援してくれてきた。大変な労力を払ってきてくれた。でも、それを額面通りに受け取ってよいのだろうか? 世の中、カネがモノを言う。でも、私のカネはどうだろう? 仕事を通じて、私が会社にもたらしたおカネは? そのカネの方がチームから得るカネより強いと言えただろうか?

「チームから得るカネ」と言ったのは、ロブとジムは、ジェフというクオーターバックの品行によって利害の点で実質的な影響が出るから。ふたりは、スキャンダルとなる可能性のある問題でジェフを糾弾するなどしないだろう。そんなことをすれば、チームにとってもアメフト界全体にとっても世間的評判の関係で汚点を残すことになるからだ。だけど、仮に「投資対象」であるジェフを経済的に助けつつ、スキャンダル報道を別の人物、つまり私へ向けさせることができるとしたら、ロブとジムはその可能性に飛びつくのではないだろうか? 私は誰を信用したらよいのだろう? 多分、決まり文句の通り、誰も信用するな、ということなのだろう。

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「!Que Diga! [何を言ってるの] どういうこと? ファッションショーって。私に隠し事をしているの?」

「アンジー、そんな大ごとじゃないと思うけど」 返事しながら、恥ずかしかった。「そのために、毎日コルセットをつけてるの。ポールが体形トレーニングをする必要があると言うから…」

「何ですって!」 アンジーは大声を上げた。「コルセット作りのポール・C? 彼があなたにモデルになってほしいと? 私なんか、彼に会っただけで死んでしまうかも。ましてや、彼のためにファッションショーに出るなんて。あなたと私は永遠に別の道を歩くみたい」

「アンジー、あなたを紹介してもいいわよ。正直に言うと、彼のモデルとしてはあなたの方が完璧だと思う。私なんかよりずっと」

「どういうこと? 『私なんかよりずっと』って。あなたの方が素敵なのに」

「ええ、でも、あなたの方がそれにあった身体をしているわ。私にはその身体がないもの。客観的に見て、私の身体はあなたのように恵まれていない。ポールが作るものの多くは、デミカップか、カップがないものばかり。そういうのを着るには、ハリウッドの特殊効果の大物アーティストに納得のいくおっぱいとお尻を作ってもらわなくちゃダメだもの」

「その代わりにシカゴの大物美容整形医師はどう?」 とラテン美女が言った。

まさかアンジーまでも、これを言うとは!

「本当のことを言うと、その件については友だちと話したことがあるの。でも、たった13週しか時間がないし、間にあうとは思わないわ」

「13週?」

そうアンジーは問いかけ、少しした後、目を輝かせた。

「なんてこと!……あなた、ミスター・ゲイ・レザー・ページェントのファッションショーに出るのね? ああ、スゴイ! あれのために、アメリカ全国からもカナダやヨーロッパからもたくさん人が集まるのよ。ゲイ・フェチ関係では最大のイベントだわ。13週なら、今すぐ始めるなら充分な時間よ。すぐにロブに電話して、了解を取るわ。彼なら大喜びで承諾するはず」

「本当にそう思う?」 私はわざと夢中になっているフリをして答えた。「いまから待ちきれない」

何とか気持ちを表に出さずにすませた。幸い、アンジーには悟られなかった。私は自分で何をしているのか分かっているつもりだといいんだけど。そういう気持ちになったのは、何回目だろう?

すでに私は、猫とネズミ、追いつ追われつの危険なゲームを始めたのだ。私は、結果がどうなるにせよ、ただじっと待って、出来事が進行していくのを放置するような人間ではない。そんなことは、先物商品を扱うトレーダーは行わない。私は、私の身に打ちおろされようとしている「ハンマー」の正体が何であり、誰がそれを打ちおろそうとしているのかを、自分で見つけ出す覚悟を決めた。

私のサイドには弁護士と調査士がいる。ふたりには「リサ」については何も明かしていない。少なくとも、今はまだ。弁護士は、私に警告してくれたばかりなだけに、「リサ」のことを明かしたら、心臓発作を起こしてしまうだろう。

マスコミを利用することもできない。公になることこそ、あらゆる犠牲を払っても避けようとしていることだ。もし、この時点で「リサ」の話しが明るみに出たら、陰謀をたくらむ者たちは大喜びで素早く襲いかかり、仕組んだことを達成するだろう。

警察に頼ることもできない。警察は、社会一般よりも、トランスジェンダーに対して虐待的に動くものだから。それはダイアナやリンガーズの女の子たちから充分に学んだことだ。警察からしたら、「リサ・レイン、副社長」は、歴史的ともいえる規模のTガール詐欺と見るだろう。一方で、ジェフ・スペンサーはシカゴに住むマッチョども全員にとってアイドルのような存在である。特に胸にバッジをつけてる者たちにはアイドルだ。私がジェフたちの犯罪的な行為を示すがっちりとした証拠を出さない限り、シカゴ警察は、私ではなくスーザンとジェフの側に立つ可能性が高い。

そういう証拠を手に入れるためには、陰謀を働いている者を表に引きずり出さなければならない。そして、それをするには、何か餌をまく必要がある。釣りをするように。実際、トレーダー業界は、壮大な釣りをする仕事ともいえるが。

大物美容整形医師について、ロブには個人的な知り合いはいなかったが、ジムには知り合いがいた。ジムの別れた妻が、良い医者を知っていて豊胸手術を受けたのである。ロブは太鼓判を押し、ジムは早速、電話を入れた。シカゴは、影響力のある人間なら何でも融通が効く街だし、ロブとジムには影響力がある。まさしくその通り。話しがでた、当日、午後5時。スーペリア通りの病院で診察を受けることになった。

でも、診察を受ける前に、ポールに会わなければと思った。できるだけ早く。

「ランス」であることを辞めた時、メルセデスも手放すことになるかと思っていたけど、そうならなくてよかった。策略は単純。ランスが会社を辞めて、新しい人生を始めると決めた時、彼は「友人」のリサに車を売却したということにしたのである。リサの方も、それまで住んでいたところからシカゴまで車を輸送する手間を省けて喜んだ、と。リサは、何のためらいもなく、社内じゅうの人たちに、以前の車はレクサスだったから、高級なE500スポーツセダン(参考)になって、アップグレードしたわ、と言いまわった。ロジャーズ・パークへ行く道、アンジーはこの高級セダンを絶賛し続けた。彼女は、「重役」生活の役得に嵌まりつつあるのが見て取れた。

ポールは相変わらず礼儀正しかった。彼は、私や、私よりずっと肉体派のアンジーに好色そうな眼差しを向けるにしても、決して上品さを失わない。

「リサ! 本当に素敵ですよ! まさにショーにとってピッタリの人になるはず。で、こちらの魅力的なお連れは?」

「彼女はお友達のアンジー。できれば彼女も使ってもらえるかなあって思ってるところなんだけど…」

「即決です! 彼女も参加! この人にも入ってもらえるとは、運が良いと思っています。すぐにサイズを測りましょう」

「ポール? それとは別の話しがあるんだけど。アンジーとは別の…。何と言ったらよいか、私、ショーに間に合うようにちょっと身体に変化を加えることになったようなの。少なくとも豊胸はして…。たぶん、それ以上になるかも…」

彼の顔に広がった笑みは、見ていてとても嬉しかった。

「素晴らしい! となると、あなたにモデルしてもらう衣装に新しい工夫を加えることになりますね。いろんな可能性がある……」

だけど、ポールは急にうなだれた。

「ああ、ダメだ! 前に測ったサイズで、もう制作を始めてしまってるんだった。まだ、いくつか修正できる段階だけど、あなたの新しいサイズが分かった時には、遅すぎることになってしまう。いまの時点で何か分かること、ない?」

「あ、うーん…」 

私はこのことを考えていなかった。こういうことに入って日が浅すぎるから。そもそも数字を伝えることすらできない。私は部屋を見回し、お手上げのポーズをして見せた。

「私のではどうかしら?」 とアンジーが甘い声で問いかけた。まるで口の中でバターが溶けているような声。

ポールは目を丸くさせた。

「ショーまでに間に合うのですか?」 彼は恭しく尋ねた。

アンジーは私の腕を掴んで、身体を擦り寄せた。

「もう、絶対に!」 アンジーは私に返事をさせることなく、そう言った。

「あなたたちふたりとも同じ身体になる? そのカラダ? ああ、スゴイ! フェチ関係の服飾デザイナーにとって、それってまさに夢がかなった状態ですよ! あなたたちふたりが、ダ、ダ、ダイア…」

「ええ、まさに」 と私も急いで口を出した。「それでうまくいくかしら?」

「うまくいく?」 ポールは唖然として言った。「うまくいくも何も、これまでで最高のショーになりそうですよ。いや、ミスター・ゲイ・レザー・ページェントの歴史で最高のショーになるかも。このショーは私の開催するファッションショーでも一番大きなショーなんです。リサ、あなたは、私のカップに溢れんばかりに注いでくださった(参考)…」

とポールは私とアンジーの胸の谷間に視線を降ろし、にんまりと笑った。

「ありがとう。おふたりとも今日という日を本当に良い日にしてくれた。さあ、早速、アンジーのサイズを測りましょう」

私は、結果的に、ポールがアンジーがいる前で「ダイアナ」の名前を口にするのを遮ったことになったのだけど、これは純粋に反射的に行った行動だった。その時の自分の行動を合理的に説明するとしたら、次の言葉を引用してもよい。「陰謀が働いているときには、分断して征服するのだ。すでに誰を知ってるか、どれだけのことを知ってるかを決して明かしてはいけない」。

実際には何一つ分かっていたわけではなかったけど、ともかく疑わしい人たちを分断化した状態に留めておきたかった。

それに、本当に自分に正直になって言うと、ダイアナとアンジーという私が愛するふたりが互いのことを知ってしまうのを放置し、すでにややこしくなっている私の人生をいっそう複雑にしてしまうのを望まなかったからとも言える。ああ、裏切りって、こうも簡単に始まってしまうのか……。

ポールの店を出て、車に戻る途中、アンジーが私の顔を両手で挟んで、火がついたような熱いキスをした。私は突然の攻撃に、つまずきそうになり、両腕をバタバタさせた。

「これ、何で?」 とやっとの思いで訊いた。

「直ちに10や20は理由を出せるわ。でも、まず最初に、これをしてくれてありがとう」

「これって? まだ何もしてないけど」

アンジーはひるまなかった。「でも、これからすることになるわね。あなたのことよく分かってるもの。絶対にすることになる。あなたの場合、何を始めるにしても、いつも必ず最後までやり遂げる人だわ。大それたことも些細なことも、全部、最後までやり遂げる。今度のも、そのひとつ。あなたのこと愛してるわ!」

その最後の言葉が彼女の唇から出た時、私はたじろいだ。大げさすぎる。ひょっとして、と彼女のことを疑った。

アンジーは、私の疑念を抱いたことを、ためらっているのだと誤解したらしい。身体をギュッと私に押しつけ、誘うように下腹部を私に擦りつけた。そして、また、あの魅惑的なチシャ猫の笑みを浮かべた。

「あなた、私の身体が欲しいのね。そうでしょう? 少なくとも月曜の夜には、そんな印象を私に与えたわよ」

これは、ダイアナと一緒にいるときに経験したのと同じダブル・アンタンドレ(参考)だった。彼女の身体を自分のモノにする。男としてその身体を奪いたいのか、女としてその身体になりたいのか。私が一方を否定したら、彼女はもう一方を否定するだろうか? ダイアナを私のモノにした時、このことがどうしてそんなに重要に感じたのだろう? そもそもダイアナは私のモノになっているのか? それを言うなら、アンジーは私のモノになっているのか? 心の中、警報が鳴り響いた。

「身体のことについてお医者さんに会いに行こう」 と私は溜息まじりに言った。

アンジーは優しくキスをしてくれた。

「絶対あなたはそうすると確信してるわ。とても美味しそうな体つきになるわよ。たぷたぷだけど張りのあるメロンがふたつ。キュッと細い腰、そして丸々と大きなお尻! ちょうど私みたいに!」

確かに、美味しそうだ。

***

ピーター・レーガン医師のオフィスは、元巨大倉庫街の一角にあった。倉庫だったとはいえ、今はずっと高級感を増している。風通しのよいロフト風のオフィスは、全壁面が新たに明るい色に砂吹きし直され、硬材の床や扉は光沢を放ち、椅子やソファは快適そうではあるが、決してひけらかした趣味ではなく、水彩画が壁面に飾られ、金物類は真鍮製で、シダ類の植物の鉢植えがいくつも置かれていた。

天井は高く、配管されたばかりダクトが露出したままになっている。診察所という雰囲気ではなく、まさにリバー・ノース地区(参考)のヤッピーたちが集うバーのような雰囲気だった。私は、心半分、その医者はブッチ・マクガイア(参考)のような顔をしているのではないかと思った。

だが、実際は違った。レーガン医師は30代後半で、身長180センチくらい。濃い茶色の髪はふさふさ、どんな些細なことも見逃さない鋭い瞳、野性的なルックスだけど、笑うと北極海の氷山も溶かすような笑顔になる人だった。

「レインさん、お会いできて嬉しいです」 と彼はよく響く声で言った。「素晴らしい評判を得てるお方のようで」

「評判のことは聞いたことがあります」と私は溜息をつき、少し後悔気味に笑った。「でも、ありがとうございます」

大きな手で握手された。とても優しく握られたけれど、ぎゅっと力を入れて握られたら、骨が砕けてしまうだろうと容易に想像できた。椅子に座るよう勧められて、ほっとした。彼の前にいると、膝ががくがくしてきて、立っているのが辛くなってきたところだったから。

そんな私の心境を彼も一目で見抜いたのを知っている。でも、彼の態度はただ物静かに私のことを称賛するだけに留まっていた。

チラリと彼の手に視線を落とし、指に結婚指輪をしてないことに気づいた。でも、どうして、私はそんなことが気になったのかしら?

「アンジー! またあなたに会えて嬉しいですよ。すべて順調だよね? 君のソレ、とても美しく見えるよ」

私は振り向いてアンジーを見た。そして「あなた、私に隠していたのね?」という顔をして、彼女を見つめた。アンジーはただ苦笑いして、ちょっと肩をすくめてみせた。

「先生、とっても順調よ。これ以上ないほど」 とアンジーは明るい声で答えた。「私のコレについては、ずっと素敵な褒め言葉しかもらってきてないわ。それもあったから、私たち、今日ここに来たの。私のお友達のリサも私のコレをとても愛してくれて、だから彼女……。そうねぇ、あなたから言ってよ、リサ?」

罠なのか? 全然、関係ないことなのか? ともかく、これは私を困った立場に追いたてるようなことではない。とりあえず、甘い言葉で調子を合わせること。この安っぽいドラマで、この調子で引っぱり続けること。悪い連中をうまくなだめて、安心させる。そして、連中が頭を上げてきたら、その時は、どっかーんと!

「私、とても恥ずかしくて、うまく言えないんですが、アンジーの胸にとても魅了されてしまって…だから……彼女のような胸が欲しいんです」

「胸だけ?」 とレーガン医師は興味深そうに訊いた。

それを聞いて、首の付け根から髪の毛の生え際まで顔が火照るのを感じた。アンジーが私の手を握った。

「彼女、とてもシャイなの…こういうことについて、とても恥ずかしがっていて。でも、彼女が言おうとしてることは、全部、欲しいということ。おっぱいも、お尻も、腰も、全部。彼女のウエスト・ラインについては、すでに始めているのよ」

レーガン医師が椅子から立ち上がり、こちらにやってきた。

「ちょっと、いいですか?」 と彼は私の胴体に手を伸ばした。

彼はちょっと腰のあたりを触った。私がコルセットをつけているのを知っても、灰色の瞳をちょっと輝かせ、口元に笑みを浮かべただけだった。

「すでに素晴らしい評判を得ているのに加えて、変身も順調のようですね。そもそも、最初から良い体つきをしているようです。ちょっとマイクロレベルで脂肪吸出をして、変身の過程をお手伝いできると思いますよ。本気で砂時計の身体が欲しいのでしたら、肋骨の一部を取り除くという選択肢もあります。それに、お鼻のこのあたりをちょっと削るのもいいかも…」

と言いながら彼は指で私の鼻に触れた。

「…そうすると、もっと可憐なお顔になりますね。それに目元を少しだけ引き上げると、さらにエキゾチックな雰囲気も出てくるでしょう。もちろん、気管も削って…」

と彼は2本の指で喉のところを触れた。

「…この見苦しい出っ張りもなくせます。それらすべてを一回の手術でできますよ。術後1週間で仕事に戻れますし、4週間でほぼ完治状態になります」

「…素晴らしいわ」 と私はためらいがちに言い、自分から話しの方向を次の話題に導いた。「でも、胸は? 胸と他のところは?」

レーガン医師は顔を輝かせながら、デスクにお尻を乗せた。そして、私をなだめるような調子で囁いた。

「もし私にちょっとだけでも信頼を置いていただけるならの話しですが、まさにその点に良いお知らせがあるのです。実は、私は、ワクワクするような新しい身体増強治療の臨床研究に参加しています。パーマ・プラストと呼ばれる新しい方法で、この方法が軌道に乗れば、伝統的な豊胸方法など時代遅れになることでしょう…

「…私はあなたの身体を、あなたが望むどんなプロポーションにも改造できるのです。切開手術は行いません。それゆえ、傷跡も残らなければ、長期にわたる術後の回復もないのです。伝統的な切開手術を行った場合、比ゆ的にも文字通りにも、どんな苦痛があるか。それはアンジーが答えてくれるでしょう」

「素晴らしいことのように聞こえるけど…」と、私は防御的に控え目に返事した。「手術なしで豊胸? いったいどうすればそんなことができるのですか?」

「簡単なことです。増強したいと思う部分に直接パーマ・プラストを注入するのです。これは周囲の組織にくっついて、自分自身の細胞間質を作りだすのです。身体の元々の細胞を物真似する形で。伝統的なシリコンとは異なって、パーマ・プラストは化学的にも生物学的にも不活性です。だから、身体の防御機構を発動させたりしないし、自己免疫に対して長期的にダメージを与えることもありません…

「パーマ・プラストには2つのタイプがあります。ひとつは硬質の組織を刺激するもの。骨が典型例ですね。もうひとつは柔らかい組織を刺激します。最初のタイプを使って、あなたの頬骨と腰帯や下肢帯を増強します。それによりアンジーのようなヒップになれるでしょう。ふたつ目のタイプのを使って、胸を増幅したり、お尻を丸く膨らませたり…それに唇にも、もしあなたがお望みならですが」

「もちろん! 絶対に!」 とアンジーが甲高い声を上げた。

「そのすべてを外来診療で行えるのです。まさにここの診察室で。増幅は徐々に行います。何度も層を重ねるような感じで……」

層! 層! 怪物には層がある!(参考

「…さっき言ったように、私はあなたの望むように身体のプロポーションを変えることができます。もちろん、お望みなら、伝統的なインプラント方式の手術をしても良いですよ。その場合、どのようなことがあなたを待ち構えているか、アンジーが教えてくれるでしょう。最初の2週間は大半ベッドの中に留まっていなければならない。1ヵ月は、行動範囲が厳しく限定されるでしょうし、続く1ヵ月も実質的に制限を受ける。もしそれがお望みなら、急いでインプラントの注文をしなければいけないので、すぐに教えてほしいところです」

私は話しを合わせることにした。

「確かに、2ヶ月間、お尻をがんがんやられる喜びはナシで済ませたいと思います。第1の門の方をくぐりたいかな。その場合のスケジュールはどうなりますか?」

「まずは血液検査。それにお肌でパーマ・プラストとの相性をテストすることになります。そうすることで、あなたがパーマ・プラストにアレルギー反応を示さないことを確認するのです。その確認作業は、ここですぐに行います。結果は今夜出るでしょう。パーマ・プラストにアレルギー反応を示す人は非常に少ないのですが、もしあなたがそのような人だった場合、明日までに肌に反応が出るでしょう。手術を行うとなった場合、スケジュールは月曜の午前までに確定できます。検査自体はすぐに済みますよ」

レーガン医師の看護婦の一人が、私の右腕の関節部から血液を採取し、左の腕の皮膚に皮下注射で少量のパーマ・プラストを注入した。

私はアンジーを会社に戻した。ロブとジムに私がこれから1週間、休みを取ることを伝えさせるため。私は今夜はリラックスしたいと、会社に戻らないことにした。

あまりに多くの情報に、頭がクラクラする感じだった。豊胸などの身体改造に同意したのは私の策略だった。仮に、陰謀をたくらむ者たちが私が改造をするつもりだと知ったら、その展開に満足し、自分たちの手の内を露わにするかもしれない。

実際にメスで身体を切られる前に何か事を起こすとして、2日間は余裕がある。それに、実際に身体改造をするとしても、レーガン医師が言うとおりだとすると、ほとんど手術らしい手術はないかもしれない。

ジェフ・スペンサーの電話につけた盗聴器が重要なことを明らかにしてくれるかもしれない。それに、何度も自問してきたことだが、ジェフが私を潰す計画が本当に「リサ」と関係があるとする証拠がそもそもあるのだろうかという疑問もある。アンジーには嘘はついていない。ただ、ともかく、リラックスしたかった。でも、疑わしい人とリラックスするのは避けたかった。

熱いフライパンから逃れて、火の中に飛び込んでしまうとは、このことか?……私はダイアナに電話した。ダイアナはこの夜は何も用事がないと言った。

私はダイアナをアーミテージ通りのゲジャの店(参考)に連れて行った。フォンデュの専門レストランである。私は前からライブのクラシックギター演奏が大好きで、それを聞くのが最もくつろいだ気分になれる。それが欲しい気分だった。

テーブルに置いてあるピーナッツ・オイルのフォンデュー壺にフォークでステーキ、チキン、ロブスター、生野菜を挿し入れ、さっと熱を通して私の手からダイアナに食べさせた。そうしていると、この前の日曜日にピザで誘惑した時のことが頭によぎった。

そしてデザートの時間になった。エンジェル・フード・ケーキ(参考)、マシュマロ、それに生フルーツを熱いチョコレートに浸して食べるデザートだった。

ダイアナは目を輝かせていた。多分、彼女はフォンデューのフォークで互いに相手にデザートを食べさせあうこととは違うことを思っているのではと思った。

私がサクランボをチョコレートに浸し、彼女の唇の前に差し出すと、彼女は舌を伸ばし、滴るチョコを優しく舐めて見せた。その姿はお金では買えないほど素晴らしく、この夜のディナーの費用全額に値するものだった。チョコを舐め取った後は、歯で優しくサクランボを挟み、フォークから引き抜き、美味しそうに食べた。その繊細な食べ方と言ったら……

少なくとも、何とか家の玄関を過ぎるまでは我慢できたが、玄関ドアを入るとすぐに、ふたりとも引きちぎるようにして相手の服を脱がせ始めた。うねりのように高まった情熱に、寝室に行くのすらもどかしく、素裸になった私たちは暖炉の前の深いじゅうたんに横たわった。デュラ・フレーム(参考)の薪は軸の長いマッチならマッチ1本で着火できる。部屋の照明は燃える薪の火だけでも、燃えてるのは薪だけではなかった。

その夜、最初のセックスは愛しあうというものではなかった。何日も離れていたことにより生れた切実な欲望を満たしたいという気持ちから、狂ったような、欲望を剥き出しにした切迫した身体のむさぼり合いのようなものだった。少なくとも私にはそうだった…。彼女に私の中に入れてもらって初めて完結できる。もし、ダイアナが陰謀に関わっていると知ったら、私は心を粉々にされるだろう。でも今は、その可能性を心の中から消しておきたいと思った。今はただ流れに身を任せたい……

***

「ねえ、レーガン医師という人、知ってる?」

土曜日の朝にこういうふうに起こされるのは、あまり好きではない。それに、ダイアナなら、例えば、「ナックルボールの投げ方、教えて?」 と訊いて私を起こすこともできるはずで、そういう質問が彼女の唇から出てきたら、それはそれで素敵だと思うのだけど……

「うん…」 と私は寝ぼけながら答えた。「でも、どうして?」

「そこの病院から電話よ。レーガン医師があなたに話しがしたいって」

「土曜日に?」 と私は受話器を受け取って、受付の人に挨拶をした。

少し経ち、医師本人が電話に出た。

「おはよう、リサ」 まるでコマーシャルでのアナウンスでもできそうな声質の声。「今日の午前中にこちらに出てくるのは大変でしょうか? 月曜午前の施術の前に、検査結果について話し合いをしたいと思ってるんです」

「何か問題でも?」

「いや、その正反対です。あなたの身体に関する限り、月曜にすることは問題なしなのですよ。ただ、どういうことをするかについて改めて確認し、承諾を得ておきたくて…」

「ええ、何とかこれから身支度して、1時間ほどでそちらに着くと思います。それで良いですか?」

「もちろん! では、またあとで」

この日の前夜、私は身体の整形のことについてダイアナに話しをしていた。ダイアナは、控え目に言っても、興奮していたと言える。彼女は豊胸について、どのくらいの大きさになるのかなどを私に訊いた。パーマ・プラストについての情報も伝え、豊胸は数週間に渡って進行することを話した。ダイアナは目を皿のように大きく広げ、私の話しを聞いていた。

「あなたの胸が大きくなるのね? ああ、すごい! 素敵よ! 私たち、これまで以上に親密になるわ」

そう言ってダイアナは私をギュッと抱きしめた。あまりきつく抱きしめるので、グルーチョ・マルクスではないが、彼女は私の背中から出てしまうのではないかと思った。

ダイアナも豊胸などの整形の道を進んできたことを告白してくれた。彼女の場合は「旧式」の方法だったけど。ともあれ、ダイアナは、私も豊胸することは、ふたりが共有する秘密がもうひとつできることであり、私がどれだけ彼女を思っているかを証明することでもあると感じたようだった。私自身は、施術に同意した時、というか仮に実際に施術したらだけど、そういうふうには思っていなかったけれど、こんなにダイアナが喜んでくれたことは嬉しかった。

私たちは、予想したより3分前にレーガン医師の診察所に到着した。受付の人はすぐに中に案内した。私は医師にダイアナを紹介し、一緒に彼の前に座った。

レーガン医師はすべて検査結果を説明し、私の身体が「卓越して健康」であると述べた。ついでに、彼自身が時間不足で運動スケジュールを守れないことを嘆いていた。

それから彼は、来たる肋骨切除、軽微な脂肪吸い出し手術、鼻形成術、目の周りの美容整形、喉仏の削除などについて再説明し、確認した。その後、それぞれについて必要な書類へ私のサインを求めた。

ダイアナは椅子に座りながらも、始終、もじもじし落ち着かなかった。話しを聞くにつれて、ますます興奮している様子。おとなしくしているというのは彼女にとって得意なことではない。とうとう、堪らなくなってダイアナは口を開いた。

「どのくらい早く注入を始めるのですか?」

私もレーガン医師も、「クリスマスまであと何日?」と聞く子供を見る親のような感じで、ダイアナの顔を見た。医師は私の方を向いて言った。

「実は、今朝あなたをお呼びした理由の一つがそれなのです。ちょっと腕を拝見できますか?」

私は左腕を出して、見てもらった。ほとんど見えないほどの突起がまだ残っていたけど、その他は何もなかった。

「これより良い結果は求められませんね。拒否反応の痕跡すらありません」

レーガン医師はダイアナに笑顔でウインクし、また私に顔を向けた。

「ダイアナさんのご質問に答えると、今すぐ開始してもよいというのが答えです。どうでしょう。それで、ご満足でしょうか?」

心臓が喉元まで上がってきた感じがした。ダイアナは私に抱きつき、アナコンダのような締めつけで抱きしめた。肋骨切除は子供でもできる仕事になるかも。医師は粉々に砕かれた骨を取りだすだけで済むから。

「それは、私の…手術の後まで待つべきじゃないのですか?」 とためらいがちに尋ねた。

レーガン医師は頭を左右に振った。

「その必要はありません。もしきょう開始すれば、受容部が月曜の朝までに整ってることでしょう。それに、パーマ・プラストによる変化は外科的な整形手術とは関係がないのです。それにもうひとつ。あなたにはできるだけ早く、ホルモン投入も開始してほしいと思っています」

「ホルモン?」

「ええ。ホルモン注入なしでも体形の増幅は可能なのですが、結果がごつごつして、人工的な感じになるコストがあります。エストロゲンとプロジェスティンを組み合わせると、身体に丸みが出てきて、豊満でより自然な姿に変わることができるのです。それにパーマ・プラストの同化促進にも効果があります」

自分の張った蜘蛛の糸に絡め取られてしまった! 陰謀を企む者たちを明るみに出すのに、もはや2日もない。いや、2分すらない。

これがラスト・チャンスだぞ! バルコニーに出て、デュバル通りを眺めることができるんだぞ。金持ちの旅行客を朝に連れ出して、午後の遅くまでビールを飲みながら釣りをし、それからスロッピー・ジョーの店でぐてんぐてんに酔っぱらって、千鳥足で家に帰ることができるんだぞ。ヘミングウェーのように。自分の船に「ぶっ壊れた水洗トイレ」と名付けることもできるんだぞ。いま、この場から立ち去れば、それでいいんだ。眉毛を元通りに太くすることもできるんだぞ。名前をトラビス・マクギーとでも変えれば、誰にも分からないって……

ただ、「いいえ、手術の後まで待ちましょう」と言えばいいんだ。そして、月曜日になったら、気持ちが変わったと……

ダイアナの瞳に浮かぶ表情は、とても期待に満ち、ワクワクしてて、愛しいものだった。こんな瞳を何年も見たことがない。ひょっとしてダイアナが怪しいかもと疑ってすらいたけど、私はどうしても彼女をがっかりさせたくはなかった。流れに任せる……

私は「了解しました」と言い、小さく溜息をついた。


つづく
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